All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

グルメギャラリーその6(晩秋のランチタイム編)+逆グルメ

2005年11月30日 00時07分08秒 | グルメ
 久々のグルメギャラリー。
 今回は晩秋のランチタイムと銘打ったが、
 最後に「逆グルメ」も掲載した。
(表題の写真は慎ましいオ・寒氏のランチ:病み上がり直後編)

(1)赤牛定番の「五目ラーメン」。ファンは多い。
  しかし、最近店内改装に伴いドンブリも写真の通り
  “米軍のヘルメット”型に変わってしまった。
  心なしか味も変わった気がする。
(2)赤牛のライバル「みかわ」の日替りランチ。
  味、量とも申し分ないし待ち時間も短い。集客数で
  赤牛をはるかに凌ぐ理由ははっきりしている。赤牛
  の改装もその辺が大きく影響しているようだ。
(3)「剛」の日替わり定食。
  こちらは曜日で決まっている。
  オ・寒氏のポイントは高い。
(4)「山茶花」のオムライス。
  ケータイ写真のため画質は落ちるが味はよかった。
  店内の落ち着いた雰囲気から固定客に恵まれている印象。
(5)靖国遊就館の「海軍カレー」。
  実際は「ボン・カレー」の味だ。だまされてはいけない。
(6)番外となるが趣茶の夕食。
  マスターにわがまま言って誂えてもらった。
  これははっきり言って「グルメ」だ。
(7)こちらはそのおかず。鮮度抜群の〆さば。
(8)最後は、とんだくわせもんの「花月」の
  ブラックラーメン。KING氏らと食したが、一同、
  興ざめであった。(見た目は悪くはないのだが)
  スープはぬるい、麺はのび放題、味は塩辛いと
  いいとこまるでなし。Yahooで取り上げられるな
  ど全国的な知名度はあるようだが、A市の「花月」
  は行かないほうがよいようだ。
  名前の通り「ブラック」だった。











※なお次回(12月中旬予定)は「怒涛の韓国編」です。お楽しみに!

里山 命めぐる水辺 琵琶湖畔 写真家 今森光彦の世界

2005年11月29日 00時29分00秒 | 読んだ本・おすすめ本・映画・TV評
来る12月1日(木)夜9時半よりNHKBSにて「里山」が放送される。
正月に放送されたものの再放送だが、見逃した人はこの機会にどうぞ。
こちらに紹介記事 → http://www.nhk.or.jp/bs/navi/docum_td.html

昨年の秋に今森さんの講演をお聴きしたので、そのときの様子(前半のみ)をご紹介する。

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10月9日
台風22号は伊豆半島に上陸したものの、こちら(北関東)は直撃を免れ、やれやれといったところ。11時近くに起床。明日の地区体育祭は早々と中止決定。これで今年の体育祭は完全に流れた。

 雨の中、午後1時過ぎに県立図書館へ。写真家今森光彦さん(1954年生まれ)の講演。
タイトルは「今森光彦の世界」。

冒頭、今森さんは「こんな台風の日に来ていただき、ありがとうございます。」と8割ほど埋まった客席を眺めながら切り出した。(話し振りから本人は本日中に滋賀の方に戻るつもりだったが台風で新幹線が運休してしまい、今夜は足利に泊まる様子だった。)
山の友人A子さんご家族、U子さん、(粟島のお酒をお土産にいただいた。)それからF島君も来ていた。(この講演会のことを)彼は教え子から聞いてきたとのことだった。どこかにS崎先生もいたらしいのだが、残念ながらご挨拶できなかった。

 講演は興味深いものだった。今森さんは琵琶湖の畔に居を構え、琵琶湖周辺に広がる里山の写真を撮り続けながら、自然の恵みやそこで暮らす人々の営みをつぶさに観察されている。太古の時代から3段階に渡って広がり北上した琵琶湖も何百万年後かには日本海とつながってしまうという地球史的なレベルから始まって、今話題になっているブラックバスやブルーギルなどの外来種の繁殖の問題だっていずれ海とつながれば淡水でなくなってしまうのだから、いったい自然保護というのは何をどう守るのだろうか?と自分に語りかけるようにゆっくりと話し出した。

