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森羅万象 ~ 歩く印象派

食事の前に水、コップ2杯で減量効果 米化学会で発表

2010年08月31日 06時11分12秒 | 1年かけてダイエット
2010年8月31日0時11分朝日COM

【ワシントン=勝田敏彦】食事の前に水をコップ2杯飲むだけで、減量に効果があることが、米バージニア工科大のブレンダ・デービー博士らのチームの臨床試験でわかった。水でやや満腹を感じ、カロリーが高い料理をあまり食べたくなくなるためで、手軽で安価にやせられるかもしれず注目されそうだ。

 26日までボストンで開かれた米化学会での発表によると、チームは55~75歳の48人を二つのグループに分け、一方のグループには1日3回の食事前にコップ2杯(約470cc)の水を飲んでもらった。

 両グループとも、食事制限による12週間の減量プログラムに参加。終了後、食前に水を飲み続けたグループは7キロ減量したが、水を飲まなかったグループの減量は5キロだった。

 これまでの研究で、中高年が食前に水をコップ2杯飲むと、食事によるエネルギー摂取が75~90キロカロリー減ることが知られていたが、チームは「水を飲む量を増やすと減量に効果があることが初めてはっきりした」としている。

 チームによると、食前に飲むのは水でなくてもいいが、砂糖がかなり含まれるジュースなどは勧めていない。また水の飲み過ぎで、まれに「水中毒」が起きることにも注意が必要、としている。

富士重、新宿駅西口のスバルビル売却 東京・恵比寿に本社移転

2010年08月31日 06時06分37秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
8月30日15時46分配信 産経新聞
 富士重工業は30日、現在本社がある東京都新宿区の新宿スバルビルを売却し、2014年に渋谷区恵比寿の自社ビルに本社を移転すると発表した。JR新宿駅西口のシンボルとして、建設から44年間親しまれてきた新宿スバルビルだが、床面積の不足などもあり、移転を決めた。

 新宿スバルビルは地上9階、地下5階建てで、床面積2万385平方メートル(敷地面積約1600平方メートル)。富士重工業は同日、小田急電鉄と340億円で売却する契約を結んだ。

 引き渡しは来年4月だが、今後4年は賃借。その間に東京・恵比寿にあるエビススバルビルを建て替え、本社を移転する。

 富士重工業は1953年の設立当初に新宿スバルビルの所在地に建っていた東富士ビルに本社を置いた。翌54年に東京・丸の内に一度本社を移転したが、66年に新宿スバルビルを建設してからは本社として利用してきた。

 同社では「資産の有効活用に加え、移転によって現在分散している本社機能の効率化を図りたい」としている。

「報道・解説・評論」は機能しているか

2010年08月30日 05時32分50秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010年08月30日朝日COM

栗田 亘 (コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」執筆者)

 行きつけの縄のれんで「サンマが高値だってね」と嘆いてみせた。海水温が高く不漁で、1匹1000円以上の値がついた、といった記事の受け売りだ。
 するとオヤジが言った。「ナニ、そのうち下がりますよ。大体ね、8月の暑い盛りからサンマ、サンマと一大事みたいに騒ぐのがおかしいんです。漢字で秋刀魚と書くように、サンマは本来秋のものなんだ。秋になれば脂がのってずっと旨くなるし、値段もだんだん下がるに決まってらあ。どうもね、この、物知らずのマスコミがいけないんだね。初物、初物と煽るばっかりで、季節感も何もメチャクチャにしちまいやがる」。攻撃がマスコミに向くと、口調が伝法になった。

 値が下がるかどうか保証の限りではないが、オヤジの言い分はわかる。ただし、新聞・テレビがとかく上滑りになるのは、持って生まれた業のようなものだ。 1000円の値がついたとなれば、何はともあれ文字にし絵(写真)にする。騒がないではいられない。騒がなければ他社、他局に後れをとる。そもそもニュースとは何か。とりあえず話題になるのであれば、それは立派なニュースなのである。

