戦闘の最前線に立つのはいつの時代も若者達だ。
ベトナムもそうだったし、イラク戦争でもそれは変わりない。
今から61年前の硫黄島の戦いでも日米合わせて4万人近くの
死傷者が出ている。しかも、米国側の死傷者が日本を上回って
いる。その多くが海兵隊所属の若者達だ。(今、沖縄にいる
米軍の主力も海兵隊員だ。)
本土防衛をその任としない特異な「侵略専用」の軍隊。それが
米海兵隊だ。(空母や攻撃機、ヘリ部隊などを独自に保有し
機動力を誇る立体的な軍隊である。)
上陸後の凄まじい戦闘シーンは「プライベートライアン」の
オマハビーチの戦闘を想起させるが、映画の主題は戦闘そのも
のよりも冒頭の写真でアメリカ国旗を掲げようとしている若者
達(生き残った3人)の「その後」である。偶然、その場に居
合わせたことで、彼らの人生は翻弄されていく。
「ラジオがなかったらヒトラーの台頭はなかった。」と伊藤乾
は言っているが、世界規模の大戦は情報伝播技術の大規模な普
及と切り離して考えることはできない。
この1枚の写真が、長引く戦争に厭戦的だった当時の米国内の
空気を一掃し、海兵隊の名を不動のものにしてしまう・・・・。
帰国した「硫黄島の英雄」の彼らを待っていたのは、国中から
の賞賛の嵐と新たな「任務」であった。もちろん、大統領直々
(ルーズベルト)の陰謀である。
すなわち継戦に必要な140億ドルもの「戦費」の調達のため
の戦時国債購入を広く米国民に呼びかける歩く広告塔として、
「英雄」たちを米国中行脚させるというものだ。
この先の展開は映画を見ていただくとして
今月の中旬に訪ねた沖縄の平和資料記念館にも硫黄島の戦いは
詳しく展示されていた。硫黄島の陥落により日本の絶対防衛圏
は崩れ次は沖縄上陸という空気は瞬く間に伝播し「沖縄戦」の
準備が始まって行く。
沖縄戦に関しては日米双方ともこの硫黄島の戦闘の経験から多
くの教訓を導き出したが、結果的にはそのことが民間人を多く
の戦闘に巻き込み、その挙句に自軍(日本軍)による島民の監
視や「処刑」が行なわれるという陰惨な結末をもたらすことにも
なる。(下の写真は壕に避難した沖縄の住民を監視する日本兵:
平和資料館の展示より)
なお本作は今回のアメリカ編に続き日本編(邦題は「硫黄島から
の手紙」)が12月9日から上映される。
こちらもぜひ観ようと思っている。