All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

2004年12月26日 の朝見た夢  明け方6時頃

2007年05月23日 18時53分17秒 | 
2年以上前に見た夢だ。(日記より転載)

寒い地方。コサック帽をかぶった衛兵が立ち並ぶ回廊をひたすら歩いていくと右側の衛兵の列に見なれた顔が。太ってはいるが高校時代の友人K内君に間違いない。「K内君」と声をかけるが応答がない。「こいつ、とぼけちゃって」とその太った身体にまとった防寒コートを指で突っ突いてみたがやはり反応はない。

ここで場所が一転して東南アジアの路上をジープで走っている。運転手はその地方の少年。まさしくアジアの少年である。遠くにテーブルマウンテンが細く高くそびえる。カメラにおさめようと運転手の少年に声をかけるがブレーキが利かないらしく、いいカメラアングルの場所は通り過ぎてしまい、テーブルマウンテンは民家に隠れてしまった。ふと頭上を見上げると考えられないくらい巨大な入道雲スコールの雲がゴムの氷嚢のようにみるみる膨らみ空を暗く覆う、その雲の表面のイボイボ状の凹凸が茶色くなんとも無気味である。氷嚢はさらに膨らみはち切れんばかりとなった。あれが破裂するととんでもない量の水が落ちてくることは必至だ。目を凝らしてみるとゴム毬と化したその表面にはなにやら文字がびっしりと書き込まれているではないか。まったく判読不明の文字である。日本語でも英語でもない。気がつくと大きな崖の下にジープは停まっていて、小さな小屋が目の前にあった。思わず小屋に飛び込むと同時にバケツを引っくり返したような激しい雨というより水の塊が落ちてきた。雨宿りしているところで目が覚めた。


大地震の夢

2007年04月18日 07時47分03秒 | 
明け方、いきなりドスンという音と共にこれまで経験したことのない大きな揺れを感じ目が覚めた。まもなくスッとエレベーターが急降下するように一瞬身体がふわっと宙に浮くような感触に襲われたと同時に今度は家全体がねじれるような大きなうねりが襲ってきた。渦巻きの中にいるような、一歩も動けない激しい揺れが続いた。本棚の本やCDやらありとあらゆるものが落下し散乱し、このまま家が倒壊するのではないかと思ったが、揺れはそこでピタッと収まった。なんとか持ちこたえたようだ。窓の外に目をやるとコンクリート製の電柱が真ん中から二つに折れて倒れていた。隣家の軒は通りに面した部分が瓦ごとそっくり落下していた。この間わずか一分足らずの出来事なのだが、非常に長く感じた。揺れが収まり、外へ出てみたところで、本当に目が覚めた。

なにかリアル過ぎて、空恐ろしい気持の朝だった。

TVを点けてみたが、地震らしいニュースの報道はなく、米国の大学で起こった銃乱射事件の続報と昨夜銃で撃たれた長崎市長が死亡したことを伝えていた。

失くしもの

2005年12月03日 23時53分21秒 | 
この一週間で
失くすと困るものを立て続けに落としたり忘れたりした。
幸い、いずれもすぐに発見され、事なきを得たのだが
なんか変だ。納得できない。

1銀行の通帳:ATM で記帳した後。ただし、記帳した通帳は手元にあった。
       失くしたのは、その前の既に失効したものだった。
       ATM内で拾った人から銀行に届け出があり、銀行からの
       電話ではじめて知った。

2クレジットカード:ヤマダ電気で買い物した際に使用したのだが、店員が
       カードを返すのを忘れたため。私も利用明細とヤマダカードを
       を渡してもらった時点で、店を出てしまった。これも、店を
       経由してクレジット会社から自宅へ電話がくるまで気がつかな
       かった。

3鍵    :鍵は会社の出入りに使用しているものだが、施錠後1分で消えた。
      コレだけは、その場で失くしたことにすぐ気がつき、十分ほど周囲を
      丹念に探して見つかった。

 これらは、たぶん、夢と同じで無意識が(覚醒意識)の私に何かを知らせている
のかもしれない。

20日朝の夢

2005年11月21日 00時33分03秒 | 
 奇妙な乗り物に乗った。

 結婚式場の建物から外へ出てタクシーを呼んだ。
現れたのは一応はタクシーなのだが、構造がまった
く違った。
縦型の箱のなかに宇宙飛行士が乗るような椅子が一
人分あってそこに座らされた。箱のなかは非常に狭く
ひと一人やっと入れる広さしかない。

シートベルトもちゃんとありそれも締めてくれた。
締めてくれたのはたぶん運転手だろう。

次でびっくりした。
まるでエレベーターのようにドアが左右から閉まった。
ドアはすぐ目の前にあり、すごい圧迫感でしかも前は
全く見えない。たいへん不安になる。

そのうちに、車(いちおうタクシーなんだから)が
動いたのがわかったが、ちゃんと走っているのかどうか
不安で仕方がない。だいいち、運転手はどこにいてどう
やってこいつを操縦しているんだろう?

いやいやそんなことよりもっと大事なことを思い出した。
俺は行き先を運転手に告げてないはずだ。

いったい、どこに向かって走っているんだ!