 とりあえず話題になる――世論調査の結果もその一つだろう。毎週のようにどこかの新聞・テレビが「当社の世論調査によると」と内閣支持率を報じる。鳩山政権が千鳥足になり、受け継いだ菅政権も飛翔できない。そこへ、前首相と一蓮托生、役職を退いた小沢一郎氏が民主党代表選に出ると宣言した。マスコミたるもの、これを騒がなくて何を騒ぐか。
 といって、床屋政談ではあるまいし、空気とか世間話だけを根拠に騒ぐわけにもいかない。その点、世論調査の結果は数字で表される。空気や世間話が計量化されて出てくる。なにより、数字とはもっともらしい存在だ。水戸のご老公の印籠みたいなものである。内閣支持率が下がりました、と総理大臣にぶら下がり取材で突きつければ、相手も一言せざるを得ない。「総理・内閣の政策のここがおかしい」と論を立てて追及するよりは、手っ取り早く記事にできる。

 などというのは、もちろんゲスの勘繰りに違いない。でも、世論調査の数字がそのままニュースになり、その数字がしばしば一人歩きしているのは、おおかたが認めるところだろう。
 当事者からすれば適切な間隔を考えて慎重に実施しているにしても、各種世論調査が集積すると矢継ぎ早、腹いっぱいの印象になるのは否めまい。8月17日の朝日新聞「声」欄(東京紙面)にも「過剰な内閣支持率報道に疑問」と題して批判の投書が載った。
 〈世論調査は国民の意見を知るための重要なツールである〉と認識しながらも、〈毎月のように(内閣)支持率を知ったところで、不透明な政治情勢を正確に見通せるわけではない。ましてや、日本が直面する政策課題の解決に役立つはずもない〉〈過剰な世論調査報道のせいで、政治不信があおられているように思えるのだと〉と疑念を呈する内容だ。

  この投書は8月14日の同紙に掲載された「夏の基礎講座」シリーズの「世論」を立論の手がかりにしている。専門家に専門外の記者が素朴な疑問を問う企画で、全5回のうちのこれが4回目。登場する専門家は京都大学大学院准教授の佐藤卓己さんだ。
 佐藤さんは世論(せろん)と輿論(よろん)を区分けして論じる。それによると、大正期までは両者はかなりはっきり区別されており、戦前はヨロンは輿論と書いてきた。世論はセロンとかセイロンと読んだ。輿論とはパブリックオピニオンで、世論はポピュラー戦センチメンツ。つまり輿論は理性的討議による合意、真偽をめぐる公的関心で、世論は情緒的参加による共感、美醜をめぐる私的心情である。
 とてもわかりやすい。ついでに「輿論」の「輿」の字はむずかしいから、「世論」で統一してしまおう、といった戦後国語改革なるものの浅薄乱暴な一面も浮き彫りになる。
 佐藤さんは続けて、
 「例えば今の菅さんを支持するか、しないかというような電話が私にかかってきて答えますよね。ただ私は日々、菅さんを支持するか、しないかということを考えて生活している人間ではない。普通の生活人はそうですよ。そういう人たちが支持するか、しないかというのは、周囲の世間話、あるいは昨日、今日のニュースやワイドショーでどう報じられていたかということで、まさに空気を読んで答えているだけです。自分でよく考えた反応ではない」「輿論と世論の区別でいえば、一定の時間に耐えられるかどうかというのが輿論を世論と分かつものだともいえる。つまり輿論は明治時代、公議輿論といわれていたように、公に議論して作られる意見だから、時間がかかることは前提でした。そうして熟議され、合意を得た多数意見である輿論が、1週間、2週間でころころ変わるはずはない。だからころころ変わる内閣支持率というのは、そもそも輿論だとはいえないわけです」

