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森羅万象 ~ 歩く印象派

「中国に人権はない」 上海の繁華街が一時騒然

2011年02月21日 02時26分14秒 | 歩く印象派
20日午後、上海市内の人民広場近くに集まった若者を連行する公安関係者。上海では少なくとも3人の中国人男性が身柄を拘束された(河崎真澄撮影)

2011.2.20 20:22

「中国に人権はない」。政治改革を求める集会開催の呼び掛けがあった中国。上海市の繁華街では20日午後、集合場所とされた商業ビル前から若者らが連行され、居合わせた人たちが大声で抗議するなど、騒然とした雰囲気に包まれた。

 若者らは警察官に両脇を抱えられ「なぜ捕まえるんだ」などと叫びながら抵抗。商業ビルから100メートルほど離れた警察署に無理やり連れ込まれた。居合わせた数人の年配者らが警察署前で「中国には人権も法治もない。警察はならず者だ」と大声で抗議し、うち男性1人が連行された。

 商業ビル前では、若者らが連行された後も「ネットで知ってやって来た」という若者らが歩き回っていた。警察官約40人が警戒し、集まっていた数百人を立ち去らせた。(共同)

首都圏で開業相次ぐ「死者のホテル」 1泊7350円~、24時間面会可能など

2011年02月15日 01時32分36秒 | 歩く印象派
2011年1月29日 14時00分 * エキサイトニュース


首都圏で開業が相次ぐ「死者のホテル」。一時的に遺体を預かる遺体安置という新サービスは、葬儀に対するニーズをどこまで掘り起こせるか。

 高齢化や核家族化、不況などの影響により、小規模な葬儀が増える昨今。親族だけで行う「家族葬(密葬)」や、式を行わず火葬だけを行う「直葬」が浸透しつつある。なかでも「直葬」の増加は著しく、第一生命経済研究所によれば、都内では「直葬」が葬儀全体の2~3割を占めるという。

 急増する「直葬」に異議を唱えるのが、病院と斎場の間に位置する「死者のホテル」だ。病院で肉親を亡くした場合、通常は霊安室から数時間程度で出なければならず、遺族は悲しみに暮れる間もなく葬儀の準備に追われることが少なくなかった。そこで、故人を斎場に送る前に、一時的に遺体を預かることで、遺族にじっくりと葬儀について考えてもらおうというのが「死者のホテル」なるものだ。

 昨年6月に開業されたのが、神奈川県西区の「ラステル久保山」。施設名には、故人が最期の夜を過ごす「ラスト・ホテル」という意味が込められている。5階建ての施設には、広々としたロビーや総合受付が設置され、ビジネスホテルさながらの雰囲気。2階は枕飾りまで用意された明るい個室で、故人と24時間面会できる部屋がある。遺族はカードが手渡され、面会室にあるセンサーにカードを差し込むと、冷蔵安置室から故人が搬送される仕組みになっている。また、僧侶が24時間待機し、希望があれば枕経も唱えてもらえる。遺体の安置は1泊1万2600円。同施設で葬儀まで行うことも可能だ。

 一方、昨年12月に開業したばかりの「りすセンター・新木場」(東京都江東区)でも、葬儀社を決めるまでの間、冷蔵安置室で遺体を預かってくれる。感染症予防のため、処理室には殺菌灯を取り付けたり、遺体の取り間違いないようにバーコードで管理するなど、遺体の管理に余念がない。また、故人の傍らで一夜を過ごせる和室の夜伽(よとぎ)部屋を設け、遺族が故人をしのぶ場所も提供する。気になる宿泊費は1泊7350円。

 これらの宿泊料を高いと見るか、安いと見るかは個々の判断によるが、時間に追われるあまり他の葬儀社と比較なしに決めてしまい、「葬儀の内容と価格が見合わなかった」という失敗を経験した人も多いのでは。「死者のホテル」という新しいサービスが、どこまで葬儀に対するニーズを掘り起こせるか今後に注目したい。

立山・御前沢雪渓、実は氷河!? レーダーで巨大氷体とらえる

2011年02月07日 21時39分55秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)
 2011.2.7 20:43

 巨大な氷の塊が、大河のようにゆっくりと谷間を流れる。氷河は日本列島には現存しないと長く考えられてきたが、北アルプス北部の立山連峰にある日本最大級の雪渓が、実は氷河である可能性が濃厚になった。立山カルデラ砂防博物館(富山県立山町)の福井幸太郎学芸員らの観測で、雪渓の本体である巨大な氷体が山麓に向かって流動していることが、初めて確認されたからだ。(伊藤壽一郎)

