All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

デジカメは人工光に弱いのだ。

2005年10月31日 22時43分06秒 | 歩く印象派
 12月に急遽ソウルに行くことになった。
失効してしまったパスポートを更新せねばならない。
Y公民館で戸籍抄本を1通。450円。15分ほどかかるというのでその間にセブンで官製はがきを購入。50円。次に写真だが、アピタの横のスピード写真に行ったのがいけなかった。600円。パスポート窓口で知ったのだが、写真の規定が以前とは比べ物にならないくらい細かく規定されていてスピード写真はまったく使えないことがわかった。いまいましいテロ対策とからしい。

 警察署近くの写真店で撮り直しとなった。カメラの前に座してレンズの方に顔を向けたら店主が「あごを引いちゃダメですよ。昔の軍隊じゃないんだから、あごの先端をすこーし前の方へ、そうそう首筋を伸ばすんですよ。それで若干前屈み気味がいいんですよ。これで10年は若く撮れますから。」取りあえず、店主の言う通りにした。10分後に出来上がった写真は確かに凶悪犯のように映っていたスピードとは逆に温和な普段の私が収まっていた。正直驚いた。1,350円だったがハガキ(セブンで買わなくともよかったのだ!)もサービスしてくれたし、店主からデジカメと光学式カメラの差異について興味深いお話が聞けてよかった。

 デジと光学は太陽光の下、昼間の撮影に関して両者はまったく遜色ないが、蛍光灯など人工光のもとではデジは光の認識がうまくいかず正しい色を再現できないとのことだった。カメラ各社はそのことを十分認識していて(こういう不利な宣伝などは絶対しないが)現在、人工光に対応できるようにソフトの開発に躍起になっていることも教えていただいた。たしかに、旅行先の宴会やスナックなどでの撮影ではいまいち色がおかしいなあと感じることが多い。以前、T市のうたごえ喫茶の会場であった「K草」では毎回写りが悪く閉口した覚えがある。(被写体の問題だという声もあるが。)あの時は単に「K草」の中が暗いからだと思ったが、写真館店主の話を聞いてそう単純な理由ではなかったんだなと思った。

パスポートは11月11日にできるそうだ。15,000円!

生徒になれる度量

2005年10月30日 21時18分17秒 | 仕事
 日経新聞のスポーツ欄に野球評論家の豊田泰光氏による「チェンジアップ」というコラムがある。ときどき読ませていただいているが、大勢におもねず歯に衣着せない鋭い分析や指摘に敬服している。27日付の「生徒になれる度量」もよかった。
巨人の原監督復帰に際してのコメントだが野球に限らず日常よくぶつかるテーマが潜んでいてたいへん参考になった。文中の監督を社長とか専務とか工場長に置き換えてみると会社における管理職の手引きとも読める。他の組織や団体の長にも通じる。

「万事うまくいっているときは愛や友情で結ばれた集団も機能するが、ことが起こったとき、日ごろ仲間から外れている異分子の視点が必要になる。一族郎党型内閣は団結の強みがあるが、不成績のときにいちいち「あいつが切られるならおれも辞める」と大騒ぎになる。これも難儀だ。
 お目付け役の大切さは巨人の監督に就任した川上哲治さんが、牧野茂さんという参謀役を招いたことでもわかる。牧野さんの前では川上さんは生徒になりきった。アメリカの最新セオリーを取り入れた牧野理論。川上さんはこれをすぐに吸収して「守備はだな・・・・。」と選手に説いた。
 生徒がすぐ先生になりかわるのがおかしかったという人がいるが、臆面もなくこれができないと監督はつとまらない。知恵袋としての牧野さんはときに耳の痛いことも進言した。内部の緊張関係がV9の源泉だったわけで、川上さんが「おれは打撃の神様だ」とふんぞり返っていたら、あの快挙はなかった。」
「自分の弱さをさらけ出せば周りから知恵も出てくるものだ。それはわかっていてもメンツが邪魔をする。監督として成功するかどうかの分かれ道だ。」さて原監督がこの一文に目を通してくれればよいのだが。

立ち現れる「無意識」について

2005年10月29日 23時22分31秒 | 
17、18日の旅行で同室となったY縣氏から字画占いをやってもらった。そのとき感じたことだ。Y縣氏が私に語りかけているというより私の無意識が眼前に立ち現れて意識(覚醒)化の私に語っているとしか思えないほどのパワーに正直驚いた。巷には星占いや四柱姓名や気学、タロットなど様々な占いが流布しているが、先に結論を言おう。よく「当たる」かどうかはその占いの内容とはまったく関係ないということだ。「たまたま、その占いであった。」ということだ。要は夢のときとまったく同じで、無意識が意識に向かって何かを知らせる手段のちがいと考えればよい。「まるで乗り移ったかのよう。」という奴だ。だからユングではないが「あらゆる象徴を使って意識の側に働きかけを行うときにその種のものが用いられる。」ということだ。無意識の方から何かを知らせる意志がない場合には占いはそれ(単なる手続き行為)以上の何ものでもない。(この項は後で詳述予定。)