 いよいよわかりやすい。もちろん佐藤さんは現行の世論調査(セロンチョウサと読みたくなる)を否定しているわけではなく、その有用性は十分に認めている。要は、結果として出てきた数字をどれだけ深く吟味するかしないかの問題になる。

 引用が長行にわたるけれど、つぎの個所も大切だと思うので、あえて再録したい。
 「ナショナリズムが暴走する危険性を意識する上でも、圧倒的な空気、つまり世論の圧力に抗しても、理性的な意見、つまり輿論は最後まで守るんだという覚悟は大事ですね。(中略)過去の歴史を振り返ってみれば、輿論の必要性は確かに実感できるはずです。例えば戦争に至る空気の暴走ですね。それに対する歯止めというか、むしろ病気を防ぐための予防体操みたいなこととして、輿論か世論かという弁別の思考は訓練しておく必要があると思います」
 訓練、覚悟が求められるのは、まず第一にジャーナリズムであろう。そして今、紹介した投書が危惧するように、世論調査の数字を取り扱う姿勢をめぐって、ジャーナリズムに疑義が投げかけられている。

 ふと思う。「世論調査」でなく「輿論調査」と表記することにしたら、訓練・覚悟に、あるいはよい影響が生じるのではないかしら。

 それはともかく。
 半世紀前、私が高校生だった頃、「朝日ジャーナル」誌が創刊された。当初の内容はいささか高踏的で、幼い高校生には取っつきにくかったが、表紙の朝日ジャーナルという題字の前に置かれた「報道 解説 評論」といううたい文句は、あたかも三種の神器のようにこの週刊誌の基本姿勢・目標を明確に表現していて新鮮だった。
 新聞の場合、いうまでもなく報道が優先する。しかし近年、劣らず重要だと認識を新たにされてきたのが解説・評論だ。
 シリーズ「夏の基礎講座」は、解説としてなかなか魅力的だった。聞くところによると、ふだん新聞があまり取り上げないような基本的な概念について、「そもそも」を解き明かす記事を掲載するのが狙い。その道の専門家に質問を浴びせる聞き手には、ふだんの取材ではテーマと縁が薄いが面白くて意表を突ける記者を選んだという。
 「生命」「同盟」「市場」「世論」「結婚」の5つのテーマのうち、私がいちばん興味を抱いたのはむろん「世論」。聞き手はスポーツ担当編集委員の西村欣也記者で、この起用も成功だった。加えて、記事の行数がたっぷりあったのも効果的。ご用とお急ぎの読者が多いといっても、読ませる記事、読ませたい記事は、それなりの長さがほしい。

 冒頭のサンマの話に戻れば、縄のれんのオヤジの言のごとく、真夏からサンマ、サンマと大騒ぎしすぎるのも考えものではないかしら。繰り返せばサンマは本来、秋が旬。「初物、初物と煽るばっかり」とオヤジにあまり言われると(私利私欲ながら)せっかくの酒が味気なくなる。


死刑執行する「刑場」、報道機関に初公開 法務省

2010年08月29日 18時43分03秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010年8月27日11時1分朝日COM

法務省は27日午前、死刑を執行する場所として東京拘置所(東京都葛飾区)内に設けられている「刑場」を報道機関に公開した。刑場は全国7カ所の拘置所・拘置支所にあり、これまで国会議員が視察したことはあるが、報道目的で公開されたのは初めて。

 千葉景子法相は7月28日に同拘置所で自ら立ち会って2人の死刑を執行した後、刑場を公開する方針を示した。昨年5月に始まった裁判員制度で死刑が求刑される事件が審理されるのを前に、「国民的議論」につなげたい考えだ。

 公開されたのは、執行前に死刑囚が宗教者の教えを受ける「教誨(きょうかい)室」や死刑囚が執行の宣告を受ける「前室」、実際に執行される「執行室」など。ただし、死刑囚の首にかけるロープは取り外された状態で、死刑囚が立つ「踏み板」が開閉する様子も見せなかった。


