All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

「中国は韓国管理下の半島再統一を容認」? アジア報道は北朝鮮を中心に

2010年11月30日 19時58分27秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010年11月30日(火)14:30goo news

英語メディアが伝える「JAPAN」なニュースをご紹介するこのコラムですが、今週はJAPANというよりはASIAについて書きます。日本がその一部を構成するアジアに関する英語報道は現在ほとんどが、何を書いてもグルッと北朝鮮に向かっていく内容ばかりです。たとえば沖縄知事選の結果を書いても。そんな最中に、民間の内部告発ウェブサイト「ウィキリークス」が米外交文書25万点の公開を開始。その中には、中国の対北朝鮮姿勢について(私には)意外な内容が含まれていました。英紙の報道によると、中国高官が北朝鮮を「わがままな駄々っ子」と見なし、韓国管理下の朝鮮半島再統一を容認しているかもしれないというのです。(gooニュース 加藤祐子)

○沖縄知事選ごしに北朝鮮情勢

多くの特派員が朝鮮半島情勢の取材にかり出されているせいでしょうか、今週の英語メディアによる日本報道はちょっと取り留めもない感じです。従来ならもっと大きく扱われただろう沖縄知事選の結果についても、通常ならあったかもしれないガツンとした論評が、まだ見つかっていません。その中で英『フィナンシャル・タイムズ(FT)』紙は東京発の「沖縄県民、保守系の知事を再選」という記事で、日本政府は今年初めに「アメリカと正面対決して大失敗(botched showdown with the US)」したが、現職の仲井真弘多氏が再選という今回の結果は「関係修繕に動いていた日米両政府の当局者を喜ばせるだろう」と論評。

FTはさらに、「北朝鮮が韓国の島を砲撃して死傷者を出したことによって、日曜の選挙の重要性が浮き彫りにされた。北朝鮮の核開発計画が日本にとって脅威だという感覚が高まっているのに加え、中国が外交面で前より主張を強くしている状況なだけに、日本国内ではアメリカとの軍事同盟に対する支持が強固になっている」と書いています。

そして仲井真知事は、米軍基地の県内移設に反対しているものの、国外移設を主張していた対立候補よりはその反対の度合は「弱いように見える」として、選挙前までは県内移設容認派だったことを指摘しています。

「基地反対派が再選」という米『ニューヨーク・タイムズ』記事は、「対立候補ほど基地反対で強硬ではないにせよ、仲井真氏の再選は日米同盟にとって障害となる」と書いています。そうなるかどうかは今後の推移を見守るとして、記事は、「普天間基地をめぐる対立は日米同盟に刺さった厄介なトゲのようなものだ。またアジア地域でアメリカの存在感を維持し、北朝鮮による挑発行動が地域戦争にエスカレートしないよう苦慮するオバマ政権にとって、頭痛の種だ」と書いています。

北朝鮮の行動が「挑発」なのかどうかは議論の分かれるところで、色々な見解はこちらでご紹介しました。ただし、北朝鮮の真意がなんであれ、北朝鮮の行動を地域戦争にエスカレートさせてならないことは言うまでもありません。同紙記事は、「北朝鮮の砲撃に対する主要な軍事対応として、米政府は空母『ジョージ・ワシントン』を横須賀から黄海へ派遣。これは日米同盟の役割を強調するものだった」と書いています。

主要英語メディアの日本報道はかねてから日本を「アジア」や「アジア安全保障」の文脈に位置づけているのですが、尖閣諸島問題からこちら、その傾向は強くなっています。つまり日本そのものを語るより、「アジアの中の日本」や「日本を通じて眺めるアジア」を伝える記事の方が増えている気がします(日本のみを真正面から扱う記事が少なくて、自分が苦労しているとも言えますが)。

そのため私のこのコラムもそういう内容が増えていて、今回も結局は沖縄知事選を入口にして、北朝鮮情勢について触れます。昨夜の大ニュースだったウィキリークスによる米外交文書25万点の暴露から、英『ガーディアン』紙が掘り出してきた内容です。

○リーク文書で中国は北朝鮮を

同紙によると、中国に関する米外交文書を点検するとそこには、北朝鮮の「わがままな駄々っ子」ぶりに業を煮やし、金正日政権と距離をおきたがっている中国の姿が浮かび上がるのだとか。冒頭でも書いたようにリークされた米外交文書によると、中国高官は「韓国政府の管理下で南北朝鮮を再統一すべきだし、その考え方は中国政府の指導層の間で広まりつつある」と韓国高官に伝えたのだそうです(伝えたと言っていると書いていると書いている――という、ものすごい伝言ゲームですが。しかも何回も翻訳されているし)。

