半透明記録

もやもや日記

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それは私。

2005年05月16日 | もやもや日記
先日、夜の8時くらいだと思いましたが、我が家の玄関の鍵をがちゃがちゃいわせる音が聞こえました。
その夜は、家には私ひとりで、k氏は田舎に帰っており、他に誰も鍵を開けるような人は思い当たりません。
これは、もしや噂に聞くピッキングだろうか・・・!
ぶるぶるしながら、玄関のドアを覗いていると、音は止んでその人は去ったようでした。
怖い!
怖過ぎる!!
と、ここでふと気が付きました。
そういえば、私が住んでいるマンションはこの日からエレベータの付け替え工事を開始して、当分は階段で上がらなくてはならなくなったのです。
そして、各階には不親切なことに階数表示がされておらず、気をつけて数えないと今どの階まで上がったのか分からなくなるのです。
きっと、さっきのは私の上か下の階に住む人に違いない。
なあんだ。
それにしても、ちょっと粗忽な人ですねー、やれやれ。
1階分違ったら、通路から見える景色も違うでしょうに。
なんて思っていたら、今日、私は6階の人の玄関の鍵を開けようと必死で頑張ってしまいました。
(私の部屋は5階)
郵便物を読みながら階段を上がったら、上がり過ぎました。
6階の方はきっと驚かれたことでしょう、どうもすみません。
このあいだ部屋を間違ったのが、あなた様でしたらこれで相殺ということで。
そうでない場合は、どうぞ寛大なお心でお許し下さい。
私ももっとおおらかな気持ちを持ちたいと反省しています。

粗忽者。

『世界終末戦争』(仮)

2005年05月12日 | 読書日記ーラテンアメリカ
M・バルガス=リョサ 旦 敬介訳(新潮社)


ストルガツキイを読みかけているところなのに、久しぶりについ別のものに目がいってしまいました。
そして、読み始めてみると、冒頭からあまりにも衝撃的でした。
ラテンアメリカ文学はこれだから恐ろしい。


《この一文》

” 男は長身でひどくやせていた。正面から見てもいつ
 も横を向いているように見えた。肌は黒く、体は骨ば
 って、瞳には永遠の炎が燃えていた。      ”



うおぉ・・・、何という書き出しですか!
文学作品の面白さ具合を決めるのは、ある程度は最初の一文であるような気がします。
少なくとも私がいままで読んできたものには、その法則があてはまります。
そんなわけで、久々に大物の予感です。
こうやって引用するだけでも、震えが走るようです。
目眩がするほど感動したのですが、どうですか、こんな書き出しは。
「瞳には永遠の炎が燃えていた」という部分だけで、当分くらくらを味わえそうです。

バルガス=リョサは実はまだあまり読んだことがありませんが、この『世界終末戦争』はブラジルが共和国になったばかりの頃の物語です。
やばいくらいに面白そう。
未読なのに、思わず記事を書いてしまったではないですか。
しかし、分量が半端ではないので、完全なレビューはまた後日ということで。
まずい、ストルガツキイも読まなきゃならないのに(二冊も)。
仕方ない、しばらく全てのことを忘れてこの小説に没頭します。
700頁だ、がんばらねば!!

『尼僧ヨアンナ』を観た

2005年05月10日 | 映像
《あらすじ》

17世紀のポーランド。辺境の尼僧院に、悪魔に取りつかれたと噂される美しい院長ヨアンナ(ルチーナ・ヴィンニツカ)がいた。教区司祭はヨアンナの魔性に狂ってしまい火刑に処せられた。そこへ調査と悪魔払いのため、司祭スリンが派遣される。ヨアンナに対面を果たしたスリンは、やがて彼女の中の悪魔を目の当たりにする。悪魔払いため、二人は屋根裏に閉じこもり、苦行を行うことにするが…。
ポーランドを代表する作家イワシキェウィッチの歴史的記述を元にした短編小説の映画化した作品。監督はポーランドの名匠イエジー・カワレロウィッチ。撮影は「灰とダイヤモンド」のイエジー・ヴォイチック。
1961年 カンヌ国際映画祭 審査員特別賞(イエジー・カワレロウィッチ)受賞作品