報道機関に公開された東京拘置所の「刑場」の「執行室」。右奥の床から壁づたいに取り付けられた金属の輪にロープを通し、天井の滑車からつり下げる=27日午前、東京都葛飾区、代表撮影

報道機関に公開された東京拘置所の「刑場」の「ボタン室」から見た「執行室」(右奥)=27日午前、東京都葛飾区、代表撮影

報道機関に公開された東京拘置所の「刑場」の「ボタン室」=27日午前、東京都葛飾区、代表撮影

報道機関に公開された東京拘置所の「刑場」の「立会室」から見た「執行室」(上)=27日午前、東京都葛飾区、代表撮影


<遭難>あめ玉7個と水で2週間 30歳生還 埼玉・両神山

2010年08月28日 07時04分05秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)
8月28日1時5分配信 毎日新聞
 27日午後3時5分ごろ、埼玉県小鹿野町の両神山(標高1723メートル)の七滝沢で、東京都大田区の会社員、多田純一さん(30)が座り込んでいるのを、捜索していた県警山岳救助隊が発見、同県秩父市の病院に搬送した。多田さんは14日朝「これから登ります」と家族にメールをしたのを最後に連絡がとれず、家族が15日未明に捜索願を出していた。

 同救助隊によると、多田さんは左足を骨折しているが、命に別条はない。持っていたあめ玉7個と沢の水を飲んでしのいでいたという。発見時には防寒用に薄手のジャンパーを着ていた。衰弱していたが隊員に「手を握ってほしい」と求め、隊員が応じると涙を流して喜んでいたという。

 多田さんは13日夜に家族に「秩父の百名山に登る」と言い残して自宅を出発。1人で入山したらしい。登山の経験は少なかったという。【鷲頭彰子】

久々の北アルプス(その5)体感!高度が上がると空気は薄くなり疲労が増します。

2010年08月26日 22時06分55秒 | 歩く印象派
(上の写真は今から7年前に訪れた鏡池です。お天気よかったです。)

今回登った笠ケ岳の標高は2898m。
三千メートルにはほんの少し及びませんが、どこから眺めても「笠」の形を崩さないその山容は堂々としたものです。



さて、今回の山登りですが、どのガイドブックでも山小屋(笠ケ岳山荘)まで7~8時間(途中休憩 含まず)となっています。私は8時間(含む休憩)ほどで到着しました。(6時登り口→14時山荘着)水は2リットル携行。

杓子平(標高2400m)から先がたいへんきつく感じました。

新穂高温泉から笠新道入り口まで約1時間ほどです。
ここから本格的な登りとなり、急登が延々と続きます。
あえぐようにして4時間、ようやく杓子平にたどり着きました。
意外と順調だなと思いましたが、いささかペースが早かったようです。

これでまだ、コースの半分ですが、目指す笠ケ岳の頂上が姿を見せ、周囲には高山植物の花が咲きそろい、コツコツと登り詰めてきた疲れをいやしてくれます。

しかし、ここは標高2400m。
空気は通常より25%は薄いのです。
ここから先、空気はさらに薄くなります。思うように足が運ばず、息も切れ切れとなり、2時間かかって抜戸岳の分岐、そして笠ケ岳山荘にたどり着いたのは14時でした。前夜、運転で睡眠不足も重なったせいもあるようです。

山荘直下のテント場からの最後の登りではわずか百メートルの距離を8歩歩いては深呼吸を5回を繰り返しながらのカメさん歩き。最初のハイペースのつけが回った感じです。もっとペースを落として登ればよかったと痛感しました。

思えば、以前、白馬の小屋目前でも、北岳や槍ヶ岳の山頂直下でも同様の経験をしています。人により高度の影響はさまざまですが、私の場合は標高2500mあたりから影響が出るようです。この辺を教訓に(前半のペースを抑える歩行を心がけるよう)次回の山行計画を立てたいと思います。

