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森羅万象 ~ 歩く印象派

あなたの大腸がん発症率は?肥満度などで簡単に

2010年12月22日 18時31分17秒 | 歩く印象派
2010年12月22日13時17分 読売新聞

 飲酒や喫煙など五つの指標を使い、中高年の男性が10年間に大腸がんを発症する確率を簡単にはじき出す方法を国立がん研究センターのチームが考案し、22日発表した。

 一人ひとりの発症危険度を下げる努力目標として活用できそうだ。

 大腸がんとの関連が指摘されている年齢、肥満、身体活動、飲酒、喫煙の5項目で危険度に応じて点数を割り振った。合計点数で10年間の大腸がんの発症確率を導き出す。飲酒や喫煙を控えれば、個人の発症確率の低下が具体的にわかる。

 対象は40~69歳。たとえば50歳の人は、肥満度(体格指数=BMI)、身体活動、飲酒、喫煙の4項目が最も危険が低い場合、2点になり、発症確率は0・7%、逆に最も高い場合は7点で3・3%となり、同じ年齢でも最大5倍前後の差がつくことになる。女性は統計的に差が出なかった。

靖国合祀、国の協力は違憲=取り消し請求は退ける―大阪高裁

2010年12月21日 23時45分06秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
時事通信 12月21日(火)21時50分配信

 第2次世界大戦の戦没者らの遺族9人が、意思に反して合祀(ごうし)され、精神的苦痛を受けたとして、靖国神社と国に合祀取り消しと1人100万円の慰謝料を求めた訴訟の控訴審判決が21日、大阪高裁であった。前坂光雄裁判長は、国が戦没者の調査などに協力したことについて「宗教行為そのものを援助、助長した」と述べ、憲法の政教分離原則に違反したとの判断を示した。弁護団によると、靖国合祀をめぐる違憲判断は初めて。
 一方、遺族の請求については、すべて退けた大阪地裁判決を支持し、控訴を棄却した。遺族は上告する方針。
 判決は、戦後も国が1971年まで戦没者の個人情報を靖国神社に通知するなどして合祀に協力したと指摘。「合祀に必要不可欠とまでは言えないが、協力が大きな役割を果たし、合祀に影響を与えた」と認定した。
 敬愛追慕の情に基づく人格権が侵害されたとの遺族の主張に関しては、「靖国神社の教義や宗教活動に内心で抱く個人的な不快感や嫌悪感を言い表したに過ぎず、法的保護に値する権利とは言えない」と大阪地裁の判断を踏襲した。
 弁護団の加島宏事務局長は、判決後の記者会見で「憲法違反を初めて認めた。障害を乗り越える土台が一つ築けた」と評価。一方、父が合祀されている菅原龍憲さん(70)は「遺族の意思を無視して、神社に祭る自由があるのか。非常に無念」と判決を批判した。 

検察さまの力が生んだ新聞の「書き捨て御免」「日本マスコミ型調査報道」の歴史が終わった

2010年12月03日 14時22分15秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010.12.02(Thu)  烏賀陽 弘道

村木厚子・元厚生労働省局長事件が冤罪という最悪の結末を迎え、証拠偽造までが明らかになった今、日本の報道が21年間依存してきた「報道と検察の共存共栄モデル」も終わってしまった。

 前回は、報道と検察が取材情報や捜査情報を分かち合うことで、お互いの目的を達するという共存共栄の構図を説明した。

 今回は「報道と検察の共存共栄モデル」で、検察と報道が共有しているもう1つの利益について書こうと思う。

 記者の立場から言えば、検察ほど心強い「権威付け機関」はない。なにしろ、人を逮捕して閉じ込め、犯罪者として刑務所に入れてしまうだけの強制力を持った「最強の国家権力執行者」なのである。

 権力が強大であるがゆえに、その執行は「慎重なうえにも慎重である」建前になっている。その捜査機関が報道を追認した=「報道内容は限りなく真実に近い」という「日本最強の裏付け」なのだ。

 また「報道が検察の捜査を動かした」という事実そのものが、報道にとっては最高の勲章でもある(しかも地方公務員の警察官とちがって、検察官は国家公務員であり司法試験に合格した法曹職だ)。

