All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

中国の旅(大連、瀋陽、撫順訪問)31 瀋陽「都市緑州」にて昼食 

2006年07月31日 21時34分49秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
撫順のタクシー運転手は、ふだん瀋陽まで客を運んだことがないようで
何度も道に迷い、何度も通行人に道を訪ねていた。目指していたのは
「都市緑州」というレストラン。昨日、9.18記念館の帰りにKing父が
目敏くチェックしておいてくれた店だ。
迷ったあげく、その9.18の近くまで来てしまったので、撫順タクシー
とはここで別れ、瀋陽市内のタクシーに乗り換えた。かなり近い所にい
たらしくほんの2、3分でついてしまった。撫順運転手は無事に帰れた
のであろうか?

昨日,通りがかった時もそうだったが、車が多くかなり混んでいる。
店構えも大きくい。日本の大規模ホームセンターくらいはありそうだ。
中は、明るく天井は総ガラス張りでボタニックガーデンのようだ。

観葉植物も此処かしこにディスプレーされている。
まずはメニューを選ぶのだが、女性に案内された先には生け簀が
あった。なお、案内の女性はカメラによる食材の撮影にかなり
神経質だった。なにか重大な国家機密がこの食材に隠されているのか?
冒頭の1枚と下の2枚は辛うじて撮れた貴重なショット。

冒頭の写真もそうだが、ここに並んでいるのは全て食材だ。
海老や蟹など魚介類をメインに山海の食材がずらりと並んでいて
選ぶのに悩んでしまう。とはいえ何か頼まなければ始まらない。
一人一点ずつ注文することにした。

テーブルに着いて、ビールを頼んだ。サントリーが置いてあった。
むろん中国で生産された物だ。

裏のラベルに上海の地名が見える。アルコール度数は3.1%。

料理が運ばれて来た。食材を選んだのだが、その結果つまり調理後の姿は
テーブルに運ばれて来て初めてわかる。ちょいとスリルがある。
海老と筍とイカとアスパラの炒め物。これは私が頼んだ物。

こちらは肉醤八蛸。

家常日本豆腐?揚げ出し豆腐を小さく丸くまとめた感じ。

バドワイザーもあったので試してみた。やはり薄い。

店内にはこんな海獣もいた。

瀋陽という内陸部にあってこの新興レストランはかなりユニークで
しかも人気があるとみた。たぶん、写真撮影制限も同業者の追随を
防ぐためのものではないだろうか?
あっと料金は料理3品とビール4本+お茶セット(3人分)で
129元(1,935円)でした。


撫順から瀋陽へ戻る 中国の旅(大連、瀋陽、撫順訪問)30 

2006年07月30日 22時15分09秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
戦犯管理所を出た私たちは撫順から瀋陽に戻ることにした。
時間の関係で帰りはバスではなくタクシーを利用した。
撫順からしばらく高速道路は閑散としている。が、運転手に
とって油断はならないようだ。時折、横断者が現れるためだ。
片側3車線の幅広い道路には両側を結ぶ歩道橋のような構造物
はほとんど見当たらない。住民は道路を渡るしか「向こう岸」に
は辿り着くことはできない。
高速道路の両サイドにはフェンスや壁(塀)があることにはある
のだがフェンスはところどころ綻びがあって、簡単に人がくぐれ
てしまう。壁の方はけっこう高いが、それを乗り越えてしまう強
者もまたいる。

シンプルといえばシンプルな高速道路のガソリンスタンド。
給油している車も見当たらぬが、店内も暗く人影もない。
一見無人スタンドか?と思ってしまう。(下の写真)

ようやく瀋陽市内に入ると、下の写真の光景に出くわした。

うーむ。話には聞いていたが、実際目にしたのは初めてだった。

探検! 金谷酒店

2006年07月29日 12時00分51秒 | 趣茶
OQ氏に誘われて太田市の金谷酒店を訪ねた。
ここ金谷酒店はOQ氏絶賛の酒店である。
笑顔の爽やかな若主人に挨拶。
なんと私のこのブログを毎日見ていただいているとのこと
いやはや、お恥ずかしいかぎりだ。でも嬉しいな♪
冒頭の写真はご主人の背中にあしらわれた金谷酒店のロゴ。
このご主人、なかなかマメなお方でしかも達筆!
店内のあらゆる商品紹介はすべて自筆,文章も本人のオリジナル。
酒飲みの心をくすぐる殺し文句がかしこに。

「今夜は何を飲もうかなあ。」
クーラーを眺めながら悩みの深いOQ氏。

あの広島の銘酒「雨後の月」もラインナップ!これはすごい!

「秀鵬」もある。

OQ氏が最初に訪れた際に驚いたのが「豊圀」。

こちらは「志太泉」。

で、私とOQ氏が買った「百楽門」純米大吟醸でなんと1,850円!

