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森羅万象 ~ 歩く印象派

森高さん「渡良瀬橋」舞台の八雲神社、本殿が全焼 足利市

2012年12月10日 04時56分04秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2012年12月9日17時7分朝日COM

 9日午前3時25分ごろ、栃木県足利市緑町1丁目の八雲神社から出火し、本殿など計122平方メートルが全焼した。歌手の森高千里さんのヒット曲「渡良瀬橋」の歌詞に出てくる神社とされ、多くのファンが訪れていた。

 県警足利署によると、近所の会社員男性(38)から「神社の方向から火の手と煙が出ている」と119番通報があった。出火当時、本殿に人はいなかったという。同署が出火原因を調べている。

 神社前の立て札によると、八雲神社は平安時代の869年の創建。足利の総鎮守(総氏神)としてあがめられている。


週のはじめに考える 憲法改正のマジック

2012年12月09日 19時00分06秒 | 歩く印象派

2012年12月9日東京新聞社説

 憲法で禁じた集団的自衛権の行使を法律によって可能にする、こんなからくりが国会で進みつつあります。実現すれば平和憲法はなし崩しになります。

 十六日投開票の衆院選挙で集団的自衛権の行使容認を訴えているのは自民党、日本維新の会、国民新党など複数あります。

 公約には掲げていないものの、野田佳彦首相が「見直す議論を詰めていきたい」と述べるなど民主党の中にも容認派はいるようです。尖閣諸島などの問題や国内の行き詰まった状況がナショナリズムを高めているのでしょうか。

◆集団的自衛権行使へ

 集団的自衛権とは何なのか。あらためておさらいします。一九八一年、政府は答弁書で、集団的自衛権について「自国と密接な関係にある外国に対する 武力攻撃を実力をもって阻止する権利」と定義したうえで、「わが国が主権国家である以上、集団的自衛権を有しているが、憲法九条で許容される必要最小限の 範囲を超え、行使は許されない」としています。

 政府見解は定着しており、憲法改正を経なければ、集団的自衛権行使は認められないはずですが、「国家安全保障基本法」の制定によって行使が可能になるとの見方が政党間で急浮上しています。

 例えば、自民党は七月の総務会で国家安全保障基本法の制定を決めました。まだ法案の概要しかありませんが、次に政務調査会が詳細な中身を定めていきます。

 法案の概要をみると、第一○条「国連憲章に定められた自衛権の行使」は、国連憲章五一条の規定を根拠に集団的自衛権の行使を認めています。第一一条「国連憲章上の安全保障措置への参加」は、国連安保理決議があれば、海外における武力行使を認める内容となっています。

◆憲法解釈変える法律

 どちらも憲法九条の解釈に明らかに反します。憲法違反の法案は国会提出さえできないのでは、そんな疑問が浮かびます。

 一面はその通りです。行政府の中央省庁が法案をつくる内閣立法なら、憲法との関係を審査する内閣法制局の段階でストップがかかり、国会提出には至りません。

 国会議員が法案をつくる議員立法となれば話は別です。衆院、参院それぞれの法制局が審査して意見を述べますが、提出を決めるのは立法権のある国会 議員。国会で法案を説明するのは提出議員のため、答弁に窮するような問題のある法案が提出に至ることはまずないのですが、前例があります。

 二〇一〇年五月、中谷元・元防衛庁長官ら五人の議員が「国際平和協力法案」を衆院に提出しました。先月の衆院解散により審議未了で廃案となりましたが、海外での武力行使が不可避な自衛隊の活動が三項目含まれ、憲法違反が疑われる内容でした。

 国家安全保障基本法案も、議員立法の手続きが予定されています。自民党はこの法律とともに集団自衛事態法、前出の国際平和協力法を制定し、自衛隊法を改定するとしています。

 これらの法律が成立すれば、集団的自衛権行使や海外の武力行使が解禁されることになります。法律が憲法違反か審査する憲法裁判所のような規定がわ が国にはないため、法律によって憲法解釈が変更され、「国のかたち」を変えるのです。やがて憲法が自衛隊活動の実態に合わないとの批判が起こり新たな憲法 が制定に至ると見込んでいるのではないでしょうか。まるでマジックです。

 国会で過半数を占めさえすれば、国家安全保障基本法は成立します。三分の二の国会議員の賛成や国民投票が必要な憲法改正と比べ、なんとお手軽なことか。与党であっても党内で反対され、この裏ワザはとらなかったのですが…。

 ○七年、自民党の安倍晋三総裁は首相だった当時、自衛艦と並走する米軍艦艇の防御、米国を狙った弾道ミサイルの迎撃など四類型を示し、集団的自衛権行使の容認を目指しました。いったいどの国が世界一の軍事力を誇る米国に対して正規戦を挑むというのでしょうか。

◆海外の武力行使が可能に

 起こりそうなのは、米国による海外の戦争に参加して武力行使することではないでしょうか。第二次世界大戦後、各地で起きた戦争や紛争の多くは、米 国や旧ソ連が介入して始まりました。「大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけて米国が始めたイラク戦争に英国は集団的自衛権を行使して参戦し ました。イラクへは陸上自衛隊も派遣されましたが、憲法の規定から人道復興支援にとどまりました。

