フェーチカがこのパイプに不満を感じたことは一度もない。特権や立身出世の何たるかを知らない彼は、人生のなかで人生そのものよりほかに何物ももたなかったから、心は平静かつ露き出しで、小鳥のように若々しかった。彼はさまざまな娘たちと何度も知り合い、夜のくらがりのなかで接吻したけれども、たとえきのう彼と接吻した娘が今日はほかの男と接吻したところで、フェーチカはけっしてイライラとパイプを噛みしめないし、そのにがい後味に不満を感じたりもしないのである。……。
――「外交官のパイプ」(イリヤ・エレンブルグ『13本のパイプ』)より
「人生のなかで人生そのものよりほかに何物ももたなかったから」。
どうしても、この一文を今日の私は読まなければならなかったのでした。愛するエレンブルグに心からの感謝を。あなたは今日も私を救ってくれました。私には自ら投げ捨ててしまったものも多くあるけれど、幸運によって得られたものもまた数多くあるということを、あらためて感謝しなければなりません。
「フレニト先生に捧げ」られた短篇集『13本のパイプ』のなかの13の物語の中でも、私がもっとも好きなのが、この「外交官のパイプ」です。
はじめは外交官の所有物だったドイツ式のパイプは、持ち主を次々とかえて、最後はペンキ塗りのフェーチカのものになります。おそらくエレンブルグもそうであったように、私も彼のような人物に憧れます。こんな日にはとくに。
自らの過大な欲望から自由になって、若々しく飛び回りたい。
小鳥のように。