さらに物色を続けるOQ氏。

な、なんと「ゲゲゲの鬼太郎」(千代むすび=鳥取の酒)があった。
速攻でOQ氏がゲットしたのはいうまでもない。

ちょっと車で通り越してしまいそうな地味な佇まいだが
一度足を踏み入れれば店内は酒飲みにとって天国の世界だ。
OQ氏の憩いのスポット「金谷酒店」の夕暮れはまだまだ熱い!



喜多方の道の駅 にて

2006年07月28日 17時27分43秒 | 旅行(山行以外)
「野鳥飛来地につき釣りや、犬の散歩ご遠慮下さい。」
 米沢から雨の大峠を越えて会津に入るとまもなく左手に
道の駅が見えてくる。駐車場に車を止めてすぐ上の看板に
気づいた。念のためカメラだけは持ち、小雨の中看板の方
へ歩いてみた。5~6段の石の階段を登りきると・・・

いました。
カモ?
でも「マガモ」は11月~3月の時期しかいないはず。
これは何ガモ?


山寺で板そばとトマトのレモンサイダーがけをいただく。

2006年07月27日 18時47分44秒 | 旅行(山行以外)
実は山形は全国でも一、二を争う蕎麦どころと聞く。
この地方独特の「板そば」というのがある。
由来だが、秋の収穫が終った11月ごろに慰労会を開くのが
この地方の慣わしでそのときに来年の行事について取り決
めを行う。(昔のことで現在は行われていない。)
取り決めは「契約」と呼ばれ、その証として板箱1枚ずつの
そばを配ったのが「契約そば」つまり「板そば」の起こり
だという。
見た目どおり、量は2人前はある。
細過ぎず、太すぎずの蕎麦は歯ごたえもしっかりとし素朴な
味わいだ。

「トマトのレモンサイダーがけ」はよく冷えたトマトにレモ
ンの酸味とサイダーの炭酸がほどよく調和し、歩き疲れた身
体を癒すのに最適だ。トマトをたいらげたあとのサイダーは
ズズーッと飲み干すと爽やかだ。

デザートとしてのトマトは東北ではよく見られる。
実父の実家(青森)ではよく熟れた真っ赤なトマトに砂糖を
テンコ盛りにしたのが出される。まだ小さかった私は最初は
塩がどっさりかけてあると思ってしまい手(箸)が出せなか
った。砂糖だと聞いてなお驚いた。今で云うカルチャーショ
ックである。

でも、今はトマトの砂糖がけ、食べないなあ。
う~む、久しぶりに食べてみるか!

ワイヤレス・ジャパン2006見学

2006年07月27日 18時03分23秒 | 仕事
先週のことだが、東京ビッグサイトで開催されていた
「ワイヤレス・ジャパン2006」を見学してきた。

ケータイは今すごいことになっている。
「ワンセグ」と呼ばれるTV放送の受信機能が付いたり
「お財布ケータイ」と称し決済機能をもたせたりとか
だけでなく、パソコンと連携させて、QRコードを読み込
ませ、出てきた商品の在庫数を入力しIP通話でサーバー
にデータを落とし込む商品管理といったことも可能にな
ってきている。その他、医療、介護関係のモニター機能
やらなんやらこれまでLANを組んで、現場に1台1台モニタ
ーと端末を設置するようなところを、ほとんど飛び越えた
ところに守備範囲が広がっている。
(まあ、これを手放しで喜んでいいのかどうかは議論の
余地がある。)

「ブルートゥース」で操作するロボット。

最先端を行く商品をアピールするのはたいへんである。
メーカーは必死だ。アンケートに答えるといろんなグッ
ズをくれるのも、なんとかコンタクトをとりたいからだ。
(私は扇子を頂戴した。)

「モニタリング・ソリューション」だの
やたらカタカナが多いのがこの種の展示会の特徴だ。
オ・寒氏ではないが、横文字&カタカナのオンパレード
状態でなんだか煙に巻かれているような気もしないではない。

これは便利かもしれないと思った。
各種翻訳機を見かけるが、難点は専用機なので別途に持ち
歩かなければならない点。これならケータイ1台で用が足りそ
うである。

それと余談だがyohei氏もここを訪れていたことがわかった。
(yohei氏の記事はこちらをクリックしてください。)
ビッグサイトで近未来を見た?
詳しくは彼の記事を読んでいただくとして音声をQRコ
ード化するなどの新基軸の記事紹介がyohei氏らしくてよ
かった。

高瀬町で八木節

2006年07月26日 23時51分40秒 | 八木節

太田市の高瀬町で八木節演奏してきました.