もっと詳しく書くと、韓国外交通商省の千英宇第2次官(現・大統領府外交安保首席秘書官)が今年2月、アメリカのスティーブンス駐韓大使に対して、中国高官2人から聞いた話として「コリアは韓国の管理下で統一されるべきだ(Korea should be unified under ROK control)」と伝えたとのこと。中国高官らは、この統一コリアがアメリカと「害のない(benign) 同盟関係」にあっても、中国に対して敵対的でない限りは問題ないと話したともいうのです(公電原文の「Korea」という言葉を「南北朝鮮」とするか「朝鮮半島」とするか迷いましたが、ここでは「コリア」とします。ROKは「Republic of Korea=韓国」の略)。

千氏はさらに、この中国高官2人が「北朝鮮は中国にとって、緩衝地帯としての価値を失っている。中国はこの新しい現実に向き合う用意がある」と自分に言ったと、アメリカ大使に伝え、大使はこれを公電にしてワシントンに送った――と、ガーディアン紙は書いています。

北朝鮮が韓国・大延坪島(テヨンピョンド)を砲撃して以来、「中国は今でも北朝鮮を、駐韓米軍に対する緩衝地帯として必要としている」という英語記事を複数目にしていたので、「北朝鮮は中国にとって緩衝地帯としての価値を失っている」というこのくだりはとても意外でした。

ほかにもガーディアン紙が伝えるウィキリークスの暴露内容によると、「中国の何亜非(ヘ・ヤフェイ)外務次官は米当局者に対して、北朝鮮が2009年4月にミサイル実験をしたのはワシントンの注意を引きつけるためで、まるで『わがままな駄々っ子』のように振る舞っていると話した」という公電があったのだとか。

あるいは「中国の大使が、北朝鮮の核活動は『全世界の安全保障に対する脅威だ』と警告している」という公電や、「ある国際機関の代表によると、事態が深刻に不安定化した場合、中国は北朝鮮住民30万人の流入なら吸収できるだろうと中国政府関係者たちは推量している。しかし30万人が一気に押し寄せた場合は、国境を武力封鎖する必要があるかもしれないと考えているそうだ」という外交文書もあるというのです。

○中国が最優先するのは

前述した韓国の千・大統領外交安保首席秘書官はアメリカ大使に対して、北朝鮮が破綻するような事態になってもそこに中国が軍事介入するとは考えられないと発言。なぜなら中国の経済戦略上の利害関係はすでに北朝鮮ではなく、米日韓と同じ側にあるからだとのことです。

これを読んで私が思い出したのは、ブッシュ前米大統領でした。発表間もない自伝『Decision Points』に書かれているエピソードで(Kindle版だとlocation8359あたり)、たまたま今朝Facebookで行われていたライブ質疑応答でも本人が語っていたため、パッと連想したのですが。

ブッシュ氏いわく、中国の胡錦濤国家主席が2005年に訪米した際、ホワイトハウスで昼食中に「自分はアメリカがまたテロ攻撃に遭ったらと考えると夜も眠れないのだが、あなたは夜中に何を考えてるんですか」と尋ねたと。それに対する胡主席の答えは「年間2500万人分の雇用創出」だったのだと。この正直な答えは中国理解にとても役立つものだったとブッシュ氏は書き、今朝も話していました。「年間2500万人分の雇用創出」を考えると夜も眠れないという国家指導者がいるなら、外国に資源を求める中国の対外活動も説明がつく。胡主席が国内優先の現実主義者で、「イデオロギー優先で国外に問題を起こすような指導者ではない」ことも分かったと。

色々と示唆的な部分の多いブッシュ自伝ですが、このくだりは今のアジア情勢を考える手がかりとなりそうです。中国の対外行動を中華思想やイデオロギーで説明するのか、それとも経済メリット中心で考えるのかで、見えてくる姿はかなり違うと思うからです。

ブッシュ前大統領の言うことをそっくり鵜呑みにするわけではありませんが、ウィキリークスの暴露と合わせて、アジアの今後を考えるよすがにはなります。ガーディアン記事を北朝鮮当局者が読んで、どう反応するのかがとても気になりますが……。

中国「北朝鮮は駄々っ子」 暴露の米公電に赤裸々本音

2010年11月30日 12時33分44秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010年11月30日12時4分

 【ワシントン=村山祐介】「北朝鮮は駄々っ子だ」――。民間告発サイト「ウィキリークス」が暴露した米国の公電によって、「後ろ盾」とみられている中国政府が、北朝鮮の扱いに手を焼いている実態が浮かび上がった。29日付の英紙ガーディアン(電子版)などが報じた。