ルーチンワークの陥穽

2005年10月28日 23時25分54秒 | 仕事
 午後3時から得意先の会合に出席した。M伝社主催のこの会合は今回で26回目を数える。M伝社の協力企業24社が半年に一度集まり半期ごとの品質上の報告や依頼事項等が展開される。
 冒頭挨拶に立ったM伝社のM副社長の話が印象深かった。以下に記す。 

「(納入先に)不良が出たあとしばらくのあいだは、何の問題もなく経過するが、少し立つとまたぞろ同じような不具合が発生する。そこで対策を立てて防止策を講じることになるのだが、やはりしばらく立つと同じように何らかの不良が発生してしまう。何故そういう繰り返しが起こるのか考えてみた。

 例えば、自動車の運転免許証を取得したばかりの人がいる。最初のうちは運転に集中し他のことなどに考えが及ぶゆとりなんてない。ところが半年も立つと運転にもかなり慣れて来て、ハンドルを切ったりカーブを曲がったりといった基本的な操作は習慣的に身体が覚えてしまい、毎日同じ道を往復する通勤などでは半ば“自動的”に会社に着いてしまうようになる。ルーチンワークとなったわけだ。。
 そうすると、運転以外の“作業”もできる余裕が生まれ、近頃は禁止されているがケータイ電話をかけたり、器用な人だと運転中にメールを送ったりなんて芸当もできてしまう。これは、たぶん運転という作業に割く時間の配分が最初の頃の何分の一というくらい少なくなって来た結果なのではないか。しかし、いかにルーチンワークの繰り返しといったところで肝心の運転時間が何分の一に縮まった訳ではないことに注意を払わねばならない。運転への集中力が他のものへ振り向けられる。これはたいへん怖いことである。

 交通事故のほとんどが運転者の過失によるものらしいが、たぶんに、このような落とし穴によるものではないだろうか?

 翻って、私たちのモノ作りの現場でもルーチンワークの積み重ねの結果、同様のことが起こり、その結果、不具合が繰り返されるのではないか。作業にとって習熟は大変重要だがくれぐれもルーチンワークの陥穽(落とし穴)にだけは陥らないように心しなければならない。」

どこへ行った?炉辺焼き

2005年10月27日 23時56分46秒 | グルメ
 忘年会のシーズンも間近。
先日、八木節の忘年会の打ち合わせをした。
そういえば以前はよく行ったな。
 炉辺焼き。
最近見かけなくなったな。うーむ。いつ頃まであったのだろう?
なんで衰退してしまったのだろう。

あの長い柄のでかいおしゃもじみたいなのでスーッとホッケの焼いたのなんかを差し出してくれたあれ。
まだ、どこかでやっているんだろうか?
いや、別に心配してる訳じゃないんだけど。

探していたらこんなのがあった。
消えた炉辺焼き
やっぱり衰退の一途を辿っていたんですね。
「2004年06月20日
昨日に引き続き、絶滅寸前シリーズですが、きょうは「炉辺焼き」です。えっと思うかもしれませんが、都内にはもう数えるほどのようです。渋谷「王将」もすでに炉辺焼きから撤退。

これも理由を考えてみると、A.夏の不稼動が痛い(まあ、暑いのもいいものですが)。B.店の構造が不経済である。大きな炉辺とカウンターという構造になるので、店舗面積あたりの客数が限られる。C.調理の加工度が低いため、単価を高くできない。実際は、多くの魚類を遠赤外線で焼くため、焼き加減が命である。材料費ではないのであるが。D.もくもくと煙が上がるのは衣類に臭いが移る。といったところかな。

先日、目白にある「山ちゃん」という店に行ったのだが、この店25年ほど続いているそうですが、それらの問題点の微妙なバランスの中でなんとかやっているのが良く分かりましたね。