 1つ注意してほしい。こうした「官の権威依存型調査報道」は「ワシントンポスト」紙によるウオーターゲート事件報道のような、「報道した内容には報道機関が自分で責任を取る」(=捜査機関など他者の追認がなくても、自分たちの調査だけで真実性を保証する)という内容ではない。アメリカ型調査報道とは異なり、他者の追認によって(=特に公的機関の「権威の保障」をもらうことで)真実性を担保するという発想である。

 意識的なのか無意識的なのかは分からないが、日本報道各社はこうした「報道するという行為そのもの」にも「官庁依存」の傾向が見える。
検察官に「当てて」さえいれば「書き捨て御免」

 検察という「調査専門組織」が高い確度で「事実だ」と推定していることは、確かに他にはない重みがある。しかし、この「真実性の担保を検察に委ねる手法」は、リクルート事件以降、次第に少しずつ逸脱した形跡がある。

 記者は、「裏付けを取る」ために、どんな情報も報道前に検察官に「当てて」みる。自宅でも通勤電車での飲み屋でもいいからネタを話してみて、相手の反応を見る、という作業である。

 その反応によって「記事にしても大丈夫だ」と感触を得れば「Xも把握している」「Xも関心を持って推移を見守っている」「Xも立件を視野に情報を収集している」と、主語Xを「特捜部」「検察当局」「検察関係者」(地検以上の高検や元検事のOBに当てることもある)などと描写し、述語を変えていくのだ。この辺の「厳密さ」「いい加減さ」は記者、新聞社によって差がある。

 検察官に当ててさえいれば、立件されそうにない情報でも、「検察が『把握』していることは間違いないから、そう書いておけば間違いではない」と、だんだん横着になっていく。

 当事者以外は、「新聞には『検察が立件を視野に入れている』と書かれていたが、起訴されなかったな」などとは覚えていない。

 ここに「書き得」「書き捨て御免」の誘惑が働くことを見逃してはならない。事件の当事者が後になって「新聞に、あることないこと書かれた」と憤るのは、こうした構造があるからだ(テレビは記録を残すのが手間なので憤激を買う確率が低い)。
検察が一緒に動いてくれることは心強いお守り

 そして、これが一番大事なのだが、検察が立件した事件では、記事を書かれた当事者が新聞社(あるいは取材源)を相手に名誉毀損訴訟を起こすことはまずない。提訴しても、裁判官は検察を盲信する傾向があるから、検察が起訴した人間に勝たせる(=名誉毀損罪の成立を認めない)ことはまずない。

 検察事件ではないが、消費者金融の「武富士」がフリージャーナリスト3人を名誉毀損で訴訟責めにした「武富士裁判」では、経営者が逮捕・起訴されたとたんに、手のひらを返したように裁判官たちがジャーナリストたちに好意的になった。

 「検察(そのほか捜査機関、監督官庁)が一緒に動いてくれること」は、激しいリスク回避体質の新聞社にとっては、何より心強い「お守り」なのだ。

 察しのいい読者はもうお気づきだろう。自分たちが記事の信憑性や正統性を担保するために依存している「権威付け機関」の不祥事を暴くような真似を、新聞社がするわけがないのだ。権威崩壊はもちろん、権威に傷がついてもらっては困るのは新聞社自身なのである。

 「検察は、権力行使には慎重なうえにも慎重であるはずだ」とは、もちろん現実ではない。発言者の願望に過ぎない。が、世間は長らくそう信じてきた。

 新聞社も、その信憑性に便乗してしまえば、最後の事実の詰めはしなくてもよい。「検察によると」という枕言葉で「その報道の根拠は何か」と問うことができないブラックボックスに投げ込める。

 検察は、「捜査中なので言えない」「公判中なので言えない」と言えば「国民の知る権利」を侵害しても許される(と勝手に思っている)秘密主義官庁だ。公的には信憑性の担保は「検察××によると」以上に立ち入ることができない。

 新聞はじめ記者クラブ系メディアにとって「検察によると」「検察は~した」という主語は、魔法の杖のような効果がある。かくして「検察の不祥事やエラー、失敗に対しては、(無視しないまでも)できるだけ消極的に扱う」という逆インセンティブが働く。