幸いなことに、足自体の筋肉痛や靴擦れ、マメなどはなく、一晩寝たら疲労は回復。
おかげで翌日、弓折岳を経由鏡平小屋を回って下ることができました。

ビートルズの名曲、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」が首位=米誌

2010年08月26日 07時16分49秒 | Rock 音故知新
 8月25日、米ローリング・ストーン誌が、ビートルズの「グレイテスト・ソング100」を発表。写真は2007年1月に英国で発行されたアルバム「レット・イット・ビー」の特別切手。Royal Mail提供写真(2010年 ロイター)

2010年8月26日朝日COM
 [ニューヨーク 25日 ロイター] 米ローリング・ストーン誌が25日、ビートルズの「グレイテスト・ソング100」を発表し、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」(1967年)が1位となった。

 2位は「抱きしめたい」(1963年)が入り、ジョン・レノンが英リバプールでの子ども時代を回想し作ったとされる「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」(1967年)が3位にランクインした。

 今回のランキングは、ビートルズの最後のスタジオ録音アルバム「レット・イット・ビー」(1970年)のリリースから40周年を記念した同誌の特別編集版の企画として発表された。

 トップ10の曲は以下の通り。

 1.ア・デイ・イン・ザ・ライフ

 2.抱きしめたい

 3.ストロベリー・フィールズ・フォーエバー

 4.イエスタデイ

 5.イン・マイ・ライフ

 6.サムシング

 7.ヘイ・ジュード

 8.レット・イット・ビー

 9.カム・トゥゲザー

10.ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス

「処暑」なのに「猛暑」、9月も30度超続く?

2010年08月23日 18時43分41秒 | 地球の不思議・宇宙の不思議
8月23日14時33分配信 読売新聞

23日は暑さが和らぐとされる「処暑」。

 しかし、午前中から各地で気温が上がり、正午までに東京・練馬では36・0度、大阪市でも35・2度を記録した。気象庁によると、今週中も西日本を中心に35度以上の「猛暑日」が観測される見込み。9月に入っても平年より暑い日が多いといい、厳しい残暑は当分続きそうだ。23日は午後0時44分に東京・大手町で34・9度、名古屋でも午前11時18分に34・4度となっている。

 同庁によると今週も最高気温は東京で33~35度、名古屋で33~35度、大阪で34~36度となる見通しで、全国的に平年より2、3度高い状況が続きそう。9月前半も各地で30度以上の「真夏日」が相次ぐという。8月中旬(11~20日)の西日本の平均気温は平年より2度高く、1961年の観測開始以来最高を記録。東日本も1・8度高く、過去2番目となった。今月22日までに、東京(大手町)では猛暑日が8日あり、過去2番目に多かった2001年に並んだ。名古屋は14日、大阪は23日も含めると17日あった。

北軽井沢・照月湖の馬場

2010年08月22日 22時27分33秒 | 歩く印象派
宝島社のことを調べていたら
ウィキペディアにこんな記述があった。

「2003年には、北軽井沢・照月湖を含む近隣エリアを買い取り同社保養所とする。 その後馬場を作ったり、一旦湖水を減らしたり、私有地のため地図上・観光パンフからの表示を取りやめるよう一部に持ちかけるなどし、照月湖を愛する近隣住民・自治体と若干のトラブルが発生している。」

緊迫、夏山救助ヘリ 「往復4分、収容1分。やれる」

2010年08月21日 18時49分53秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)
(山岳警備隊員に抱えられてヘリに収容される女性遭難者=10日午前10時54分、岐阜県高山市、石橋亮介撮影)

2010年8月21日15時6分朝日COM

 夏山登山の最盛期を迎え、各地で遭難事故が多発している。8月上旬、北アルプスの槍ケ岳(3180メートル)に登った際、岐阜県警のヘリコプターによる救助活動に遭遇した。現場は険しい地形で、雨雲が迫る不安定な天候。一分一秒を争う緊迫したレスキューだった。