ちょっとの高級感と、抑えたプライス、炉辺を絞ったコスト管理。など。」

なるほどと思った。けっこう大変なんだ。ちなみに炉辺焼きって釧路が発祥なんだそうだ。
最近、行かれた方の情報あったら教えてください。

第8回足利山岳映画会

2005年10月26日 21時57分29秒 | 私の山歩き・山の仲間たち
足利山岳映画の季節がやってきた!
そして今夜、我が家に映画会の仕掛人マサル師匠が乱入して来た!
乱入の目的は「下野新聞」に掲載する写真の選定のためだ。
マサル師匠は大量のお菓子を人道的支援として我が家に寄贈してくれた。
慢性的菓子飢饉状態の我が家にとって福音であることは疑う余地などない。
暖かい支援を受けた小生らがマサル師匠の要求を全面的に受け入れたのは当然すぎるくらい当然である。
かくして、第8回足利産学映画会は厳かにも12月4日(日)午後1時より足利市民会館別館ホールにて開催されることが明らかになった。
詳細は追って本ブログにても随時公開予定。乞うご期待!
(写真は昨年の第7回の時のもの)








癒しの場 (クロスロード)

2005年10月26日 08時00分11秒 | 仕事
昨夜は「○○ち」へ。
18時半にSK氏と待ち合わせ。少し早く着いたので久しぶりにN書店へ。「地球の歩き方」の韓国を購入。「○○ち」はN書店から通りを東へ200㍍くらい行った右角を曲がるとすぐだった。入ると女将が「SKさんのお連れの方ですか?」と言ってカウンターに導いてくれた。どうも、今夜の訪問は予め知らされているようであった。私の右には先客が一人。落ち着いた雰囲気のスーツ姿の男性で静かに酒を飲んでいた。ほどなくSK氏が到着。まずは生ビールで乾杯。そこへ、K社長が登場。カウンターの左側にゆっくりと腰を下ろした。やはり、私の来るのをすでに知っていたようだ。社長は毎晩「○○ち」に立ち寄られることも知った。金曜、土曜の晩はT社長も同席とのこと。女将が言うには「(御二人は)たいへん、仲がよい。」とのこと。これは喜ばしいことだ。K社長は近くの銭湯でひと風呂浴びてきたという。どうも毎晩このパターンらしい。(銭湯のことはこの店で知ったらしいが、昔幼少の頃はよく行っていたとも言っていた。この近くに住んでいたことがあるとのこと。)

K社長は小田原からの直行らしく、持参の「しんじょ」をご相伴に預かった。味でわかった。「すずひろ」の品だ。「わさびをたくさんつけて食べると旨いぞ。」とK社長。
しばらくしてヒゲをたくわえた体格のよい男性がカウンターのK社長の左隣に座した。後で知ったがS太郎さんと呼ばれる名物のお医者さんだった。

話題が秋の味覚にうつりマツタケ名人の話になったとき、K社長が「オ・寒やIはうちのSDらとキノコ採りによく行っているようだ。ちっともこっちには回ってこないが。」と我々のキノコ狩りがK社長さんの会社中で有名なことを示唆する発言があった。といっても、取ってきたキノコを俺(K社長)にもくれ、という話でもなかった。「キノコをよくもらうことがあるんだが、かならず、そのあと腹をこわすんだ。」とも言っていた。キノコをくれる相手がせっかく「食べられるキノコだからというのをむげに断ることもできないので食べるのだが、だいたい腹をこわすなあ。」とも語っていた。さもあらんと思った。キノコは繊維質が強く普通に食べられるキノコだって過食すれば下痢をしてしまうものだ。たぶん、たくさんもらうのだろうがそれを鍋にして一気に食べてしまってはおなかをこわしてしまう。。(も一つ、食べられるキノコでも酒と相性の悪いものも少なくない。その辺もあるかも。また機会があったらK社長にお話したい。)

カウンターの反対側は座敷のたたきで和卓が置かれている。そこへ男女のカップルが現れた。Nリゾートの料理長さんだった。私の右側の紳士はTKさんという方だった。じきにK社長を含めみなさん常連とわかった。T社長もこの方たちと楽しく過ごしているであろうことがうかがわれた。

ビールの後は何を飲もうか?ということになった。SKさんが自分の会社のボトルを出してもらったが、T社長のボトルもあるはずだと思って訪ねたらすぐに出してきてくれた。北海道白糠町のシソ焼酎鍛高譚(「たんたかたん」と読む)だ。K社長が「これはオンザロックが旨いぞ。」とすすめてくれた。さっそくいただくことにした。肴に「丸干しイワシ」を頼んだ。小太りしたイワシは脂がのっていてシソの香漂う鍛高とよくマッチした。
 K社長をはじめ、常連の方たちは小1時間もするとそれぞれ去っていった。この店は日常重責を抱えながら一日の仕事をこなしているそれなりの方たちの気持を切り替える場なのであろうことが容易に推察される。こういうオフタイムというか癒しの空間(クロスロード)がぜひとも必要なんだろうな、と思う。Aの「趣茶」もそうだ。