豪雪地帯

 氷河は、約10万年周期で地球全体が厳しく冷え込む「氷期」に日本アルプスや北海道の日高山脈で広く発達していた。しかし、直近の氷期は約1万年前に終わり、日本の氷河はいったんすべて消滅したとされてきた。現在は、比較的温暖な「間氷期」となっている。

 日本雪氷学会では、氷河を「重力によって長期間にわたり連続して流動する氷体」と定義づけている。山岳地帯に残る万年雪も、氷体化して流れていれば氷河といえるわけだ。

 立山の雄山東麓に広がる御前沢(ごぜんざわ)雪渓は、幅200メートル、長さ700メートルとスキー場がすっぽり入る巨大さで、少なくとも過去100年間、消えた記録がない。

「約10年前から、ひょっとしたら氷河ではないかと考えていた」と、福井さんは話す。

 福井さんによると山岳地に氷河が現存するには一般的に2つの条件がある。夏の気温が低いことと、十分な積雪があることだ。

 御前沢雪渓周辺の夏(6~8月)の平均気温は10度前後で、氷河が存在するには暖かすぎる。しかし、吹き寄せられる分を含めた冬の積雪は20メートルを超える。世界でも指折りの豪雪地帯であることが、暖かすぎる分を補っているのではないか-と福井さんは考えた。

厚さ30メートル

 御前沢雪渓は1931(昭和6)年の調査で、雪が一部氷塊に変化していることや、氷河でよく見られる「ムーラン」と呼ばれる縦穴が確認されている。

 しかし、急峻(きゅうしゅん)な崖に囲まれてアプローチが困難だったため、その後約80年間、調査は行われなかった。

 福井さんらは、最新の観測手法を持ち込んだ。2009(平成21)年9月にまず、電波の反射で雪渓を“透視”する「アイスレーダー」で構造を解析。厚さが最大30メートルの巨大な氷体が、上流側と下流側の2つに分かれていることを突き止めた。

 「やはり単なる万年雪ではなかった。あとは流動しているかどうかだ。流動には一定の厚さが必要だが、30メートルという分厚さなら十分に可能性がある」

GPS観測

 翌10年の8月末に、雪渓上の11点に長さ3メートルのポールを埋め込み、約1カ月にわたって位置変化をGPS(衛星利用測位システム)観測。上部氷体は誤差(5センチ程度)の範囲にとどまる動きしかなかったが、下部氷体は39日後に山麓方向へ6~30センチ移動していた。

 より正確な動きを知るため、10月4~9日に下部氷体の中心部付近で、誤差最大2センチ程度のGPS連続観測を実施。こちらも5日間で山麓方向へ3・2センチ、1カ月当たり約20センチのペースで動いていた。

 「御前沢雪渓が氷河である可能性は非常に高い」と福井さんは結論づけた。ただ、まだ確定はできない。雪氷学会の定義に「長期間にわたり連続して流動」という部分があるからだ。

 「長期間」とは1年以上を指すそうで、確定は早くてもことしの10月になる。確定すれば、地球上でも極めて温暖な場所の氷河となる“御前沢氷河”について、福井さんは規模などから、現在よりもやや寒冷だった古墳時代や江戸時代の小氷期にできたのではないかとみている。「詳しく調査すれば、貴重なデータが数多く得られるはず」と期待を込めて話す。


戊辰戦争でプロイセンに提携持ちかけ 会津・庄内両藩

2011年02月05日 22時59分39秒 | 歩く印象派
駐日代理公使が宰相ビスマルクにあてた文書。冒頭の行に「Aidzu」(会津)「Schonai」(庄内)の文字が見える=ドイツ国立軍事文書館提供、資料番号RM1,867,6r

ビスマルク

2011年2月5日21時0分

戊辰戦争での薩摩・長州を中心とした新政府軍との対決を目前に、会津・庄内両藩がプロイセン(ドイツ)との提携を模索していたことが東京大史料編纂(へんさん)所の箱石大・准教授らの研究で明らかになった。ドイツの文書館で確認した資料は、両藩が北海道などの領地の譲渡を提案したが、宰相ビスマルクは戦争への中立などを理由に断ったことを伝えていた。