先月、シネフィル・イマジカで放送していた『尼僧ヨアンナ』を観ました。
原作はイヴァシュキェヴィッチの『尼僧ヨアンナ』(岩波文庫)。
映画の筋は原作にかなり忠実です。
音楽は、マウゴジャータという尼僧が酒場で歌って踊るところがあるだけで、あとはほとんど静寂。
眠くなるほど静かなのですが、映像が凄いので寝ている場合ではありませんでした。
冒頭から目が釘付けになります。
スリン神父が床に平伏して祈りを捧げるシーンが長々と続き、神父の真っ黒な僧衣が目に焼き付くようでした。
モノクロ映画である上に、尼僧院を舞台としているので、白と黒のコントラストが美しい。
尼僧は皆白い僧衣を纏っています。
その尼僧たちが悪魔に取り憑かれて、歌い踊るところはとっても怖い。
夜には怖くて観られません。
恐ろしいほど、完璧な映像なのでした。
同じ監督の『影』という作品は見逃してしまいました。
おお、私は何と愚かなのだ!
再放送熱望。

『願望機』

2005年05月09日 | 読書日記ーストルガツキイ
A&B・ストルガツキイ 深見 弾訳(群像社)



《内容》

「願望機」
 タルコフスキイ監督の映画『ストーカー』の共同脚本家として
 名を連ねているストルガツキイ兄弟による、映画にならなかった
 ”もうひとつの『ストーカー』”

「スプーン五杯の霊薬」
 二流作家のスニェギリョーフは向かいの部屋に住む三流詩人の
 クルジュコーフが担架で担ぎ出されるところにでくわし、研究所
 へ行ってあるものを貰ってきてほしいとたのまれる。その後
 つぎつぎとスニェギリョーフの身の周りに奇妙なことが起こり
 はじめる。シナリオ。




《この一文》

”「それが運命なのよ。それが人生というものね。それがわたしたちだわ。人生に辛いことがなかったら、こんなにすばらしくないかもしれないわね。きっともっと悪いわよ。だから、そういう幸せもないかもしれないし、希望もないかもしれない。そういうことね。ーーーーー」
                      ーー「願望機」より ”



私は映画版の『ストーカー』を観ていないので何とも言えませんが、
この映画にならなかったほうの「ストーカー」にはまた、原作とは
違った味わいがありました。
「あらゆる願いを叶えてくれるものがあったら、どうするか?」という
テーマは原作と同様ですが、脚本ではこのテーマだけを中心に
取り上げているので、かなり話が分かりやすいです。
これを読んでみると、『ストーカー』を読んで私が思ったことは、
そんなに原作者の考えていたことから離れてはいないらしいことを
確認できました。珍しく。
いや、原作がそもそも兄弟の作品にしては分かりやすいのかもしれませんが。
人類が今の状態のままではたとえ誰かが人類の平和を心から望んだつもりでも、
それを本当に心の底から望んでいるとは言い切れない。
人間はその本質においては全然別のことを望んでいて、それが叶えられたところで
自分の浅ましさに絶望することだってあり得る。
そんな恐ろしくて悲しいお話です。
でも作者は結局「願望機」を壊してしまったりはしません。
そこにまだ希望を残しているのでした。

「スプーン五杯の霊薬」は、『モスクワ妄想倶楽部』の最初のほう
(私は途中まで読んでそのままです)に似ています。
人間が不死を得られるとしたら、どうするか?
色々な面白い人物が登場して、物語はなかなかユーモラスに展開します。
個人的にはパーヴェル・パーヴロヴィチがお気に入りです。
なんとなくブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』を思い出します。
食いしん坊なところはベゲモートっぽいし。
レストランで働いているところは、アルチバリド・アルチバリドヴィチを
思い起こさせます。
『モスクワ妄想倶楽部』ではもっと『巨匠とマルガリータ』的なところが
あるらしいので、はやく読まなくてはなりません。
その前に、もう一度『巨匠とマルガリータ』を読みたくなりました。
あー、でもあとがつかえている・・・。
急がなくては、急がなくては!