 琵琶湖の漁師でサンゴロウさんのお話が印象的だった。サンゴロウ(漢字でどう書くのかは?)さんはもうとっくに還暦を過ぎているが、この老人が水辺に現れると鳥や魚たちが彼を慕うように集まり出すのだそうだ。サンゴロウさんの船だが、修繕(つぎあて)の跡だらけだという。なんでも50~60年位は経ったのを若いときに(元の持ち主から)いただいてそれから40年ほど使っているのだからおよそ百年は越えているからすごい。サンゴロウさん単独でも2時間も乗っていると船の中に水が10センチくらいは貯まるらしい。それをバケツで汲み出しながら漁を続けるのだそうだ。今森さんがNHKの取材(撮影)のためにスタッフ1名と乗ったとき(計3名)は、それはもうしょっちゅう汲み出しながらでたいへんな思いをしたそうだ。

 サンゴロウさんは道具の手入れを欠かさない。100年物の船が現役然として動いているのもサンゴロウさんのきめ細かなチェックが隅々まで行き届いているからに他ならない。

 そのサンゴロウさんに今森さんはいたく傾倒しているようだ。
「まず、彼はよくしゃべります。声も大きいです。さらにサンゴロウさんには哲学があります。おしゃべりで声が大きくその上哲学もあるとなればこれはもうTV向きです。」といっきに語った後。
「しかし。」としばしうつむき加減になってから「実際にはサンゴロウさんの話はTVではほとんど聴けません。」これはどういうことかというと、サンゴロウさんの話のほとんど9割が他人(人)の悪口でしかも実名をバンバンあげるのでとてもTVで放映は無理なのだそうです。しかし、その悪口の合間合間に彼の哲学がきらりと光るので、その前後を取っても意味不明で訳わからない状態になってしまうのだとか。

 サンゴロウさんのお宅でははいわゆる水道は使ってないことも紹介された。水は水路を通じて隣の家からサンゴロウさんの家に入り、サンゴロウさんの家で炊事や野菜の洗浄その他に使用された後、下流の隣家に流れていく、そんな生活が昔から延々と続いている。水に対する考え方が現在の私達の生活とまったく違うのだということを教えてくれる。私たちの日常では水道の水は隣家とは関係なく蛇口をひねればジャーと出てくるのが当たり前となっている。合成洗剤やらなにやらで汚しても排水口から流れてしまえばその先はもう見えない。
 これに対し、サンゴロウさんたちは水を通して家々の暮らしがつながっている。昔は当たり前だったこのことを今では土地の古老でさえも忘れて久しいと今森さんは嘆いた。
(ここまでが前半。)
後半は琵琶湖周辺の里山のスライドを映しながらのお話。(略)
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 今回(12月1日)はほんの少ししか登場しないというサンゴロウさんの姿と声をしっかりと確認しよう思っている。

大地動乱の時代

2005年11月27日 22時57分41秒 | 読んだ本・おすすめ本・映画・TV評
 天変地異という言葉があるが、今はその文字通り
のことが頻発する時代となった感がある。大津波や
大地震、大型の台風による堤防の決壊などなど、百
年とか二百年に一回という大災害が立て続けに世界
中で起きている。

 本書のユニークなところは、黒船の来航、幕末の
動乱期に始まる歴史の大変革と時を同じくして日本
列島の地下においても大きな動乱の時期を迎えたと
ころに作者が注目している点である。

 現在の日本も似たところがある。自衛隊のイラク
派兵や国論を二分するような憲法改正問題をはじめ
中国・韓国との軋轢など大きな岐路に立っている。

 そういう「地上」の動乱に対応するかのように、
「地下』の動きも活発化している。筆者は、現在
日本列島は活発な「大地動乱」の時期に入ったと
指摘している。
 実際、本書が刊行された翌年にあの阪神淡路大
震災が勃発。新潟県中越地震はまだ記憶に新しい。

