2012年8月31日 東京新聞社説
浜岡原発(御前崎市)再稼働の是非を問う住民投票条例の制定に、静岡県知事が賛意を表明した。政府も「過半が脱原発を望む」と国民的議論を総括。福島事故から一年半。民意は熟しつつある。
十六万五千百二十七人の「民意」は、重い。
福島第一原発事故のあと、原発再稼働の是非をめぐって住民投票を求める市民の動きが盛んになった。だが、大阪市では五万人、東京都では三十二万人 を超える有効署名がありながら、それぞれ議会が条例案を否決した。橋下徹市長、石原慎太郎都知事とも反対意見を付けていた。静岡県の川勝平太知事も従来、 再稼働は「マルかバツの単純な問題ではない」などとして、住民投票には、消極的な立場を取ってきた。
選挙で選ばれた首長や議員は「代表制の否定だ」と、住民投票を嫌う傾向がある。「直接民主主義はまだ地に着いていない」という川勝知事の言葉もあった。
しかし、福島事故からやがて一年半、国民は原発事故の惨状を目の当たりにし、福島県民の悲しみを感じ取り、電力会社や国の事故対応を見守ってき た。ましてや、静岡県は長年、東海大地震の脅威に向き合ってきた土地柄だ。二十九日には南海トラフの巨大地震で浜岡原発を最大十九メートルの津波が襲うと 公表された。署名は、一時の感情によるものではありえない。生活実感からにじみ出た、やむにやまれぬ行動であり、積もり積もった危機感の表れなのだ。
「今を生きる大人の責任として、原発問題とはしっかり向き合わなければならない」。川勝知事に県民投票への賛同を求める手紙を手渡した母親グルー プの言葉である。住民はただ反対を唱えるだけでなく、自らが使うエネルギーの選択も含め、原発問題の現実に真っすぐ向き合おうとし始めたのだ。それは二〇 三〇年の原発比率をめぐる「国民的議論」の結果にも、色濃く表れたばかりである。
原発関連の住民投票条例は、一九八二年の高知県窪川町(現四万十町)以来、七市町村で制定された。このうち、新設をめぐって、九六年の新潟県巻町 (現新潟市)と〇一年の三重県海山町(現紀北町)、〇一年には使用済み燃料を再利用するプルサーマル計画の是非を問う新潟県刈羽村でも実施され、いずれも 計画中止の契機になった。
今度は、静岡県議会が署名簿と真摯(しんし)に向き合って、その重みをよく考える番ではないか。