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森羅万象 ~ 歩く印象派

ダイエット大作戦 Ⅱ(ミッション013) 2007年10月1日

2007年10月01日 23時54分02秒 | 1年かけてダイエット
かなり順調に「インプット>アウトプット」は推移しているが、体重の変化についてお知らせしよう。

   9月19日 81.2㎏ → 9月30日 78.6㎏  (-2.6㎏)

>いやはや、9月18日時点では81キロ超だったのである!(服もきつくなるわけだ!)


本日食べたもの(kcalは厳密なものではありません。目安です。)

朝:ハムサンド自家製(360kcal)お茶。計 360kcal
昼:ハム&卵ミックスサンド(540kcal)、フルーツヨーグルト(127 kcal)お茶。計 667kcal
夜:鮪いかホタテ刺身(80kcal)イカ塩辛(自家製)(60kcal)キノコうどん1杯(100 kcal)、白飯(180kcal)、煮大根(酢)(10 kcal)、トマト(30kcal)キュウリぬか漬け(10 kcal)計:470kcal
日計:1497kcal

歩行(385cal)7.02km
差し引き1497kcalー385kcal=1112kcal

文科省に修正検討指示 「集団自決」削除で官房長官

2007年10月01日 23時20分29秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2007年10月01日21時33分朝日COM

 沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、検定意見の撤回を求める沖縄県民の強い意見を受け、教科書会社からの訂正申請などの形で、記述が復活する可能性が出てきた。町村官房長官は1日の記者会見で「沖縄の皆さんの気持ちを何らかの方法で受け止め、修正できるかどうか、関係者の工夫と努力と知恵がありうる」と述べ、「(渡海)文科相にしっかりと検討しなさいと指示した」と語った。渡海文科相も1日、「何ができるのか、何をすべきなのか考えてみたい」と表明した。

 町村長官は「その時々の政治の思惑で教科書の内容が揺れ動くのは、決していいこととは思わない」と指摘する一方、「沖縄の皆さんの気持ち、軍の果たした役割は私なりに理解している。大変な被害を受けた多くの方がいることは深く理解している」と語った。

 文部科学省は06年度の高校の日本史教科書の検定で、沖縄の住民が「集団自決を日本軍に強いられた」などとする表現に修正意見を初めて付け、記述が削除された。

 これに対し、沖縄県内では反発が広がった。9月29日には、検定意見の撤回と記述の回復を求める超党派の県民大会が開かれ、米兵による少女暴行事件のあった95年の大会を大きく上回る11万人が参加した。民主党は検定意見の撤回などを求める決議を参院に提出する構えを見せている。

 これに関連して、福田首相は1日、首相官邸で記者団に「沖縄県民の気持ちも私はわかる。だがそれでどうするかは、検定制度があるから、まずは文科省の方でどうするかだ」と述べ、文科省で対応を検討すべきだとの考えを示した。

 検定意見を撤回した例は過去にあり、文科省はこれも一つの方法として検討を始めている。

 80年度の検定で高校の現代社会の教科書に水俣病の関連で「チッソ」の企業名について記述があったのに対し、文部省(当時)は「特定の営利企業の非難になるおそれがある」と意見を付け、削除された。しかし、これが81年7月に発表された後にマスコミ等で批判を受け、同省は事実上撤回。81年10月から11月にかけて、6社が訂正申請し、承認された。

 文科省は検定済みの教科書について「訂正の必要がある」と認めた時は、教科書会社に対して訂正申請の勧告をすることができるが、この権限は一度も発令されたことがない。

 今回の集団自決をめぐって訂正申請があった場合について渡海文科相は1日、「真摯に対応したい」と述べた。

 《教科書検定》 民間の教科書会社が申請した本を検定基準に基づいて文部科学省が合否判定する仕組み。文科省が検定意見を付した場合、教科書会社は意見に従って修正した本を再度提出して合否判定を受ける。

 沖縄戦に関する記述をめぐっては、82年に検定に通った高校日本史の教科書で、日本軍による住民虐殺の記述が削除されたことが分かり、沖縄から強い抗議の声があがった。当時も県議会は記述の回復を求める意見書を全会一致で可決。その後、復活した経緯がある。

“島ぐるみ”11万人が抗議 沖縄、超党派で県民大会

2007年10月01日 23時17分16秒 | 平和憲法9条
2007年9月29日 19時07分 東京新聞

 沖縄県民大会の会場に到着し、点火される「平和の火」=29日午後、沖縄県宜野湾市の海浜公園


 太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの教科書記述が削除された問題で、文部科学省の検定意見に抗議する超党派の沖縄県民大会が29日、同県宜野湾市の海浜公園で開かれた。