 地震予知について石橋氏は「難病の治療に似てい
る。」と言う。現在の地震の科学のレベルではすべ
ての地震を予知できる状態にはほど遠いが地震によ
っては予知できる可能性もある。東海地震がその例
だ。だが、残念ながら私たちが住む関東、首都圏の
直下型大地震につては、東海ほどの高い精度予知シ
ステムは確立していない。

 とはいうものの、ヒントはある。小田原地震だ。
筆者は言う。
「いまから十~二十年のうちに、大地の運動の自然
の成り行きとして、日本の心臓部を小田原、東海、
首都圏直下の大地震が相ついで襲う可能性が高い。」
と。(※本書は1994年発行である。)
 小田原地震はその前触れとして極めて重要なのだ
という。過去の東南海大地震や関東大震災の際にも
小田原地震がその引き金になった可能性が高いから
だ。

 今、読み返しても本書の内容は古くさくなどない。
むしろ、まだ起きていない「小田原地震」にさらに
注意を払う必要を再認識した。

1994年 岩波新書(赤版350)
     石橋克彦 (著)

ポツダムの酒

2005年11月26日 03時05分01秒 | 平和憲法9条
 カテゴリー別けの難しいテーマではある。
平和の問題とグルメのコラボといったところか。

 そもそもは、名車平で鴨鍋をいただいた後、
F本氏に誘われるまま「ナイトキャップ」で
飲んだスコッチの話からだ。

THE EDRADOUR(エドラダワー)
「モルトの中の銘酒。
 宝石にたとえるなら大粒の真珠のよう。
 蜂蜜のような甘い香り。
 クリーミーでとろけるような舌触り。」

との評があるが、まさにその通り。

創業1825年。
たくさんのオーナーの手に渡ったが、製法は
ほとんど創業時のままというスコットランド
で最も伝統的、そして最も小さい蒸留所でつ
くられる「シングルモルト」。

 しかし、私が驚いたのはこの酒に次のような
歴史的エピソードがあることを知ったからだ。
それは、1945年7月第二次世界大戦の戦後処理
のためのポツダム会議で晩餐会の席にただ一種
選ばれたウイスキーだったことだ。
いわば歴史の生き証人ともいえる酒である。

三巨頭
トルーマン、チャーチル(アトリー)、スター
リンらがこの酒を酌み交わしながら戦後処理に
ついて語り合ったのかと思うと感慨深い。
そして戦後の米ソ冷戦体制がすでにここ芽生え
ていたことは想像に難くない。

 大戦中期以降、連合国は頻繁に会合を重ね、
次第に「戦後」の体制の輪郭を固めて行くが、
その裏には虚々実々の駆け引きが繰り広げら
れた。ときの大日本帝国の指導部にははるか
に縁遠い話であったが。

 興味のある方は以下の流れの中から「会議」
「会談」、「宣言」とある項目を検索してみる
ことをお薦めする。
 現在の世界の構図の「原形」は間違いなく
この短い期間に決まったといってもよい。

1942/01/01   連合国共同宣言 (26ヵ国/単独不講和など)
1943/01/14   カサブランカ会談 (~01/25)
1943/09/08   イタリア、無条件降伏
1943/11/22   カイロ会談 (~11/26)
1943/11/27   カイロ宣言
1943/11/28   テヘラン会談 (~12/01)
1944/06/06   連合軍、ノルマンディー上陸作戦開始 (オーバーロード作戦)
1944/11/07   スターリン、日本を侵略国と見なすと声明
1945/02/04   ヤルタ会談 (~02/11)
1945/02/11   ヤルタ協定 (スターリン、対日参戦を約束)
1945/04/05   ソ連、日ソ中立条約の不延長を通告
1945/05/07   ドイツ、無条件降伏 (ベルリン陥落)
1945/07/17   ポツダム会談 (~08/02)
1945/07/26   連合国、ポツダム宣言発表

