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毎日新聞 2004年5月3日社説:
憲法記念日 まず改正の目的を語ろう--21世紀、どんな国になりたいか
今日は憲法記念日。憲法を考える日だ。今年は従来にない状況下で憲法を考えなければいけない。戦闘行為がやまないイラクに、復興支援の名目で自衛隊を派遣している現実が憲法に重くのしかかっている。憲法制定当時は想定していない国際状況に対応するため政治的決断として新しい法律、イラク特措法を作った結果だ。
憲法を変えない範囲で綱渡りのような新思考が必要だった。政府が編み出した非戦闘地域という概念はおそらく現憲法下で駆使しうるぎりぎりの工夫だろう。したがってサマワで戦闘活動がありサマワ地区が戦闘地域に変化すれば、自衛隊は直ちに撤退しなければいけない仕組みになっている。
つまり自衛隊の派遣が可能になっている条件自体が非常に受動的で、状況対応型で日本自身の努力で何とかできる範囲は初めからまことに小さい。たとえば、サマワの治安維持を担当するオランダ軍が撤退するような状況なら、ほぼ自動的に自衛隊の撤退が強要される構造になっている。米国が有志連合軍として日本を連合軍側に数え上げているが、連合軍は治安維持活動を行っているのだから、厳密に定義すると数えられることは憲法違反になりかねない。
9・11以来荒っぽくなっている世界状況の中で、一人だけガラス細工のような仕組みを背負ってひたすら乱暴な状況にならないことだけを祈って日本の自衛隊が今イラクの地にいる。それ自体は貴重で尊い活動だが、現実の状況にあまりにもそぐわない感じは否めない。
◇国連決議に依拠できるか
そうした世界の状況に対して日本としての自由な政治的判断を反映できない奇妙な状態から脱却したいという気分はことあるごとに蓄積されてきた。今回行った国会議員アンケートでも憲法9条を世界の現実に適応させる形で改正したいと思っている議員が過半数を占めている。
ではどのように改正するのか。まだ具体的な多数案があるわけではない。方向として国連の了解の下で日本も治安維持・平和活動のような部隊に自衛隊ないし特別編成部隊を送れるようにしようという案が有力だ。前文の改正も同じ文脈にある。決して侵略戦争の意図はない大前提だ。
だがその大前提が一番疑わしいとするのが9条改正への有力な反対意見だ。現に解放軍のはずの米軍が侵略者として攻撃を受けている。世界が非常にきな臭くなってきた今こそ、日本が誇る平和憲法の精神をもっと発揮すべきではないか。武力を使わないで世界の問題を解決するとうたった日本国憲法の神髄を生かす国際政治をするのが筋ではないかというものだ。
イラク戦争の例をとっても、もし現状に合わせた憲法改正ができていたとしたら、日本は初めから米英軍といっしょにイラク攻撃に加わった可能性は大きい。そこから先は今とはずいぶんと異なる状況になっていただろう。
だがよく考えると、国連の決議の下にしかできないと憲法で明文規定があるとかえって復興支援さえできないかもしれない。特に、国連決議という行動の条件はこの先ますます難しくなる可能性もある。しかも、決議自体どこまで何を決めたのかで解釈に差が出る。憲法の明文規定があるゆえに、ますます物議をかもし出す可能性も大きい。
総論や概念的な改正論ではなくいざ具体的な改正文案になると、判断はますます難しいのである。そこに至って初めて憲法を論じる論憲が真剣味を帯びてくる。自民党が結党50年を機に、民主党が憲法制定60年を機に憲法改正を目指していることもあり、ここ数年はありうることとして憲法改正問題に取り組まなければいけない。
◇米国の存在が前提
その際よく考えなければいけないことがある。米国の存在だ。現行憲法の平和条項は日米安保条約とセットになって現実を歩んできた。この間米国は朝鮮戦争に始まり、ベトナム戦争、湾岸戦争、ユーゴ空爆、アフガン空爆・イラク戦争などほぼ恒常的に世界の戦争にかかわってきた。日本の憲法解釈の綱渡りやそれが限界にきて改正の必要性が高まってきたのもその流れに呼応する。
それは今後も続くと予想できる。したがって憲法改正、特に9条関連を考える際、現実にある米国をどう見るかが大きなポイントになる。これだけ戦争にかかわりつづけてきた国が今後は戦争に対して消極的になるのか。米国次第で改正した日本国憲法の活用具合はまったく違ってくるからだ。
その現実を抜きに机上の空論としてあるいは条文のあり方として改憲を論ずることは非常に危険でもある。現行憲法で日本は矛盾を抱えながら、その矛盾を実行部隊、いい例が今回の派遣された自衛隊の不安定な存在、にしわ寄せしながらもとにかく自衛隊を海外に派遣するところまできたのである。憲法改正してこれ以上具体的に何をしようというのだろうか。
米国が次に起こすであろう戦争ではついに初めから参加したいのだろうか。そうではなく日本独自に世界平和維持のために自衛隊の持つ武力を活用する決意をするのだろうか。9条改正は世界との付き合いのために人並みのことができるようにする現状追随がテーマではない。たとえばアジアの集団安全保障機構構築に積極的に打って出るなど、外交を通してどこまで積極的に世界とかかわっていくつもりなのかをはっきりと示す、日本の国のあり方が問われるのである。
それは世界の構造を変えることにもなる。そういう認識なしにただ今都合がつかなくなってきたからというのでは、理念がなさ過ぎる。われわれは21世紀どういう国になるのか、そこからつめなければいけない。