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 残念なことにここで目が覚めた。

 



立ち現れる「無意識」について

2005年10月29日 23時22分31秒 | 
17、18日の旅行で同室となったY縣氏から字画占いをやってもらった。そのとき感じたことだ。Y縣氏が私に語りかけているというより私の無意識が眼前に立ち現れて意識(覚醒)化の私に語っているとしか思えないほどのパワーに正直驚いた。巷には星占いや四柱姓名や気学、タロットなど様々な占いが流布しているが、先に結論を言おう。よく「当たる」かどうかはその占いの内容とはまったく関係ないということだ。「たまたま、その占いであった。」ということだ。要は夢のときとまったく同じで、無意識が意識に向かって何かを知らせる手段のちがいと考えればよい。「まるで乗り移ったかのよう。」という奴だ。だからユングではないが「あらゆる象徴を使って意識の側に働きかけを行うときにその種のものが用いられる。」ということだ。無意識の方から何かを知らせる意志がない場合には占いはそれ(単なる手続き行為)以上の何ものでもない。(この項は後で詳述予定。)

昨夜見た夢

2005年09月16日 06時34分28秒 | 
昨晩はたくさん夢を見た。寝言もかなりだったようだ。(家人には迷惑千万!)
夢の記録9月16日 オムニバス風で断続的な夢だった。
(1) スピード感のある車が疾走している。女、前の運転席に乗っている。後部座席左側に乗っている私は、外から顔を出し、前の助手側の窓から女に叫ぶ。(どう考えても変なのだが夢の中ではこうなっていた。)どなる。女、何かを言い返す。私、怒鳴り返す。(この女性とは敵対関係にあるようだ。)

(2)老婆の家、農村、田園地帯まわりは田んぼ(稲がまだ青かったから初夏か)夕方、遠景には里山、老婆と外へ出かける。田んぼ道。老婆護衛のためか犬2匹、うち一匹ははじめは存在しない。ずっと後に袋の中から飛び出てくるまでわからなかった。犬は吠えたりしない。老婆は家を出る際に、長いコードの着いたカラオケに使うようなマイクで外出することを誰かにを伝えていた。マイクはこの村(?)の有線放送のようなシステムとつながっている模様。コードの長さは無限ではなかったようで途中で老婆はマイクを道端に置いていく。(まるで命綱を離したような印象)老婆はたくさん土地持っていて途中途中で(自分の)田んぼをチェックしていた。さきほどのもう一匹の犬が飛び出るシーンだが、しばらく老婆と歩いた後、老婆の持っていた紙袋を受け取りそれを抱えて歩いているうちに住宅街に入る。そこで小さな用水堀が右手に見えた。柳の木が堀に沿って何本か並ぶ。水は底のほうにわずかしかないが反射でその存在がわかる そのうち前方にふさふさした茶色い毛の犬が目に入る。その瞬間、私の抱えていた紙袋ががさがさと音を立て大きな犬が飛び出てきた。

(3)(家で)小学2~3年生のかぽに妹が生まれることを伝えるとかぽは大喜びする。みんなで赤ちゃんを迎える準備を記録しておこう(大きくなったら教えてあげよう。という意味)と盛り上がる。

(4)改札口を通り抜け(あるいはデパートの出入り口か?)広場に出ると黒いスーツ姿の顔が急接近。中肉中背の男。どこかで見たようなそうでないような、悪い人間ではないことはわかる。人相も悪くない。(今田にちょい似?)もう一人現れるが、その顔はわからない。二人に両脇を挟まれ「拉致?」されるが後輩たちと飲みに行く感覚で怪しさはない。会話をしたが何を話したかはあいまい。柔道部がどうのこうのという訳のわからないことを口走った覚えはある。

(5)和風の一室(畳の部屋)で、私より若い男性と二人。部屋の真ん中には小さな卓があり、男性は卓にかがみ込むように座している。私は彼の運命を知っている。彼はいづれはがんで死ぬのだ。かなり先のことなのだが)彼もそのことを知っている。私はここで「この世界」が「前の世界」と違うことに気づく。うっかりそのことを口したとき目の前に貴美ちゃんがいていぶかしそうに、「前と違うって?」と不審に思う。時刻は不明だが、曇りガラスの窓の様子から午後から夕方のあたり。低い天井には蛍光灯の明かり。

(6)小田急の町田駅前のロータリー。この駅も前とは異なっている。(この場合の前というのは、以前、別の日に見た夢。)駅前ロータリーの空母(米軍のお下がり)のオブジェ(かなりでかい)が無くなっていた。いや、10分の1くらいの模型になっていた。ロータリーを左回りに進みながらバスの車窓からそれを眺める。ただそれだけ。夕方。

 夢というのは、「夢を見る。」という能動的行為ではなく「夢を見せられる。」受動的なものだ。言い換えると「夢」のほうでこちらを呼び出しているのだ。ユングのいう「無意識」から「意識」に対しての呼びかけ、それが夢なのである。ユングは夢の中に出てくる「何か」を象徴ととらえ、その象徴の意味するところから独自の心理学を打ち立てた。

1月31日(月)晴れだが厳しい寒さは昨日と同様

2005年02月02日 19時28分44秒 | 
明け方見た夢。
小さな子供(男の子)が自分の母親をうずくまるように地面に伏して隠してしまう、という不思議な光景。
どうして自分よりも背丈のあるお母さんを隠せるの?まるでマジックを見ているようにお母さんの姿は消えてしまいました。その続きは?というとてもいいところで目が覚めてしまいました。

 写真はあかんべ山名物3大食事。左から前日リハ昼食の「肉うどん」、真ん中は夜食の「リハカレー」今回は寒の娘さんの味付けです。右は当日のたまごそぼろ弁当(「香月」さん特製)これを全部食べるにはスタッフとして二日間通わなければなりません。