 日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法を法律でひっくり返す「法の下克上」は断じて認めるわけにはいかないのです。

 
 

「そこにあるものを空気を通して見た存在感」庵野秀明 

2012年12月09日 00時39分16秒 | 歩く印象派

朝日2012年7月14日付紙面から

 

6歳の時、自宅の白黒テレビで見た「ウルトラマン」。ビル街に銀色の巨人が立ちはだかる斬新な映像に、衝撃を受けた。

「ウルトラマンがなかったら今の僕はいない」

「呪縛みたいなもの」

大学時代、すでに才能は花開き始めていた。自分自身が素顔のままウルトラマンを演じ怪獣と戦うという奇抜な自主映画を生み出し、玄 人はだしの特撮映像でマニアをうならせた。1990年代、社会現象となった代表作「新世紀エヴァンゲリオン」も、「都市を襲う正体不明の敵を巨人が迎え撃 つ」という基本設定は、ウルトラマンと重なる。

子どもの頃に熱中した特撮・アニメ番組が今も表現の核であり続けている。「オタクの中のオタク」だ。

自ら企画し、東京都江東区の東京都現代美術館で開催中のイベント「特撮博物館」(10月8日まで)は、お世話になってきた特撮作品 への恩返しだ。特撮用のミニチュアがアートとして展示され、新作映画も上映される。「特撮をつくった人々は次々と亡くなり、ミニチュアもゴミ扱いされてい る。保存に動かないと永久に失われる」と焦る。

一方では、近年進めてきた「エヴァンゲリオン」の新劇場版・全4部作の第3部「Q」の製作が大詰めだ。新作の情報は極秘扱い。先日、その公開日「11月17日」が明らかになっただけで、待ち焦がれたファンを熱狂させた。

宮崎駿監督のアニメが富士山の裾野のように幅広いファンを持つのに比べ、「エヴァ」のファン層は限られる。だが一人ひとりの愛着、 没入の度合いは、東京スカイツリーのように他のアニメを圧する。スマホ、フィギュアなど関連商品は1万点以上。いま、これほど吸引力を持つ作品を創造でき る人はアニメ以外でもそう見あたらない。

かつて「エヴァ」を「自分の内面をそのままドラマに投影したノンフィクション」と話した。スタジオジブリの鈴木敏夫プロデューサーは「迷える子羊が自分探しをする物語。夏目漱石の『三四郎』を連想させる」と話す。

97年公開の完結作では、主人公の少年シンジが、「もういやだ、死にたい」「みんな死んじゃえ」とつぶやき続け、ヒーローらしい行動は一切なかった。「他人との適切な距離が測れず、虚構の世界へ逃避している」自分自身を含むオタクたちへの、苦い批判が込められていた。

それから8年後の2005年、全4部作の映画として自ら「エヴァ」のリメークを始めた。旧作で無気力だったシンジは、09年公開の新作第2部ではヒロインの危機に「綾波を……返せ!」と絶叫し、命がけで手を伸ばす。

人見知りで知られ、取材はめったに受けない。今回のインタビューでも心の壁を感じさせる時があった。だが、その作品世界は、孤独と絶望の影が濃い旧作から脱し、「たとえ傷ついても自分の殻を破り、他者とつながりたい」強い意思が感じられる。

天才は変わったのか。

庵野秀明さん 日本が誇るべきは、アニメーションよりまずゴジラ

——「エヴァンゲリオン」新劇場版4部作の第3部「Q」が、11月17日に公開されます。旧劇場版では主人公が何もできなかったのに対し、新作では少女を救おうと必死で戦う。ご自身の内面の変化が反映されているのですか。

うーん。時代じゃないですかね。受け取る人の感じ方が変わっているだけだと思います。自分の本質は変わりようがない。

初代ウルトラマンの着ぐるみは3種類ある。その秘蔵のフィギュアの前で=東京都杉並区
初代ウルトラマンの着ぐるみは3種類ある。その秘蔵のフィギュアの前で=東京都杉並区

—— 2005年のインタビューで「結婚して、自分に非オタク的な要素がプラスされていった」「(嫁さんを)全力で守りたいですね。これからもずっと」と話されています。やはり変わった面もあるのでは?