 ドイツの国立軍事文書館の資料で、10年ほど前にドイツ側の研究者が存在を紹介したが、詳細が不明だった。

 箱石さんらの調査で確認されたのは、1868年の文書3点。いずれも、ボン大のペーター・パンツァー名誉教授に依頼し解読、日本語に翻訳した。

 (1)7月31日付で駐日代理公使のフォン・ブラントがビスマルクへあてたもの。「会津・庄内の大名から北海道、または日本海側の領地を売却したいと内々の相談を受けた。ミカドの政府も財政が苦しく南の諸島を売却せざるをえない模様」として判断を仰いでいる。(2)10月8日付で宰相からフォン・ローン海相あて。「他国の不信、ねたみをかうことになる」と却下の考えを示し、海相の意向を尋ねている。(3)10月18日付で、海相から宰相への返事。

 この年は5月に江戸城が明け渡され、7月初めに上野で新政府軍と彰義隊との戦いが決着。戦争の舞台が東北へ移る緊迫した時期の交渉。両藩は武器入手のルートや資金の確保を目指したとみられるが、ブラントは「北日本が有利になれば、この申し出は大変重要な意味を帯びる」とも記しており、政治的な狙いも込められていたようだ。

 会津は京都を舞台に長州と激しく対立、庄内藩は江戸警備を担当して薩摩藩邸を襲撃したことがあり、両藩は同盟関係にあった。北海道の領地は北方警備強化のために1859年に幕府が東北の有力6藩に与えた。会津藩は根室や紋別を、庄内藩は留萌や天塩を領有していた。

 箱石さんは「敗者の歴史は忘れ去られ、この交渉も日本にはまったく記録がない。会津と庄内は土地を提供することでプロイセンを味方につけようとしたのだろう。戦争が長引けば明治維新に違う展開があったかもしれない」。

 明治維新を研究する東京大の保谷徹教授は「会津・庄内両藩がよくぞここまで国際活動を展開させたなと驚いた。歴史にはまだまだ知らないことがたくさんあり、その答えが海外に眠っていることを示しているのだろう」と話している。(渡辺延志)

東京スカイツリーは21世紀のピラミッド 池田信夫の「サイバーリバタリアン」 ― 第127回

2011年02月04日 19時43分52秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010年10月13日 12時00分更新 ASCCI.JP

文: 池田信夫/経済学者

スカイツリーで電波障害は増える

 東京都墨田区で建設中の「東京スカイツリー」の高さが488メートルに達し、電波塔としては日本で歴史上第1位になったという。完成すると634メートルで、電波塔としては世界一になるそうだ。
実際に建設を担当している大林組のサイトより。東京タワーの332.6メートルはすでに大きく上回っている

 ところで、このスカイツリーは何のために建てるのだろうか。電波塔というからには、これが建てば今までより電波の届く範囲が広がるはずだが、すでに地デジの関東での電波カバー率はほぼ100%。これ以上カバー率を上げることはできない。スカイツリーは東京タワーより高いので遠くまで電波が届くと思っている人がいるが、東京タワーの電波の届く範囲は関東一都六県に限られており、これ以上広げることはできない。

 ではタワーが高くなると、ビル陰が減って電波が届きやすくなるだろうか。これも今の東京タワーでビル陰になるところは、ほぼ100%ケーブルテレビなどで難視聴対策が行なわれているので、これ以上、受信状態がよくなることはありえない。むしろ東京タワーから移動すると、電波の飛んでくる角度が変わるので、新たにビル陰ができてカバー率が落ちる。デジタルの電波はゴーストが出ない代わり、電界強度が一定以下だとまったく見えなくなる。

 要するに、スカイツリーによって電波事情が改善されるどころか、電波障害が増えるのだ。今までは電波の飛んでいるところにビルが建ったので、「原因者」であるビルの所有者が共聴アンテナを建てるなどビル陰対策を行なうが、電波の角度が変わって電波が受信できなくなる場合の原因者は国だ。全国マンション管理組合連合会は「国がビル陰対策の費用を負担しろ」と主張しているが、政府は補償しないので各家庭が対策を取らなければならない。

地デジの放送には必要のない展望台

 実はスカイツリーの事業主体である東武鉄道も、その目的に「地上デジタル放送の受信エリアの拡大」をうたっていない。その公式ウェブサイトには、こう書かれている。

新タワーに移行すると、地上デジタル放送の送信高は現在の約2倍となりますので、年々増加する超高層ビルの影響が低減できるとともに、2006年4月に開始された携帯端末向けのデジタル放送サービス「ワンセグ」のエリアの拡大も期待されているところです。