 2002年4月に、検察の裏金を実名で告発しようとした矢先に逮捕された三井環・元大阪高検公安部長を、当時の新聞は「暴力団と交際」「不動産取引の不正」という、言うならば「悪徳検事」という論調一色で報道し、裏金告発との関連にはほとんど触れなかった。

 よく報道側は 「検察の不祥事や都合の悪いことを書くと、出入り禁止などの報復を加えられるので」と言い訳する。とんでもない。人のせいにしてはいけない。検察の不祥事に消極的になる理由は、報道の側にもちゃんとある。

 こういう文脈で見ると、朝日新聞社が大阪地検特捜部の証拠偽造をすっぱ抜いた記事がいかに「異端」かが分かる。朝日に限らず、日本の新聞が検察の内部不正や腐敗を敵対的に発掘したのは初めてではないか(書かないよりは素晴らしいが、今まで書かなかったことの方が深刻だ)。
検察の強引な捜査は存在しないのと同じだった

 検察にとっても、新聞(はじめ、マスコミは全部)が一緒に動いてくれることは、心強い味方だ。先ほどの三井氏が、検察官としての捜査を振り返ってこう記している。

 「それを検察用語では『風を吹かす』という。検察はリークでマスコミを通じて味方につけようとするのだ」(同氏著『検察の大罪』講談社)

 「まず捜査に世論の追い風を吹かせる必要がある。このためにリークをするのだ。追い風が吹けば、捜査がやりやすくなる。被疑者以外の参考人の事情聴取でも、追い風が吹いていると調書がとりやすい」(同)

 これは記者の側から見ると非常にリアルで、まったく首肯できる話だ。

 今でこそ「あらかじめ用意されたストーリーに沿って架空に近い調書を取る」「調書を検事が作文した」といった「強引な捜査」が大問題のように批判されているが、村木局長冤罪事件以前、マスコミが問題にしなかった頃には、誰も気にもとめなかった。

 実際には少なくとも過去10年はそうした事件が続き、指摘も出ていたのに、である。

 マスコミが批判しなければ、世論の非難もわき起こらず、検察の冤罪スレスレの強引な捜査は「存在しないのと同じ」だったのだ(詳しくは青木理『国策捜査』参照)。

 私は検察と記者が宴席を共にし、金品をやりとりし、ゴルフや麻雀など遊興に興じているから両者が癒着している、という見方は浅薄にすぎると思う(まあ、もちろんそういうベタベタの関係の連中もいるだろうが)。もともと両者は利害が一致しているから、放っておいても組織が自然に歩調を揃えてしまうのだ。だから両者も、「え? 何がいけないの?」ときょとんとしていることだろう。
日本の新聞はもはや手も足も出ない状況に

 こうやって順を追って検証してみると、村木局長無罪判決~大阪地検の証拠偽造・隠蔽と至る検察腐敗の発覚が、「日本マスコミ型調査報道」にいかに破壊的なインパクトを与えたか、お分かりだろう。

 もう、「検察に当ててみたか」「?幹部はどう言っている?」「大丈夫。書いていい」というよう、「真実性保障ブラックボックス」として検察を使うことはできなくなった。信用性だけの問題ではない。検察と歩調を揃えて調査報道をすれば「癒着」と轟々と非難されることだろう。

 村木事件の裁判を見ると、これまで検察に大甘、ノーチェックに等しかった裁判官ですら「検察の言うことは信用できない」とさっさと見切りをつけてしまったことが分かる。

 おそらく検察の権威を利用しようにも、裁判所はもう信用しない。名誉毀損訴訟も頻発するだろう。報道側は特捜事件の報道で訴訟を起こされ、負けるかもしれない。

 日本の新聞はじめ企業マスコミは訴訟リスク回避で凝り固まっている。しかし、頼りとする信憑性の守護神=検察はズタボロだ。これでは手も足も出ない。深部をえぐるような調査報道はますます減っていくだろう。