 大会実行委員会によると、約11万人が参加。1995年の少女暴行事件に抗議する8万5000人の県民大会を上回り、沖縄の本土復帰後では最大の集会となった。

 県議会やPTA連合会などで構成する実行委は「集団自決に軍が関与したことは明らかで、記述削除は歴史の歪曲だ」として、検定意見の撤回と記述の回復を求める決議を採択した。

 今後は大規模な要請団を結成し10月中旬に上京、あらためて文科省に撤回を迫る。“島ぐるみ”の抗議表明に、政府の対応が注目される。

 大会会場には、沖縄戦の戦没者に思いをはせようと、同県糸満市の平和祈念公園から100人以上のリレーで運ばれた「平和の火」がともされた。
(共同)

地震3題 再録「巨大地震近し!」

2007年10月01日 12時44分13秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2007年10月01日11時51分朝日COM
けが人2人 民家2戸が一部損壊 箱根で震度5強

 神奈川県西部を震源とする1日未明の強い地震で、同県小田原市内の女性(60)が家の廊下で転んで右肩を脱臼したほか、男性(60)も気分が悪くなりそれぞれ病院に運ばれた。震度5強だった箱根町で民家2戸が一部損壊し、小田原市では200戸以上が断水した。JR東海道線は始発から熱海―小田原間で上下線が運休し、午前7時に復旧した。12本が運休、10本が最大117分遅れ、約1万人に影響が出た。

 箱根登山鉄道箱根湯本駅に近い箱根町湯本に住む女性(31)は突然の揺れで目を覚ました。突き上げるような大きな揺れが2度あったという。

 外に出ると屋根瓦が数十枚崩れ落ちて割れていた。浴室の壁にはひびが入り、トイレの便器が浮き上がっていた。「びっくりしました。まさか、うちが被害を受けるなんて。けががなくてよかった」

 箱根温泉旅館協同組合によると、宿泊客のけがや設備の不具合などの報告は、1日朝の段階では入っていない。関田初男事務局長は「余震が心配だが、特別な対応は今のところ考えていない。ただ、風評で客足に影響が出るのが心配だ」と話した。

1日午前2時21分ごろ、神奈川県西部を震源とする地震があった。気象庁によると、震源の深さは約10キロ、地震の規模はマグニチュード4.9と推定される。地震による津波の心配はないという。

各地の震度は次の通り。
 震度5強=神奈川県箱根町湯本▽震度5弱=同小田原市荻窪▽震度4=同真鶴町真鶴、静岡県熱海市泉、同東伊豆町奈良本

グアム付近で地震 マグニチュード6.8

2007年09月30日12時56分朝日COM

 米地質調査所によると、30日午後0時8分(日本時間午前11時8分)ごろ、グアム島沖でマグニチュード(M)6.8の地震があった。震源はグアム島の南南東約350キロの海域。

 一方、同日午後4時23分(同午後2時23分)ごろ、ニュージーランドのオークランド島沖約200キロの海域を震源とするM7.3の地震があった。ロイター通信によると、いずれの地震でも大きな被害の報告はないという。

ニュージーランド付近で地震 マグニチュード7.4

2007年09月30日15時15分

 30日午後2時24分ごろ、ニュージーランド付近を震源とする地震があった。

 気象庁によると、地震の規模はマグニチュード7.4と推定される。

 この地震による日本への津波の影響はないが、震源の近くでは津波が発生する可能性があるとしている。

>8月23日に「巨大地震近し!」を掲載したが、今朝の地震域がまさにそこである。マグニチュードは4.9であったが、これで終わりとは思えない。まだまだ地下にはエネルギーが溜まっているはずである。念のため、823の記事を再掲載しておく。とにかく小田原地震は超要警戒なのである。(地球規模においても巨大地震の発生頻度が高まっている。)
(以下)

神奈川県西部地震と呼ばれる地震がある。
この400年の間に歴史に残る5回の地震を引き起こしている。
大正の関東大地震(1923年)がその5回目で、その後今日まで84年が経過している。
(76年周期といわれているが、とうに8年を超えている。)

1633年 寛永小田原地震(M7) 小田原で死者 150人  熱海に津波襲来
       ↓ 70年

1703年 元禄地震(M7.9~8.2)小田原で出火12ヵ所 壊家8千、死者2300以上
       ↓ 79年

1782年 天明小田原地震(M7) 小田原城破損、人家約800破損
       ↓ 71年

1853年 寛永小田原地震(M6.7) 小田原領で壊家1千、死者23人
       ↓ 70年

1923年 関東大地震(M7.9) 死者・行方不明者14万2千、家屋全壊25万4千
                    焼失44万7千、熱海で津波12m

現在はいつ発生してもおかしくない状態にあるのだが、東海地震のように予知のシステムなどは整備されておらず「ぶっつけ本番」で「その日」を迎えてしまうのが情けないが本当のところなのである。