 つまりスカイツリーの目的は、ワンセグの受信改善なのである。ワンセグは屋外で使うので、ビル陰に入りやすく、ケーブルテレビなどの手段がないからだ。しかしワンセグはもう成熟商品で、出荷台数は前年割れ。特に最近はiPhoneなどのスマートフォンが増えて、ワンセグ機能はあまり重要視されなくなってきた。ワンセグは視聴率調査の対象にもならないので、テレビ局の営業収入にもつながらない。

 「新東京タワー」の構想が持ち上がったのは、地デジの放送が決まった1997年で、デジタル放送開始と同時に新タワーから放送する予定だった。しかし各社の意思統一ができないうちに2003年に東京タワーで放送が始まってしまい、ビル陰対策も7年かけてほぼ終わった。ところが「地域振興」にこだわった自治体が誘致合戦を繰り広げたため、放送には意味のないタワーをつくることになったのだ。

 石原慎太郎・東京都知事は、2004年の記者会見で新タワーについて質問されて「つくる必要はないと思う。インターネット時代でシステムが変わろうとしている時代に、あんなばかでかいタワーが要るかどうか、それはもう基本的な問題だ」と批判した。建設予定地は航空機の進路にあたるため、都の都市計画審議会では許可が下りず、計画を縮小して墨田区の都市計画審議会で通した。

 だからテレビ局は、スカイツリーの建設費を負担していない。建設費はすべて東武鉄道が出し、テレビ局はそれを借りるだけだ。経費はツリーだけで約650 億円、併設のオフィスビルや水族館など周辺開発を含めると総額約1430億円だが、設備投資を回収するキャッシュフローは展望台などの利用料金だけで、回収期間は25年かかるという。

 要するにスカイツリーは、地デジの放送には必要のない単なる展望台なのだ。こんなものを建てなくても、通信衛星を使えば100億円以下で全国100%に放送できたのだが、ここまで1兆円以上のコストをかけた以上、もう引っ込みはつかない。スカイツリーの建設には世界最先端の技術が使われているそうだが、この無用の長物は、技術者は世界一優秀だが経営者は世界最悪といわれる日本の企業を象徴する「21世紀のピラミッド」である。

八百長疑惑:3年前誘われた…元力士が証言

2011年02月04日 01時08分37秒 | 歩く印象派
毎日新聞 2011年2月3日 15時00分
 「星の貸し借りというやり方がある。金額は1番20万円だ」。08年当時、十両だった元力士が毎日新聞の取材に八百長を持ちかけられたことを証言した。八百長をうかがわせるメールが警視庁が押収した携帯電話に残っていた元幕内力士の春日錦(35)=現竹縄親方=との対戦前日で、仲介役とみられる当時の十両力士は、今回の疑惑で日本相撲協会の特別調査委員会が聴取する13人には含まれていない。角界に八百長がまん延していた実態が浮かんだ。

 元力士は08年に西日本であった場所中、支度部屋の外にある喫煙スペースにいたところ、十両力士が歩み寄ってきて、八百長の誘いをしてきたという。

 元力士はその時、八百長の存在を初めて知ったといい、「春日錦の名前は出してこなかったが、恐らく(春日錦に)言われてこちらの様子を探りに来たのだろう」と振り返る。

 誘いを断ったためか、その後こうした誘いはなくなった。しかし、これ以降、場所中に東西の支度部屋を行き来する特定の力士数人の存在が目に付くようになったという。相撲協会は不文律で東西の支度部屋の往来を禁止しているが、往来を目撃した中には、今回八百長メールのやり取りが確認された三段目・恵那司力士(31)も含まれていたという。

 元力士は「十両下位の力士らがグループを作り、八百長に手を染めるケースが一番多いと聞く。十両は月の手取りが約85万円だが、幕下に降格するともらえるのは2カ月に1回の小遣い約15万円だけ。負け越して降格するくらいなら星を買ってでも残りたくなる」と解説する。

 一方で、今回の八百長メールの発覚については「支度部屋でやり取りをして、取組をした力士同士が口裏を合わせれば絶対に証拠が残らない。痕跡が残るメールでやっていたこと自体が驚きだ」と話した。【袴田貴行】