ちょっとフリマ体験

2005年05月05日 | もやもや日記
生まれて初めてお店を出しました。
近所(といっても徒歩30分)の神社の境内でささやかに行われる
フリーマーケットで2m×2mのスペースを借りただけですけど。
売り物は古着でも手作り品でも何でも良いとのことだったので、
趣味で楽しく作った品々を買ってくれる人ってどの位いるんだろう、
という「実験」をすることにしました。
結果は、惜敗・・・・!
ちょこちょこ売れましたが、ほぼ売れ残りました。
考えてみれば、フリマに来るお客さんは、ほとんどタダじゃなきゃ
買わないですよね。
原価ぎりぎりの良心価格で出したつもりでしたが、それでも売れない。
ティッシュケースで悩んでいたお客さんには、
「すごく素敵~、でも雑貨屋さんとかだったらもっと高く売れますよ!
 こういうところだと値切られますよー! もったいない~!
 と言っておいて何ですけど、もう一声まけて!」
おぉ・・・!
まけました。
負けました・・・。
原価を割ってくると、もはやボランティアの世界です。
こうして私は、労働力とはほとんど無価値である、という事実に
気が付きそうになりました。
でもまてよ、私のは労働力じゃないのかも。
楽しくて作っているだけで、技術も知識も足りないし。
お金までいただいて、みなさん、すみませんでした。
喜んでくれる人がいれば、それでいいはずじゃないか!
それなのに、初めて作った帽子を売ったりして(しかし一番売れた!)、
私というやつは呆れるほど厚顔な人間です。
恐ろしいですねー。
しかも実はその帽子で利益が上がってしまいましたし。(犯罪かも)

さて、本日の「実験」による収穫は大きかったです。
まず、「需要と供給」について少し分かりました。
要らないものは要らないということですね。
客層にもよるのかもしれませんが。
そして最大の収穫は何と言っても、見てくれた人(ごく少人数でしたが;)が
ほめてくれたりしたのがなんとも言えず嬉しかったです。
欲しがってくれる人がいるという事実が奇跡のようでした。
世の中は広くて深そうです。
またやるぞ!

『アライドの白い柱』

2005年05月03日 | 読書日記ーストルガツキイ
ストルガツキー兄弟 山田 忠訳 (早川書房 SFマガジン1971/3)


《あらすじ》

生物の成長過程と同じように卵の機械が住居に成長するーーこの画期的な発生工学の実験を妨げたものは?



《この一文》

” アシマーリンはまどろんでいた。そして、アライドの白雪の頂上
 に立って、青い空に見入っているような感じでいた。時々、それを
 見上げることができ、その空は青く、驚くほど地球的な空である。
 その下へ、帰って行く空である。              ”




とうとうこういうレアものにまで手を出すほど、深みにはまってきました。
中毒ですね。
さて、この作品は1961年『黄金のハス』というソ連SF作品集に収録された
兄弟の初期短篇だそうです。
びっくりするくらい普通のSF小説でした。
本当に普通っぽい。
このころはまだ、ストルガツキイ特有の、あの不可思議な感じは備わって
いなかったのでしょうか。
ともかく、非常に読みやすいものの、分量の短さも手伝って、
まあぼちぼちといった感想です。
しかし、もう一度読み返してみたところ、やっぱ結構面白かったです。
その土地の環境に合わせて成長する機械の卵を孵す実験を千島列島で
行うのですが、上手くいくかと思われた矢先、卵は大爆発を起こします。
それは、地中に埋められていた人類の過去の愚かさを示す遺物によって
引き起こされたのでした。
人類の発展を妨げようとするふいに現れてくる力ーー、以後の作品にも
通じるといえば通じているような気もします。

ところで、この古雑誌は「現代ソ連SF最新傑作選」の特集を組んでいて、
私がまだ知らない他のソ連SF作家を勉強できそうです。
他に現段階で読み終えたものでは、ドニエプロフの「予言者」という話
は結構面白かったです。
描写も美的で、かなりロマン的でした。
磁気が人間の心理に影響を与えているのか否かーーという内容です。
この人の名前は忘れていたのですが、「カニが島を行く」という話を
読んでみたいと思っていたところで、同じ人の作品に思いがけず出会って
ちょっと感激でした。