これを読んだ方で関東それも東京神奈川に近いところにお住まいの方は、「臨戦」状態にあることを自覚された方がよい。特に家族との連絡をどのようにして取れるようにしておくのかは大切なことだ。(ケータイは多分無理、比較的つながりやすいのは公衆電話。だが、使える状態で残っていればの話。)

付け加え:「風評被害」を心配する向きが見受けられるが、この「小田原地震」に限り「風評」の心配より、自分の身の回りをきちんと見つめ直し、点検し、来るべき事態に備えておく方が賢明だと思う。「風評」で片付ける問題ではない。地震に過小評価は禁物だ。

夢の「ミゼット」再生 CMの崑ちゃん、笑顔で試乗

2007年10月01日 12時40分00秒 | 歩く印象派
写真:よみがえったミゼットに試乗する大村崑さん(左)と吉田奉寿さん=30日午後、兵庫県篠山市今田町の「崑の村」で

2007年10月01日12時19分朝日COM

 兵庫県姫路市でスクラップ工場を経営する吉田奉寿(ほうじゅ)さん(58)が、30年ほど前から保管していた1960年製の軽三輪自動車、ダイハツ「ミゼット」を約4年かけて「再生」した。30日、ミゼットのCMに出ていた俳優の大村崑さん(75)にお披露目した。大村さんは「昭和の空気がよみがえった」と感激。吉田さんは「崑ちゃんに乗ってもらう夢がかなった」と喜んだ。

 ミゼットは57年、日本初のオート三輪として生産が始まり、72年に生産中止になるまで約32万台が製造された。58~59年に放映されたテレビCMにはまだ駆け出しだった大村さんらが出演し、「一番小さい車」「ミゼット」「皆さんの」「ミゼット」と車名を連呼した。これが受け、放送から3年で販売台数が約9倍に急増したという。

 吉田さんが今回のミゼットにめぐりあったのは、80年秋。廃車として吉田さんの工場に持ち込まれた希少な初期型ミゼットを「もったいない」と倉庫に保管した。大村さんが99年、同県篠山市に交流施設「崑の村」を建設したことを知り、「いつか試乗してもらおう」と03年6月、修理を始めた。

 毎週末に5~6時間、倉庫にこもり、さびついた車体やホイールを磨き、配線をはんだでつなぎ直した。エンブレムなどは全国の中古部品業者を探し回り、当時に近い部品を手に入れた。

 「崑の村」で、ピカピカのミゼットと対面した大村さんは「『ミゼットの崑ちゃん』として一気に私の名前が売れ、商売人はこれに乗って一気に商いを広げた。自分にとっても復興期の日本にとっても転機になった乗り物です」と懐かしんだ。

ダイエット大作戦 Ⅱ(ミッション012) 2007年9月30日

2007年10月01日 07時26分22秒 | 1年かけてダイエット
本日食べたもの(kcalは厳密なものではありません。目安です。)

朝:ブロッコリ・インゲン豆のサラダ(30kcal)お茶。計 30kcal
昼:ミックスサンド(361kcal)、おでん(35 kcal)お茶。計 396kcal
夜:キノコうどん2杯(400 kcal)、レタス&ハム・サラダ(70kcal)、トマトジュースwithビネガー(40kcal)計:510kcal
日計:896kcal

歩行3615歩(122kcal)2.16km
差し引き896kcalー122kcal=774kcal

>雨でほとんど歩けず。お昼過ぎごろ、Sくれ君から着信あり。そういえば、Z王に行ってるはずだなと思い出した。すぐに出てみたが、応答なし、っというかザクッ、ザクッという足音が聞こえるのみ。「もしもし、もしもし、Sくれ君」と呼びかけるも足音が続くのみ。どうやら、ケータイのボタンを押し間違い私にかかってしまったようだ。ときおりボソボソ会話らしきものが聞こえるが聞き取れず。通話状態になっていることに気づいていないようなので、さっさと切った。

>夜はストーヴが欲しいくらい寒かった。
夏からいきなり冬になったようだ。秋はどこへ行った?温暖化の影響か?
春とか秋が年々短くなってきている気がする。このまま温暖化が進むと日本の四季の彩りも様変わりしてしまうかも?