 「リクルート事件」~「村木厚子局長事件」と21年間続いた「日本マスコミ型調査報道」の歴史が今、終わったのだ。

週刊こどもニュース終了へ 実はお年寄りに人気、衣替え

2010年12月03日 06時15分14秒 | 歩く印象派
2010年11月17日22時7分 朝日COM

 NHKは17日、総合テレビで毎週日曜日の朝に放送している「週刊こどもニュース」を12月19日の放送で終了すると発表した。ジャーナリストの池上彰さんが「おとうさん」役を務めたことで知られる子ども向けのニュース解説番組が、16年の歴史に幕を下ろす。代わりに、家族全体を対象にした番組「ニュース深読み」を1月15日から毎週土曜日に放送する。

 「こどもニュース」は1994年4月に始まった。「こどもたち」が「父母」に質問することで、様々な社会問題をわかりやすく解説していく。池上さんは放送開始時から05年3月まで出演した。

 番組終了の理由について、日向英実放送総局長は「こどもニュースといいながら、実際の視聴者は高齢者が多いため」と説明。「ニュースをわかりやすく伝える」という趣旨は「ニュース深読み」にも引き継がれるが、その手法や出演者は未定という。

雪崩 重体の男性死亡 富山・立山

2010年12月02日 13時22分22秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)
毎日新聞 12月2日(木)11時47分配信
スキーヤーら6人が雪崩に巻き込まれた現場=富山県立山町の室堂平付近で2010年11月30日、本社ヘリから岩下幸一郎撮影

毎日新聞 2010年11月30日 11時02分

 30日午前8時55分ごろ、富山県立山町芦峅寺(あしくらじ)、立山黒部アルペンルートの大谷付近(標高約2400メートル)で、スキーヤーら男性6人のグループが雪崩に巻き込まれたと119番通報があった。6人とも救助されたが、富山県警上市署によると、うち東京都世田谷区の武田悠(ひろし)さん(32)が死亡▽長野県小谷村千国甲、会社員、磯川暁(あき)さん(33)が意識不明の重体▽東京都練馬区氷川台、会社員、佐藤拓郎さん(30)が頭に軽傷▽横浜市南区中島町、会社員、田中嵐洋(らんよう)さん(28)が肋骨(ろっこつ)川崎市多摩区登戸、会社員、江草朋樹さん(31)が左脚を折って県の防災ヘリなどで富山市内の病院に搬送された。神奈川県逗子市新宿の会社員(38)にはけがはなかった。

 同署によると、6人は29日に入山。同日は悪天候で滑走できず、立山登山の入山拠点として知られる室堂ターミナル近くでテントを張って宿泊した。30日朝から2人がスキー、4人がスノーボードで滑走中、雪崩に巻き込まれたという。江草さんが携帯電話で通報した。6人はいずれも無線信号で遭難者の居場所を知らせる「雪崩ビーコン」を持っていた。

 現場は室堂ターミナルの西約700メートル。付近のこの日午前7時現在の天候は、快晴で気温氷点下12.1度、積雪180センチだった。

 立山黒部アルペンルートは富山市と長野県大町市を結び、全長約90キロ、標高差2450メートル。一般車は入れず、ケーブルカーと高原バス、トロリーバス、ロープウエーなどを乗り継ぐ。冬季は閉鎖されるため、30日が営業最終日だった。

 雪崩があった大谷付近は「雪の大谷」と呼ばれ、雪の壁が両側に迫る観光名所。最大積雪は20メートルにもなる。


衝突直前!? 2つのブラックホール

2010年12月01日 22時50分27秒 | 地球の不思議・宇宙の不思議
産経新聞 12月1日(水)7時58分配信

 北の空のアンドロメダ座にある巨大楕円銀河「3C66B」(距離約2.8億光年)の中心で、2つのブラックホールが互いに回転しながら近づき、あと500年程度で衝突する状態にあることが、国立天文台、名古屋大、岐阜大のグループによる観測で分かった。1日発行の米天体物理学専門誌で発表した。

 研究チームは平成15年、3C66Bの中心核の公転運動を観測し、ペアのブラックホールの存在を発見。今回、国立天文台の野辺山観測所(長野県南牧村)のミリ波干渉計と、フランスのビュール高原電波干渉計(PdBI)の観測により、2つのブラックホールが太陽と地球の距離の1000倍程度まで接近し、衝突まではあと500年程度と推定されることを突き止めた。