それはそれとしてありますが、人間そうそう変わらないですよ。

——「エヴァ」には、現実に背を向けて「エヴァ」という作品に逃避するファンへの批判が込められていました。そうした意識は今も変わらないのですか。

旧作の「エヴァ」では、僕が「娯楽」としてつくったものを、その域を越えて「依存の対象」とする人が多かった。そういう人々を増長 させたことに、責任を取りたかったんです。作品自体を娯楽の域に戻したかった。ただ、今はそれをテーマにするのは引っ込めています。そういう人々は言って も変わらない。やっても仕方がないことが、よく分かりました。

特撮を文化に

—— 新作の「エヴァ」も、深くはまっている人は多い。依存性の強い作品をつくってしまうご自身についてどう考えますか。

何もないです。作品はヒットしてほしいが、過剰な反応は自分の責任の外です。作品の中に自分自身は反映されますが、僕1人でつくっているわけではない。僕と作品とは全然別です。ただ、新作のファンは旧作と質が違う。具体的にどう違うかは、言えませんが。

—— 新作は出資者を募らず、社長を務めるアニメ製作会社「カラー」が製作費をすべて負担している、いわば「自主製作作品」です。なぜ、このような形にしたのですか。

他人に製作費を出してもらうと「費用に見合った作品をつくらなければいけない」という制約ができます。自分でお金を出すことで、全 部自分で責任を持って好きにやりたかった。配給や宣伝もスタッフはいますが、最終的には僕が仕切っています。「作品の出来はよかったけど宣伝が悪かった」 などと言い訳したくないのです。

—— 東京都現代美術館で開催中の「特撮博物館」では館長を務めています。特撮を「文化」として後世に残したいそうですが、コンピューターグラフィックス(CG)が発達した現在、特撮の存在価値はありますか。

CGを使った初期作品「ジュラシックパーク」はインパクトがありましたが、それを超える驚きには出会っていません。CGでは「そこ にあるものを空気を通して見た存在感」を出せない。ミニチュアは現実にそこにあったものだから、映像にしてもやはり存在感がある。人間の感覚はその違いを 敏感に感じ取れると思います。怪獣映画は製作当時からゲテモノ扱いされていたと聞きますが、日本の特撮作品は海外で高い評価を得ている。日本が誇るべきな のは、アニメーションよりもまずゴジラだと思います。

—— 学生時代の自主製作映画「帰ってきたウルトラマン」を見て、素顔のままウルトラマンを演じている庵野さんが、次第に「本物のウルトラマン」のように見えてきて驚きました。なぜ、そんなことができたのでしょうか。

物語、カメラアングル、ミニチュアの作り込みなど、さまざまな面から「現実にはあり得ない物が本当にそこにいる感じ」を出そうと試 みることが、存在のリアリティーにつながります。アニメは絵ですから、現実的なものは何もない。だが、特撮作品は少なくともドラマ部分は本物の俳優が演じ ていますから、その延長で、うまくやれば特撮部分も本物に見える。数十年前の特撮映画でも、それに成功した例はあります。

怖さ見せたい

—— 特撮博物館で上映される短編映画「巨神兵東京に現わる」では、東京が徹底的に破壊されます。他の作品でも破壊や爆発のシーンが多い。「破壊」へのこだわりがあるのですか。

子どもの頃、そこにあるものが壊れると何かしら「うれしい」「楽しい」という感覚がありました。僕に限らず、幼い子はそういうもの だと思います。日本や現代社会全体が壊れることをイメージして「いいな」と思っていた時期もあります。でも、大人になって「そこに住んでいた人はどうなる のか」と、現実的に考えると喜べなくなる。3・11の映像もショックでした。絵空事だと楽しめても、本物は見たくないんです。

—— 「子どものトラウマになるような映像を見せたい」という気持ちがあるそうですね。

子どもに「世の中には怖いものがある」という情報を伝えたいんです。今は、テレビをふくめ子どもに対してそういうことを隠蔽(いん ぺい)し過ぎる。僕が子どもの頃は怖いものが街にあふれていました。家の裏はもう闇。犬や猫の死体も放っておかれた。大人だって怖かった。戦争に行った経 験のある人が身近にいたんですから。

文/太田啓之


明治五(一八七二)年の改暦  東京新聞「筆洗」より

2012年12月03日 05時31分12秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2012年12月3日 東京新聞

 十二月がわずか二日間で終わった年があるのをご存じだろうか。答えは明治五(一八七二)年。政府がそれまでの太陰太陽暦を廃し、欧米と同じ太陽暦 に切り替えたためだ▼<今旧暦ヲ廃シ太陽暦ヲ用ヒ天下永世之(これ)ヲ遵行セシメン>との詔書と太政官布告によって、十二月三日は明治六年の一月一日に なった。布告は改暦のわずか二十三日前だった▼一日も二十四時間と定められ、一日と六日の休暇日から、日曜日が休日に改められた。急な改暦に当時の人々の 慌てぶりを想像してしまうが、改暦の背景には明治政府の苦しい台所事情があったらしい▼旧暦では翌年は閏月(うるうづき)があり、一年間は十三カ月にな る。赤字財政に悩む政府には役人に一月余分に俸給を支払う資金はない。改暦の断行によって節約する腹づもりだったという。それだけではない。十二月は二日 間しかないのだから月給は不要のはず…。そんな理屈で、二カ月分を支払わなかった▼随分と乱暴なやり方ではあるが、こうした事情がなければ、欧米の暦など を一気に受け入れることはできなかったかもしれない。この改暦がなければ、欧米の暦とのずれは深刻化し、日本の近代は遅れたはずだ▼明治の改暦から百四十 年になる。師走の街では、来年のカレンダーや手帳の特設売り場がにぎわう。歴史を知ると、空気のような存在だった暦が身近になってくる。