女子高生の政治認識

2005年10月25日 12時34分59秒 | 平和憲法9条
たこやきが怒っていた。

以下はたこやき談

 学校で友人たちと今の「マドンナ」だの「小泉チルドレン」など小泉政治について「政治は見た目じゃない。(うわべだけで判断してはいけない)」と力説したら「○○(たこやきのこと)ちゃんは酒飲まない方がいいよ。」とつっ込まれた。なんたることか。小泉のことを「カッコいい!」と騒いでいる子もいる。また、親が創価学会で公明党支持の家の子がいる。その子が言うには「公務員の無駄使いがいけない。公務員がいけない。日本を悪くしている。」という。そう言ってるわりには、言った本人も含め周りのほとんどの子がみんな公務員になりたがっている。これってどう考えてもおかしい。

 たこやきの次回の話に期待したい。

荘川桜

2005年10月24日 21時58分29秒 | 旅行(山行以外)

先日の飛騨方面の旅行で、バスの車窓から垣間見ただけであったが、あの「荘川桜」を見ることができて感無量だった。

私が荘川桜を知ったのは一昨年秋の「NHKアーカイブ」。日曜の深夜NHKが放送するこの番組は昔の「日本紀行」「新日本紀行」や「NHK特集」(今のNHKスペシャル)などを再放送してくれる貴重なものだ。加賀美アナウンサーが担当されているのも落ち着きがあって安心できる。

私が荘川桜に辿りくまでの順番は次の通り。実際の順とまったく逆である。
(1) さくら道マラソン
(2) 国鉄バス名金線の佐藤良二さんのさくらの植樹活動
(3) ダム建設と桜の移植

まずはさくら道マラソンから。
毎年5月の連休にかけて名古屋から金沢までの270キロを三日三晩を通して走り切るという超ハードなマラソンがあることをNHKのアーカイブで知った。
 さくら道ウルトラマラソンは、名古屋市と金沢市を結ぶ名金線のバス(昔はこんな長い普通のバス路線があったのだ。)の車掌をしていた佐藤良二さんにちなむものだ。佐藤さんは同僚(その方野名前も偶然だが佐藤)と二人で名金線を桜でつなごうと、桜の育苗からすべて自分の蓄えからまかない、少ない休暇を利用してもくもくと桜の苗を植え続けた。2000本あまりの桜を植えたころ佐藤さんは病魔に侵され、47歳でこの世を去る。(同僚の佐藤さんも後を追うように他界)思い半ばにして他界された佐藤良二さんたちの思いに感銘を受けた海宝道義(かいほう みちよし)氏らが呼びかけ人となって始まったのが本マラソン。たいへんハードなマラソンで金沢駅までの完走者は毎年半分にも満たない。
 現在高山市となったが旧荘川町と白川村を結ぶ国道156号線沿いには桜が植樹され、佐藤さんの夢見たさくら道にちなんで桜街道と名づけられ、その季節には大勢の見物客が訪れる。
 佐藤さんが桜の植樹をはじめるきっかけとなったのが御母衣(みぼろ)ダム建設に伴う村の水没。2本の桜はダム建設のために村と共に沈む運命だったが、心ある人々の奮闘によって現在の場所に移植された。NHKプロジェクトX「桜ロード 巨木輸送作戦」でも詳しく取り上げられている。
http://www.nhk.or.jp/projectx/89/index.htm
ちなみに荘川桜はソメイヨシノではなくエドヒガンザクラ。
来年の桜の季節にはなんとか満開の荘川桜をこの目で見てみたいものだ。
(下の写真は満開時のもの)


グルメギャラリーその3(特別編)

2005年10月23日 10時50分00秒 | グルメ
グルメギャラリーだが、今回は17~18日の上高地・新穂高温泉・白川郷訪問の旅でいただいたものをご紹介。
(1)T田氏お手製のカニグラタン。早朝のバスの車中でいただいた。暖かいのが嬉しかった。(2)上高地手前の「盛善」でいただいたそば(3)西穂ロープウェー山頂でいただいた天然水コーヒー(4)ホテル新穂高の夕食。右上は岩魚の刺身で絶品だった。(5)同じく飛騨牛のホウバ味噌焼き(6)虹鱒の串焼き(7)茗荷寿司(8)そば(9)フカヒレ入りの茶碗蒸し。かけてあったあんが上品だった。(10)デザート(11)白川郷での昼食。
よくぞ食べたもんだ。