※ちなみに 現在、私のところにTHE EDRADOUR
 2本あります。ポツダム気分を味わいたい方は
 遠慮なくお申し出ください。



四千万人を殺したインフルエンザ  スペイン風邪の正体を追って

2005年11月25日 00時09分21秒 | 読んだ本・おすすめ本・映画・TV評
 今年もインフルエンザの予防接種を受けて来た。

昨年も受けたが、直後から両耳が聞こえなくなるという
症状が出た。聞こえないのは耳鳴りがすごかったため。

副作用だった。

医者に問い合わせてみた。

「一週間もすれば聞こえるようになる。」との答え。

たしかに一週間ほどで耳鳴りは収まった。


 さて、インフルエンザのワクチンの接種を受けたから
といってインフルエンザに罹らないという保証はないそ
うだ。
 今、話題の鳥インフルエンザに至ってはワクチンの開
発が半年先だというから、あとは体調を崩さないように
務めるほかはなさそうだ。


 前置きが長くなったが本書は1999年に発行されている。
このとき、すでに現在の鳥インフルエンザが“予言”さ
れている。鳥のインフルエンザ・ウィルスが遺伝子間の
組み替えを起こし種の壁を越え,人ウィルスに"進化"する
“予定”だと。

人のインフルエンザウィルスを縦軸に鳥やブタなどのウ
ィルスを横軸にしたマトリックスの組み合わせの空白欄
の存在は、未だ我々が遭遇していない殺人インフルエン
ザの可能性を指し示すものだ。その空白を埋めるように
新種のウィルスが誕生する仕組みがわかりやすく説明さ
れている。(先日、TVでも紹介があった。)

1918年
猛威を振るったスペイン風邪。日本でも38万人が死亡。
世界中で4000万人が死亡している。当時とくらべ格段に
交通ネットワークの進んだ現在では、感染は時間単位で
世界中に広がるだろう。

すでに中国では厳戒態勢に入っているが、あのSARSどこ
ろの騒ぎでないところに今回の深刻さが窺える。

 さらに怖いと思ったことがある。
日本の政府は今回のウィルスにかこつけてなんと「戒厳
令」を試みようとしている。
「大規模なコンサートや集会の自粛・禁止」とか
ワクチンの接種にも順位を付け政府の要人(自分らのこと)
などは最高ランク、高齢者は下から2番目とか。

 本書にもあるが、中国の貧困やその生活習慣の改善とい
った過去のスペイン風邪における教訓などが世界各国政府
とりわけ“先進”と呼ばれる国々の医療・厚生組織に生か
されず、それこそグローバルな対応を怠ったツケが「戒厳
令」にされたのではたまらない。

1999年 文芸春秋社刊
* ピート デイヴィス (著)
* Pete Davies (原著)
* 高橋 健次 (翻訳)
 



ユニークな記録法

2005年11月24日 00時00分40秒 | 歩く印象派
 小松健一さんという写真家の話だ。
著書には「ヒマラヤ 父と子の旅」(高文研)などがあるらしい。
(「らしい」というのは私はまだ未読のため。NIさん、ごめんなさい。)

NIによれば、その小松さんの記録方法がユニークだという。
小松さんはいつもテレコ(テープレコーダー)を携行し目の前の
出来事をつぶさに録音しまくるのだそうだ。

写真家だから、自身で撮影した写真とあとでテープから起こした
文章を組み合わせて一冊の書物にまとめあげてしまう。

なるほどと思った。山頂で朝のご来光にしろ、夕暮れの空の変化に
しろ景色の変化は意外にすばやい。写真を撮ったりしているうちに
メモを取ることなど、忘れることしばしばである。

 録音という手なら、撮影しながらでも口は動かせる。
第一、情報量は筆記をはるかに上回る。
それに、あとで聞き直すにしろ、自分で吹き込んでいるんだから
途中でどこを飛ばせばいいか、容易に判断できるし。
(座談会で他人の声を起こすときなどはそう簡単ではない。)

今は、IC録音機などという小ざかしいアイテムもある。
(そういえば我が家にもてぽの放置品があったな。)
私も真似してみたいと思った。

しかしだ。
誰も周りにいないときはいいが、周囲に人がいるときには、
けっこう不思議がられる気がする。(特に私なんかだと)
ちょいと(いや、けっこう)勇気が必要かもしれない。