毎日新聞 2004年5月3日社説:
憲法記念日 まず改正の目的を語ろう--21世紀、どんな国になりたいか
今日は憲法記念日。憲法を考える日だ。今年は従来にない状況下で憲法を考えなければいけない。戦闘行為がやまないイラクに、復興支援の名目で自衛隊を派遣している現実が憲法に重くのしかかっている。憲法制定当時は想定していない国際状況に対応するため政治的決断として新しい法律、イラク特措法を作った結果だ。
憲法を変えない範囲で綱渡りのような新思考が必要だった。政府が編み出した非戦闘地域という概念はおそらく現憲法下で駆使しうるぎりぎりの工夫だろう。したがってサマワで戦闘活動がありサマワ地区が戦闘地域に変化すれば、自衛隊は直ちに撤退しなければいけない仕組みになっている。
つまり自衛隊の派遣が可能になっている条件自体が非常に受動的で、状況対応型で日本自身の努力で何とかできる範囲は初めからまことに小さい。たとえば、サマワの治安維持を担当するオランダ軍が撤退するような状況なら、ほぼ自動的に自衛隊の撤退が強要される構造になっている。米国が有志連合軍として日本を連合軍側に数え上げているが、連合軍は治安維持活動を行っているのだから、厳密に定義すると数えられることは憲法違反になりかねない。
9・11以来荒っぽくなっている世界状況の中で、一人だけガラス細工のような仕組みを背負ってひたすら乱暴な状況にならないことだけを祈って日本の自衛隊が今イラクの地にいる。それ自体は貴重で尊い活動だが、現実の状況にあまりにもそぐわない感じは否めない。
◇国連決議に依拠できるか
そうした世界の状況に対して日本としての自由な政治的判断を反映できない奇妙な状態から脱却したいという気分はことあるごとに蓄積されてきた。今回行った国会議員アンケートでも憲法9条を世界の現実に適応させる形で改正したいと思っている議員が過半数を占めている。
ではどのように改正するのか。まだ具体的な多数案があるわけではない。方向として国連の了解の下で日本も治安維持・平和活動のような部隊に自衛隊ないし特別編成部隊を送れるようにしようという案が有力だ。前文の改正も同じ文脈にある。決して侵略戦争の意図はない大前提だ。
だがその大前提が一番疑わしいとするのが9条改正への有力な反対意見だ。現に解放軍のはずの米軍が侵略者として攻撃を受けている。世界が非常にきな臭くなってきた今こそ、日本が誇る平和憲法の精神をもっと発揮すべきではないか。武力を使わないで世界の問題を解決するとうたった日本国憲法の神髄を生かす国際政治をするのが筋ではないかというものだ。
イラク戦争の例をとっても、もし現状に合わせた憲法改正ができていたとしたら、日本は初めから米英軍といっしょにイラク攻撃に加わった可能性は大きい。そこから先は今とはずいぶんと異なる状況になっていただろう。
だがよく考えると、国連の決議の下にしかできないと憲法で明文規定があるとかえって復興支援さえできないかもしれない。特に、国連決議という行動の条件はこの先ますます難しくなる可能性もある。しかも、決議自体どこまで何を決めたのかで解釈に差が出る。憲法の明文規定があるゆえに、ますます物議をかもし出す可能性も大きい。
総論や概念的な改正論ではなくいざ具体的な改正文案になると、判断はますます難しいのである。そこに至って初めて憲法を論じる論憲が真剣味を帯びてくる。自民党が結党50年を機に、民主党が憲法制定60年を機に憲法改正を目指していることもあり、ここ数年はありうることとして憲法改正問題に取り組まなければいけない。
◇米国の存在が前提
その際よく考えなければいけないことがある。米国の存在だ。現行憲法の平和条項は日米安保条約とセットになって現実を歩んできた。この間米国は朝鮮戦争に始まり、ベトナム戦争、湾岸戦争、ユーゴ空爆、アフガン空爆・イラク戦争などほぼ恒常的に世界の戦争にかかわってきた。日本の憲法解釈の綱渡りやそれが限界にきて改正の必要性が高まってきたのもその流れに呼応する。
それは今後も続くと予想できる。したがって憲法改正、特に9条関連を考える際、現実にある米国をどう見るかが大きなポイントになる。これだけ戦争にかかわりつづけてきた国が今後は戦争に対して消極的になるのか。米国次第で改正した日本国憲法の活用具合はまったく違ってくるからだ。
その現実を抜きに机上の空論としてあるいは条文のあり方として改憲を論ずることは非常に危険でもある。現行憲法で日本は矛盾を抱えながら、その矛盾を実行部隊、いい例が今回の派遣された自衛隊の不安定な存在、にしわ寄せしながらもとにかく自衛隊を海外に派遣するところまできたのである。憲法改正してこれ以上具体的に何をしようというのだろうか。
米国が次に起こすであろう戦争ではついに初めから参加したいのだろうか。そうではなく日本独自に世界平和維持のために自衛隊の持つ武力を活用する決意をするのだろうか。9条改正は世界との付き合いのために人並みのことができるようにする現状追随がテーマではない。たとえばアジアの集団安全保障機構構築に積極的に打って出るなど、外交を通してどこまで積極的に世界とかかわっていくつもりなのかをはっきりと示す、日本の国のあり方が問われるのである。
それは世界の構造を変えることにもなる。そういう認識なしにただ今都合がつかなくなってきたからというのでは、理念がなさ過ぎる。われわれは21世紀どういう国になるのか、そこからつめなければいけない。