2011年5月31日
G8という格好の舞台を活かせなかった
菅総理の冒頭発言
フランスのドービルで開かれていたG8サミットは、5月27日午後に閉幕した。議長国フランスの配慮で、菅首相には異例の冒頭発言の機会が与えら れた。そして、首脳宣言には「日本との連帯」が明記されたが、新聞の見出しは例えば「原発 日本不信ぬぐえず」(2011.5.28.日本経済新聞)と いった冷めた調子のものが多かった。
G8サミットは、世界から寄せられた支援に感謝し、第一原発の危機克服のプロセスをしっかりと説明し、日本が全体としては安全でありそしてわが国 の経済が間違いなく回復することを、「具体的に」世界に訴える格好の機会だったと(素人目には)思われる。報道によれば、菅首相は、自然エネルギーへの依 存度を高めることを力説したと云う。そのような「抽象的な」決意を、世界の首脳は、サミットの場で、果たして菅首相から聴きたかったのだろうか。大いに疑 問なしとしない。
総理大臣の問題を
個人の能力や資質の問題に帰すべきではない
このようなコメントを述べれば、必ず「首相の器(能力や資質)の問題だ」とか「側近や知恵袋の人選が歪んでいるからだ」といった声が寄せられる。 確かに、それにも一理はあるだろう。では、菅首相が退任したら、すべての問題は解決するのだろうか。あるいは、側近や知恵袋を総入れ替えすれば、それで事 態は劇的に改善するのだろうか。確かに政治リーダーの能力や資質の問題は重要だし、また、どのような人に指南を仰ぐかという観点も劣らず重要だと考える が、そもそも、こういった問題の所在を、個人の能力や資質に帰すアプローチは、果たして正しいのだろうか。
この国では、5年以上続いた小泉政権の後、わずか1年前後という超短命の政権が連続して4代も続いている。4代(あるいは5代)連続して首相を務めるに足る能力や資質に欠けたリーダーを、この国は選び続けてきたのだろうか。それは、たまたまの偶然なのだろうか。
普通のビジネス感覚で、取引先の企業を例に挙げて考えてみよう。4年で社長が4人も変わるような企業と私たちは取引を継続するだろうか。よくて模様 眺めがせいぜいであり、ほとんどの企業はあきれて直ちに取引をストップするに違いない。およそビジネスの世界ではあり得ないような異常事態を、この国は続 けている。
首相個人に、世界観や歴史観、大局的な戦略眼等を求める以前の問題として、このような異常事態を続けていれば、この国が世界の国々から早晩相手に されなくなるのは必定である。個人の能力や資質を問うことも重要だが、このような政治リーダーを産み出すこの国の「構造的な仕組み(歪み)」にこそメスを 入れなければ、問題は永遠に解決しないのではないか。
歪な構造を生み出した諸悪の根源は、
一票の格差ではないか
では、このような政治リーダーを次々と産み出してきたこの国の「構造的な歪み」とは何か。突き詰めて考えると、一票の格差こそが諸悪の根源だと思 えてならない。昨年に行われた参議院選挙では、69万票以上を獲得したにもかかわらず落選した候補者もいれば、14万票に満たない得票で当選した候補者も いた。1票の格差は実に5倍を超える。これは、常識的に考えれば極めて不公平であって、要は、選挙区の作り方如何によって(もっと平たく言えば住所によっ て)、市民の投票権が0.2票ぐらいにしか評価されないケースが現実に生じているということである。
ちなみに、2009年に行われた衆議院選挙で、1票の格差が最大2.30倍となった小選挙区の区割りは投票価値の平等を保証した憲法に反するとし て、各地の有権者が選挙のやり直しを求めた訴訟では、今年の3月に、最高裁が「違憲状態」とする最終判決を出している。最高裁が動いた以上、選挙制度の見 直しは必至と思われるが、これまで長い間、このような1票の格差が放置され続けてきたことが、この国の政治にどのような影響を与えてきたのだろうか。
問題を単純化して考えてみよう。1票の格差が存在するということは、地方の有力者が政治リーダーに選ばれやすいということとほぼ同義である。そし て、地方の有力者は、年配の男性である場合が多い。つまり、1票の格差のおかげで、地方の有力者である年配の男性がこの国の政治を牛耳ってきた訳である。
筆者は、以前のこの連載で、この国の構造的な課題は、「少子高齢化」、「財政の悪化」、「国際競争力の低下」の3点に尽きると指摘した。そして、これらの諸課題と、地方の有力者である年配の男性が政治リーダーであることには、実はかなり密接な関係があると考えられるのである。
1票の格差が、少子高齢化、財政の悪化、
国際競争力の低下に拍車をかけた
まず「少子高齢化」であるが、地方の有力者は、大家族で暮らしている場合が比較的多いと考えられる。そのような生活環境では、都会で若い女性が働 きながら子どもを育てることがどれほど大変であるかということが、あまり実感できないのではないか。要するに、都会での子育ての実態がよく分からないと想 像されるのである。そして、人間は、分からないことには、およそ対策が打てない動物でもある。この国の少子化対策予算が対GDP比で常に先進国の中では最 低水準であるのは、背後にこのような事情が働いているからではないだろうか。