といっても、地元の八木節チームの助っ人としての参加です。

こじんまりとした会場は桜の木で囲まれ、

4月の花見の時期に訪れたらいいだろうなあと思う。

それはともかく、群馬県になったり栃木県になったりと何度も
県境が変わった高瀬町の由来を示す石碑が自治会館の入り口に
飾ってあった。

中国の旅について

2006年07月25日 19時32分39秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
 長々と書いております「中国の旅」についてみなさまからコメントをいただき、いたく感謝しております。もうしばらくで完結の予定ですが、なんで中国に行ったのか?という質問も寄せられております。私自身も行く前と行ってきた後では自分の中で大きな変化が生まれています。そのへんも含めまして、現在の時点での所感をあまりまとまりませんが披露したいと思います。

 発端は小泉首相の靖国参拝です。が、それよりも当時の安倍副官房長官の「中国や韓国だって、英霊の参拝に行っているではないか、なんで日本だけが非難されなきゃいけないんだ。」という主旨の発言の方が気になって仕方がありませんでした。
実際に中国や韓国のトップ(首脳)はどんな風に「参拝」みたいなことをやっているのだろうか?しかし、調べてみるとこの辺のことを具体的に明らかにした文書や情報は皆無に等しく、安倍副長官の根拠について詳しく知りたいと思う念は強まるばかりでした。

 折りよく、古くからの友人Nに誘われて昨年末に韓国ソウルに行き、戦争記念館で韓国戦争(日本で言う「朝鮮戦争」)が南北共に深いキズを負った事実を知り、その背景に40年にも及ぶ日本の支配の歴史(西大門刑務所の展示)があったこと、続いて1月に訪ねた沖縄では、本土防衛の「捨石」として戦況を長引かせるために20万人もの犠牲を強いた日本の軍隊の実態を知りました。この二つの旅で私の中ではっきりしたことは加害した側はそれを忘れやすいことです。対して被害者はずっとそのことを忘れないということ。おかげで戦後60年の間に日本人のほとんどが加害者であったことなど忘れてしまったかのような風潮になってしまいました。日本でも広島長崎の原爆被災や東京大空襲は「被害」の大きさから、語り継がれていますが、アジアの民を殺戮した「加害」の事実は語り継ぐどころか、取り上げる人も減ってきております。「沖縄戦」も本土で詳細を知る人はほとんどいません。それどころか、アジアでの戦争をネットで検索にかけてみればすぐにお判りかと思いますが、検索の冒頭に並ぶもののほとんどが、「日本の(中国侵略)は間違っていなかった。」とか「朝鮮は自ら併合を望んだ」という論調が占めてしまうという点です。「なかったことにしたい。」願望から「なかった」という断定に切り替わって来ているところが怖いところです。

 これはどうもこの国の中では本当のことは見えにくく(判りにくく)なってきているのではないか?たぶん、戦争を実体験した世代の減少も大きく影響しているように思えます。(ビルマ戦線で隼戦闘機を駆った我が実父もこの世にはいません。)またネットに戦争体験を披露するには、かの世代にはパソコンのハードルが高すぎます。

 私の得た考えはたいへん簡単なものです。実際に加害の現地へ行き、自分の足で歩き、自分の目で確かめてくること、現場に立ってみること、そこで自分がどう感じるのか、それを実行したのが一連の旅です。中でも中国(それも東北部)は是非にも訪ねたいところでした。とはいえ中国行きはかなりの覚悟が必要で、なかなかチャンスは訪れませんでした。

 今回の中国訪問が成立したのは大連にいるKing父のおかげです。予め、交通機関や宿泊地情報などの下調べをし貴重な休みを割いて彼が同行してくれなければ、このように効率的に現地を廻ることはできませんでした。ほんとうにありがたかったです。また、旅の趣旨に理解を示し、快く送り出してくれた配偶者にも感謝です。

 それにしても、実感したのは大事なことや大切なこと(とりわけ戦争などに関して)のことを知ることが(現在)いかに困難であるかということ。逆に言えばTVやマスコミによってもたらされる夥しい情報のほとんどが「大事なことや大切なこと」を見つけにくくする役割を果たしていることに戦慄を覚えます。特に(私の娘達も含め)若い世代にとってはたいへんな試練だと思います。

高畠町

2006年07月25日 16時07分34秒 | 旅行(山行以外)
 行きは東北道、山形道と高速道路で一気に走ってしまい
途中の景色を眺めるゆとりもなく、もったいないことをし
てしまった。
せめて帰りぐらいはのんびりしたいと思い蔵王から七ケ宿
、高畠を経由し米沢へ出る内陸コースをとることにした。

高畠はワインも有名だが県外への「輸出」を禁じたラ・フ
ランスという西洋梨の産地でもある。
(下の写真はラ・フランスかどうかは定かでないが梨の木)

その昔は、あの有名をはせた覇王織田信長の末裔が移封に
よって現在の群馬県甘楽からこの地にやってきたところでもある。

織田といっても信長の次男・織田信雄の系統にあたる。
七ケ宿から長いトンネルを抜け出て螺旋状に下ったあとし
ばらくすると右側に立派な三重塔が目に入る。うまい具合
に道路の反対側に道の駅があった。車を停めてまずは1枚
撮ったのが冒頭の写真である。

お寺さんかと思ったらもともとは八幡神社で鎌倉の鶴岡八
幡宮と縁があるという。(下の写真)安久津八幡宮が正式名。

散策してみるとお神楽の舞台も整っているし、

流鏑馬の馬場もあり、鎌倉以来の勇壮な風景が楽しめそうだ。

あいにくの雨であったがガクアジサイが見頃をむかえていた。