 それによると、中国高官2人が韓国政府高官に対し、「朝鮮半島は韓国の管理下で統一されるべきだ」との私的見解を伝えた、との記載があることが分かった。別の公電では、中国が北朝鮮の体制が崩壊した際、軍事的な国境封鎖を検討しているとの記述もあったという。中国政府内で、北朝鮮の体制崩壊を具体的に想定し、韓国主導の朝鮮半島統一が議論されていたことを示唆するもので、挑発的姿勢を強める北朝鮮をさらに刺激する可能性もある。

 ガーディアンがネット上に掲載した今年2月22日付のソウルの米国大使館発の公電によると、韓国外交通商省の第2次官だった千英宇(チョン・ヨンウ)氏(現・大統領府外交安保首席秘書官)が同17日、米国のスティーブンス駐韓大使と昼食をとった際、6者協議の韓国首席代表当時の中国側との私的会話のなかで、中国政府高官2人が「朝鮮は韓国の管理下で統一されるべきだと信じていた」と説明。千氏は、北朝鮮が米国の影響力を緩和する「緩衝国」としての価値をほとんど持たなくなったという「新しい現実」に中国は向き合う用意がある、とも語った。

 また、千氏は、北朝鮮が崩壊した際には、中国が韓国と北朝鮮との軍事境界線近くの非武装地帯(DMZ)の北朝鮮側での米軍の存在を歓迎しないことは明らかだ、と指摘。韓国が中国に敵対的な姿勢をとらない限り、統一朝鮮はソウルが管理し、米国が韓国の「良好な同盟国」であるという状態が中国にとっても「心地よい」との見方も示した。

 さらに、千氏は北朝鮮が経済的にはすでに崩壊しており、金正日(キム・ジョンイル)総書記の死後、「2、3年で体制が崩壊するだろう」と指摘。中国の北朝鮮に対する影響力は「おおかたの人が信じているよりずっと弱い」とも述べた。「中国の戦略的、経済的な利益は今や北朝鮮ではなく、米日韓にある」とも指摘した。

 スティーブンス氏が日韓関係の強化が日本の統一朝鮮受け入れの助けになる、と指摘したのに対し、千氏は「日本は朝鮮の分裂を望んでいる」とし、「日本に統一を止める力はない」と語ったという。

 一方、北朝鮮による弾道ミサイル発射実験後の昨年4月30日付の米国の北京大使館発の公電では、中国外務省の何亜非次官が米国の代理公使との昼食時、「北朝鮮は大人の注意を得るために『駄々っ子』のように振る舞っている」とも表現したという。

 ガーディアンは、入手した米国の複数の公電を分析した結果として、中国が北朝鮮の体制が不安定化するリスクを考慮していた、と指摘。ある公電は、複数の中国政府当局者が北朝鮮から中国への人口流入について「30万人までなら外部の支援なしで吸収することができる」と考えている、との国際機関の代表の発言に言及。流入が一気に起きた場合には、中朝国境を軍事的に封鎖し、人道支援のための一時的な滞在区域を設定し、他国に支援を求める可能性にも触れられていたという。

立山で雪崩、6人巻き込まれ2人死亡3人けが

2010年11月30日 12時33分27秒 | 歩く印象派
読売新聞 11月30日(火)11時2分配信

 30日午前8時55分頃、富山県立山町芦峅(あしくら)寺の室堂平の通称・雪の大谷(標高約2400メートル)南側の国見岳斜面で、スノーボードとスキーで滑走中の6人が雪崩に巻き込まれたと、グループの1人で川崎市の男性から、立山町消防署に119番があった。

 県防災危機管理課によると、いずれも30歳代の2人が死亡したほか、3人が足の骨を折るなどのけがを負った。県消防防災ヘリが出動し、県警と救助にあたっている。

 県警によると、6人は29日に長野県大町市側から入山。同日夜は室堂ターミナル付近でテントを張って泊まっていたという。

 現場付近は吹雪で29日から車両通行止めとなっている。現場付近を往復する立山黒部アルペンルートのバス運行は30日までだった。

新型インフル「せき先行」は肺炎の危険信号

2010年11月29日 06時55分44秒 | インフルエンザ情報
読売新聞 11月29日(月)6時30分配信
 新型インフルエンザで肺炎に至る小児患者は、発熱よりせきが先に出る場合が多いとの調査結果を、大阪医科大の河上千尋助教(小児科)らが27日、仙台市での日本小児感染症学会で発表した。