 10日午前10時半ごろ、槍ケ岳から下山中にヘリのごう音が聞こえた。樹林の間から、すぐ下の谷の上空で岐阜県警のヘリがホバリング(空中停止)し、隊員を降ろしているのが見えた。走った。

 穂高連峰西面にあるロッククライミングの名所、滝谷(たきたに)だ。登山道が谷を横切る場所に下りると、黄色のヤッケを着てぐったりしていた女性登山者を県警山岳警備隊員らが介抱していた。

 「間もなくヘリが遭難者の救助に来ます。すごい強風なのでみなさん動かずに伏せて下さい」。救助活動をかって出た若い男性がその場にいた他の登山者に呼びかけた。戻ってきたヘリが上空30メートルでホバリングし、ワイヤを下ろす。隊員に抱きかかえられた女性がつり上げられた。2人を収容したヘリは、ヘリポートがある鍋平(なべだいら、1300メートル)に戻った。

 関係者によると、救助されたのは33歳の女性会社員。9日午後、同僚の50歳男性と滝谷の入り口にかかる落差30メートルの雄滝(おだき、2080メートル)横の岩壁を登っていた際、ハーケン(金属製の支点)が抜けて約15メートル転落した。負傷した女性は、はうように登山道まで下り、翌10日午前、登山者に救助を求めた。男性は雪渓と岩場の間に落ちて死亡。この日、ヘリは遺体の収容、隊員輸送などで鍋平と現場を6往復した。

 岐阜県警は夏山最盛期、救助用ヘリを登山口の新穂高温泉近くの鍋平に駐機させ、遭難に備えている。通常は交番などに勤務する山岳警備隊員(約30人)は7、8月、登山指導センターや穂高岳山荘などに詰め、休日返上で夏山警備にあたる。ヘリの出動件数は20日までの約1カ月間で、昨年同期よりも6件多い17件を数えた。

 ヘリを操縦した中島健二郎・航空隊長(59)は自衛隊出身で、この道38年。山岳救助の世界では伝説的な存在だ。「救助現場は戦場と同じ。万全の準備をし、最悪の条件を想定して現場に向かう」と力を込める。

 女性登山者を救助した後、滝谷での遺体収容作業も、時間と危険との闘いだった。

 幅約70メートルの雄滝周辺の谷を、回転翼の長さ14メートルのヘリが、縫うように突っ込んでいく。木に触れれば、墜落の危険もある。しかも雨雲の動きはめまぐるしい。中島隊長は長年の経験で決断した。「鍋平と現場の往復に4分。遺体のみの収容なら1分。やれる」。雨雲が途切れた一瞬を見極め、遺体を引き上げた。現場に隊員を残してヘリが谷を脱出した直後、周囲は再び雨雲に覆われた。

 不測の事態に備え、登山者も心構えが必要だ。山岳救助のプロとして、中島隊長はアドバイスする。(1)携帯電話は命綱。あらかじめ十分に充電し、救助要請以外の通話は極力避ける(2)赤や黄など原色の目立つウエアを着ること(3)自分の存在を知らせるために、鏡やカメラのフラッシュのほか、沢では火をたいて煙を上げることも有効。

 警察庁によると、全国の山岳遭難は件数、人数とも右肩上がりで増加。昨年は統計のある1961年以降、初めて遭難者数が2千人の大台を突破した。今夏も7月は北アルプスを管内に持つ岐阜、長野、富山各県では遭難件数、人数とも前年を上回る。救助要請の中には、下山中の高齢者がバランスを崩して転倒したケースが目立つ。

 休日返上で遺体収容作業にあたった岐阜県警山岳警備隊の谷口光洋隊員(53)は「本来、登山は楽しいスポーツ。だが、登山者には山の怖さをもっと知って万全の備えをして欲しい」と呼びかける。北アルプスは、今月末まで夏山警備が続く。(近藤幸夫)