また、大家族で生活していれば、ともすれば高齢者の面倒は家族で看るという発想に傾きやすい。高齢者の面倒は社会全体で看るという近代市民社会の普遍的な価値観についつい背を向けたくなるのではないか。
「財政の悪化」については、2つのポイントが重要である。まず、一般論として、若い世代のリーダーほど国債の増発(借金)に敏感であることが世界 共通の傾向として指摘できる。なぜなら、若いリーダーは、(借金の)返済時期にも自分が国のリーダーの地位に留まっていることを自然と想起するからであ る。英国のキャメロン首相の財政再建にかける意気込みは、このように考えると理解しやすい。英国では、戦後の首相は平均10年程度は政権を担っているが、 キャメロン首相は昨年就任したばかりであり、まだ44歳である。
次に、戦後の地方経済は、公共事業で潤ってきたという事情がある。公共事業の財源は往々にして建設国債であった。したがって、不況時には景気対策 として国債を増発し、公共事業等を盛んにすることによって景気を刺激すべきだという政策に、地方出身のリーダーは馴染みやすい。このように考えてみると、 地方の有力者である年配の男性が、ともすれば、財政規律に甘くなりがちな傾向を持つことがよく理解できよう。
「国際競争力の低下」についても同様である。戦後の高度成長経済を地方で支えた公共事業は、同時に談合の温床でもあった。談合と競争が、対極にあ る概念であることは言うまでもない。また、地方の有力者は、農協を集票マシーンとしている場合が多い。ということは、自由貿易に対して頑なな態度をとりや すいということを意味するのではないか。さらに、地方は、一般論としてではあるが、地縁・血縁関係が濃厚で、外部に対してはともすれば閉鎖的になりやすい という特徴を持っている。
このようなバックグラウンドを持つ地方の有力者である年配の男性が政治リーダーになれば、グローバルな問題よりも国内の問題に注力しがちになることは、ある意味、当然ではないだろうか。
以上のように考えてみると、この失われた20年の間に、この国の3つの構造問題が、本格的な取り組みがなされることなくずっと先送りされてきた背 景には、1票の格差の問題が大きく横たわっていることに気づかされる。誤解を恐れずに言えば、この国の歪みをとことん突き詰めて行くと、1票の格差という 淵源に突き当たるのである。結果として、長期間に亘った1票の格差の温存は、この国の「少子高齢化」、「財政の悪化」、「国際競争力の低下」に拍車をかけ たのではないか。
1票の格差の是正と
投票における機会コストの平準化を
短命政権が続く理由も、地方の有力者である年配の男性が政治リーダーに選ばれやすいこの国の仕組みと決して無縁ではない。地方の有力者である年配 の男性は、ともすれば、政治理念や政策で正面衝突することを望まず、むしろ人の和を重視して輪番でリーダーになることを選びがちである。一昔前まで、地方 の議会では、例えば、議長職を輪番で交代する口約束等の話題には事欠かなかったことを想起すれば分かりやすい。
また、一国のリーダー(首相)職は大変な激職である。欧米の政治リーダーが、(一般には気力、体力がピークをつける)40代が多いというのも率直 に頷ける話ではある。年配者がリーダーになれば、体力を早く消耗して短命政権になるという指摘もあながち無視できないものがあろう。
もちろん、この国で短命政権が続く理由は、1票の格差だけではなく、衆議院と参議院という2院制の在り方とも深く係わっていると考える(この問題 は、後日、稿を改めて論じたい)。それはともかくとして、この国がしっかりした政治リーダーを産み出すようになるためには、その大前提として、1票の格差 の是正が欠かせないことは(以上で)明らかであろう。
最高裁の「違憲状態」という最終判決は限りなく重いものがある。少なくとも、次回の総選挙までには、1票の格差を是正しなくてはならないし、私たち市民は、それを粘り強く要求し続けるべきであると考える。
最後に、もう1点、大事なことを付け加えておきたい。1票の格差は、投票における機会コストの問題と相俟ってこの国の歪みに輪をかけてきたと考え る。周知のように、例えば都会の若者は投票における機会コストが高く、地方の年配者は逆に機会コストが低いことが世界的に知られている。そうであれば、1 票の格差の是正と同時に、機会コストを実質的に平等にするような改革が併せて行われることが望ましい。
有力なアイデアは、インターネット投票の導入である。インターネット投票を実現しているのは、先進国の中ではエストニアだけではないかという反論 もあろう。しかし、先進国の中で財政が突出して悪化しているのはこの日本である。そして、財政の悪化は、極論すれば、若い世代に大きい負担を背負わせるこ とに他ならない。そうであれば、若い世代の投票における機会コストの平準化について、日本が世界の先頭を切って努力を傾けるのも、また、至極当然なことで はないだろうか。
(文中、意見に係る部分は、すべて筆者の個人的見解である。)