 誕生から137億年の宇宙の時間スケールでは500年は“一瞬”。衝突直前の2つのブラックホールの存在を強く示唆する観測は世界で初めてという。小さな銀河が次々に衝突して巨大楕円銀河や巨大ブラックホールができていくとする銀河形成仮説を裏付ける成果で、研究グループはさらに詳細な観察を続ける。

「内燃化」する?中国の民主化運動 

2010年12月01日 19時43分41秒 | 歩く印象派
東亜コンテンツ

大江志伸(江戸川大学教授)

 中国の温家宝総理が第十一期全国人民代表大会第三回会議で行った政府活動報告は、経済発展モデルの転換などを通して格差是正に取り組む方針を強く打ち出した。経済と並ぶもう一つの注目点である政治体制改革については触れなかった。だが、その足元では、民主化、人権運動の「内燃化」とも呼ぶべき動きが出ている。 さる二月十二日、 一人の中国人男性が成田空港から、 上海の自宅に帰着した。 中国の人権活動家、 馮正虎氏、 五十五歳。 ほぼ一年ぶりの我が家だった。 馮氏は一九八九年の天安門事件で武力弾圧を批判する声明を出し、 中国企業発展研究所所長の職を追われた。

 以後、 民主化や人権活動を続けてきた馮氏は、 二〇〇九年二月、 市民の陳情に同行した北京で拘束され、 国外に出ることを条件に釈放される。

 一橋大学大学院への留学経験があり、 実妹が日本人と結婚し千葉県に在住しているため、 馮氏は出国先に日本を選んだ。 中国政府の締め付けがピークとなる天安門事件二十周年 (六月四日) が過ぎるのを待って帰国の途に就いたが、 上海の空港で入国を拒否される。 以来、 八回帰国を試みるも、 その都度、 強制的に日本行きの飛行機に乗せられる追放措置が繰り返された。

 馮氏は中国政府に抗議するため、 日本に入国せず、 二〇〇九年十一月から成田空港・入国審査前の制限エリアで寝泊りする 「籠城」 行動に出る。 その間約三カ月、 携帯電話を使ったミニブログ発信や一般紙の報道を通じ、 籠城への関心と支援の輪が徐々に広まり、 これが馮氏の帰国実現を後押しする結果につながったといえる。

 中国大陸では、 共産党政権に対する様々な抵抗・抗議運動が日夜繰り返されている。 馮氏の 「籠城」 行動は舞台が日中両国にまたがり、 一部国内紙が報道したことで、 世人の知るところとなった。 その点、 九牛の一毛かもしれないが、 執拗な妨害をはねのけ帰国した馮氏の行動は、 中国国内における新たな政治潮流を示す一例であることは間違いない。

 奇しくも、 馮氏が帰国を果たした前日の二月十一日、 国際社会が注視する中、 反体制作家、 劉暁波氏の控訴審判決が北京市高級人民法院 (高裁) であり、 懲役十一年、 政治権利剥奪二年が確定した。 劉氏の罪状は国家政権転覆扇動罪だった。 二〇〇八年末、 劉氏が起草しネット上で発表した 「〇八憲章」 や六件の論文で、 中国共産党の一党独裁を批判し、 「中華連邦共和国の建設」 を訴えたことが、 同罪に当たるとされている。

 劉氏は、 一九八〇年代、 気鋭の評論活動で頭角を現した。 米国の大学で研究生活を送っていた八九年、 天安門事件が起きるや帰国して学生らの運動に参加。 一年八カ月の獄中生活の後、 言論活動を通じ中国の民主化を訴え続けてきた経歴は周知の通りだ。 影響力の拡大に手を焼いた当局は、 海外出国を働きかけたが、 劉氏は 「あくまで国内にとどまり、 体制批判を続ける」 との姿勢を崩さなかった、 と伝えられる。 今回の重刑確定は、 当局の抵抗封じであるとともに、 劉氏自身にとっては、 徹底抗戦の延長であり、 覚悟の入獄だったといえる。

 中国の主だった民主化・人権活動家は、 天安門事件に関与した学生や在米ウイグル人、 ラビア・カーディルさんのように、 弾圧を受けて国外に脱出するか、 亡命に追い込まれるケースが多かった。 共産党政権が国際批判をかわすため、 「釈放」 「出国」 を外交カードに利用した事例も多い。