ま、そういうこと気にするようじゃ、チャンスを取り逃がす
ってことか。

 なんだか小松氏がとても偉大に思えて来た。




艦上戦闘機としてのゼロ戦

2005年11月23日 12時21分16秒 | 平和憲法9条
 ゼロ戦は正式には零式艦上戦闘機という。略して「零戦」(「れいせん」と呼ぶのが正式らしい。)「零」の由来は皇紀2600年の下二桁の00から来ている。ちなみに(「ゼロ戦」の前の艦上戦闘機)96艦戦は2596年、陸軍の97式は2597年という具合に名づけられている。

 さて、問題は「艦上戦闘機」という仕様だ。「艦上」とは艦の上、つまり、艦船に搭載するという意味である。この場合の艦船とは航空母艦いわゆる「空母」のことだ。空母というのは、戦闘機や攻撃機を搭載して他国を攻めるための軍艦だ。イラク戦争でも大量のミサイルを翼下に蓄えたF18(ホーネット)が米国の空母から発進するシーンをTVなどで見たと思うが、あれである。はじめから他国を侵略するための飛行機なのである。(写真は空母インデペンデンス左と艦載機F18ホーネット右)


 現在の日本の陸海空自衛隊には着艦フックを備えた艦上戦闘機などは存在しない。空母に搭載する必要がないためだ。他国への武力行使、侵攻、先制攻撃などは憲法9条によって禁止されている。

 逆に空母を持つ、艦上機を保有するということは「他国を攻めますよ。」という意思表示にほかならない。

実際に、1941年12月8日未明(日本時間)に日本の海軍は赤城、加賀、飛龍、蒼龍の空母4隻をもってハワイを奇襲攻撃した。いわゆる真珠湾攻撃である。
そのときの主力戦闘機が「ゼロ戦」であったことは言うまでもない。

 しかし、その設計思想にはパイロットの安全対策などが欠落するという非人間的な側面があった。防御をまったく考慮しない「肉抜き穴」などはその際たる物だ。「肉抜き穴」というのは、飛行機の骨組みなどで、軽量化をはかるために骨のところどころに穴を空けるというもの。それをゼロ戦ではなんとパイロットの座席の背もたれにまで穴を空けてしまった。銃弾などからパイロットを守るために、座席周辺の装甲を厚くする必要があるが、ゼロ戦では、人命保護は軽視されていた。対するアメリカのF6Fなどが操縦席の装甲を厚くし、燃料タンクもゴムで覆って弾丸の貫通を妨げるなど人命保護に力をいれたのと好対照だ。(写真は翼断面骨の肉抜き穴)


遊就館ロビーのゼロ戦だがラバウルに放棄されていたのを持ちかえって補修したものだそうだ。数機の残骸の寄せ集めで、河口湖自動車博物館で復元、靖国神社に寄贈された。型式は52型。最も生産数の多い機種である。ちゃんと着艦フックも付いている。


(※なお、本稿はU山氏の指摘に基づき一部差し替えました。11月30日更新)











3円の「神様」

2005年11月22日 17時50分28秒 | 歩く印象派
 昔、こうちゃん(KING氏の弟)がMAXコウと
呼ばれていた頃の話。

 少年MAXコウはゲーマーに憧れていた。
毎日8時間はゲームに費やす生活であった。
来る日も来る日も、コウはゲームに打ち興じていた。

 ある日、コウは山辺小近くのコンビニ「スパー」
で100円のお菓子(たぶん)を買おうとレジに持っ
ていって財布から全財産の100円玉を差し出した。
しかし、眼光鋭いオバさんは言った。
「103円だよ。3円足らないよ!」
事情のわからないコウはドギマギしてしまった。
100円のモノを買ったのに103円?

(実はその日から消費税が当時3%加算されたのだが、
幼いコウはそのことを知らなかった。)

するとそのときだ。
コウの後からさっと大人が現れ3円を眼光オバさんに
手渡し、去っていった。

コウにはその人物がまるで「神様」のように思えた。

「それがZEROさんだった。」
と語るのはKING青年なのだが、私の方はすっかり忘
れていた。そんなこともあったかな?

KING青年によるとその後、しばらくの間、私はコウ
ちゃんの神様だったそうだ。