 帰国に踏み切り人権活動の再開を宣言した馮氏、 信念に従って泰然と獄についた劉氏。 二人の行動は、 「出国」 という形で厄介な異分子を除去してきた当局の古典的手法に真っ向から挑戦するものだ。 天安門事件後に米国移住した元学生組織幹部、 周勇軍氏のように、 拘束覚悟で民主活動家が帰国するケースも出始めている。 中国の民主化運動の 「内燃化」 と形容できる新たな潮流を感じさせる。

 「内燃化」 には様々な事情があろうが、 最大の要因はやはりネット社会の急拡大だろう。 前述したように、 馮氏は携帯電話を使ったミニブログの情報発信で支援の輪を広げていった。 劉氏がネット上で発表した 「〇八憲章」 は、 当局の規制にもかかわらず瞬時に中国内外に流れた。 当初、 作家、 学者ら三百人強だった賛同署名者は一万人前後に達したという。 国内にとどまり、 世論形成の最大の武器に育ったネットを通じて主張を広げ、 政治、 社会の変革を迫る--。 劉氏の計算がそうなら、 現時点ではかなりの部分達成したことになる。

 この 「内燃化」 の潮流が奔流となり、 変革への呼び水となるのかどうか。 展望は不透明だ。 サイバー言論の空間拡大に比べ、 現実社会では、 抑圧、 分断、 懐柔という旧態依然の手法で異議申し立てが封じられる状態が続いているからだ。 劉氏のケースを見ても、 懲役十一年という重刑で抑圧して、 賛同者と分断し、 劉氏以外の憲章起草者らは拘束せず、 事態拡大の防止と懐柔を図る狙いが透けてくる。 上海に帰還した馮氏も、 厳しい環境下での活動となろう。 その困難さは容易に想像できる。 というのは、 筆者自身、 読売新聞記者として北京に駐在していた時、 心ならずも中国の情報機関、 国家安全部と 「対峙」 した経験があるからだ。 事件を報じた一九九八年十月七日付、 『読売新聞』 記事の一部を紹介しよう。

 「中国の北京市国家安全局はこのほど、読売新聞中国総局・北京支局記者 (39) の取材活動に違法な点があったとして、 国外退去を通告、 同記者は六日、 日航機で帰国した。 同記者は先月二十七日、 国家安全局に同行を求められ、 事情聴取を受けるとともに支局などの捜索で所持品を押収され、 この後二十八日、 今月四日にも取り調べを受けた。 調べの過程で、 当局は押収された資料の中に 『国家機密』 とする文書があるとし、 その所持は国家安全法に違反すると指摘した。 中国当局は取材源を明かすよう繰り返し要求したが、 同記者は一貫して供述を拒否した」。

 当時、 総局長だった筆者は、 捜索の立ち会い、 事情聴取手続きの確認、 国家安全局や中国外交部への抗議に追われた。 そして最も神経を使ったのが同僚記者とその家族、 筆者自身の 「身体の安全」 だった。

 「記者の行動は通常の取材活動の範囲内だった」 (読売新聞編集局長談話) にもかかわらず、 取材源を頑として明かさない記者に対する取り調べは苛酷なものだった。 国際基準である母国語での供述すら認めなかった。 記者や筆者は二十四時間態勢で監視され、 眼光鋭い屈強な安全部員が周囲を取り巻くなどの 「圧迫尾行」 を繰り返された。 深夜の睡眠妨害もあった。 記者の退去後は、 帰国準備中の家族に執拗な嫌がらせが続いた。

 中国国内の民主化、 人権活動家や批判勢力に対する 「力の行使」 は、 さらに苛酷なものだろう。 多様な抗議行動の多発は、 抑圧される人々の量産を意味する。 しかも、 当局の弾圧を逃れ、 出国するケースは極めて稀だ。 共産党政権は、 「内燃化」 する民主化運動のシリンダー内エネルギーを自ら蓄積していることを直視すべきだ。

 共産党政権が準備を進める 「ネット実名制」 や言論統制の強化では、 真の安定は得られまい。 国力伸張目覚しい今こそ、 政治改革論議を着実に進める好機であるはずだ。

(このページの記事は財団法人・霞山会から提供を受けたもの)
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