 肺炎の兆候の早期発見につながる可能性がある。

 調査は、昨年秋ごろに同大病院を受診した小児患者が対象。「38度以上の発熱より12時間以上前にせきが出始めた」という人が、肺炎を起こして入院した小児患者では13人中10人(77%)に上った。軽症患者では112人中10人(9%)にとどまった。

 季節性インフルエンザは通常、発熱後にせき症状が出る。新型の場合は、ウイルスが感染初期から肺の奥に侵入しやすいため、せきが先行すると考えられるという。

もう幕を閉じたら?「日本カー・オブ・ザ・イヤー」もはやまったく意味がない日本の「イヤーカー」選び

2010年11月27日 09時46分57秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
2010.11.24(Wed)  両角 岳彦


毎年この時期になると、「カー・オブ・ザ・イヤー決定!」というニュースがメディアの片隅を賑わす。

 しかし、こうした「イヤーカー」選びイベントは、今となってはその役割を自ら放棄した状況を続けている。したがって、黙殺していただいてかまわない。

 かつて日本でこの催しを立ち上げた出版社の中で事務方を担当し、その後、自らも選考委員に名を連ねたことのある者として、今回はその内情を語っておきたい。「技術立国論」としては枝葉末節の話ではあるけれども、これもまた日本的な事象の一例、ということで。

【元々は「年男」「年女」を選ぶ内輪のお祭りだった】

 元々日本で「カー・オブ・ザ・イヤー」というタイトルを与えるクルマを1年に1つだけ選ぼう、という催しを始めたのは、今はなき「モーターファン」誌(1995年休刊)であった。

 その第1回は70年。この年の秋、東京モーターショーのシーズンまでに出た新型車を選考の対象とし、年が改まる頃までに決定・発表するので「1970-1971年次」とする、というのも、この最初の「イヤーカー選び」からの決まりごとだ。

 当時は、モーターファン誌の「ロードテスト」(当時としては相当に緻密かつ広範な計測項目を網羅していた)を考案・実施していた大学の教授陣、そして執筆者の方々が選考にあたり、最終選考会議では投票の前に応援演説あり、討論ありで、和気あいあいと進められていたものである。

 私自身は、その始まりから10年近く経とうという時期に、新米編集者として会議の裏方として採点の計算やら何やらのお手伝いをするところから関わりが始まった。当時の最終選考会議の会場は、まもなく姿を消す赤坂プリンスホテル旧館の一室が定例だった。

 その当時、選考委員のリーダー格でもあった東京大学の平尾収教授が言われたことが今でも記憶に残っている。

 「これはね、毎年いろいろなクルマに触れる機会がある我々が、言うならば『年男』『年女』を選ぶ、内輪の『お祭り』なんだよ」

 そして、平尾先生発案の選考方法が「プラスマイナス5点法」。

 単純に考えれば、「年男選びは選考委員が各自1票を投じて、その票数が最も多いものに決めればいいのでは」となる。しかし、単記1票方式では、人々と社会がクルマに求める多様な価値観が反映されにくい。

 そこで平尾流思考法を駆使して、新たな採点法が考案された。それぞれの選考対象車に対して、「標準レベル」からどのくらい優れているか、あるいは逆に「これはちょっと・・・」と考えるかを、最大5点の範囲で表現して採点する。それを集計したところに、複数の価値観を反映した「年男」「年女」が現れるというわけだ。

 ただし、「年男にマイナス点を付けるのは印象が悪いね」ということで、10点を基点にして15~5点の範囲で採点していた。選考委員が25人だとしたら(モーターファン時代は後期でもそのくらい)、最終選考に残ったクルマたちは250点に対して最大375点~最小125点の評点を与えられる形になる。

【モーターファン」の手を離れたことが「迷走」の始まり】

 このモーターファン/カー・オブ・ザ・イヤーがちょうど10年を経過した時、モーターファンを発行する三栄書房の当時の社主、鈴木脩己氏が、「こうしたイベントは1雑誌が主催すべきものではない」と提唱し、その理念に沿って動き出した。

 当時、主要な自動車雑誌のいくつかが、同様の年間賞を始めて、乱立の様相を見せ始めていたこともある。

 モーターファン/カー・オブ・ザ・イヤーが元々ひな形にしたのは、欧州の「European Car of the Year」。この欧州版Car of the Yearは、63年にオランダの「Autovisie」誌が始め、その10年後に英独仏伊などの雑誌が参加して「汎ヨーロッパ」になった。モーターファンから汎日本へという思いが生まれた背景には、これも多分に意識されていた。

 しかし、今振り返れば、これが「迷走」の始まりだった。

 ある種、理想主義だった当時の三栄書房とモーターファンの手を離れたことで、そこに何らかの思惑を抱く人々が集まってくることになった。

 自動車メディアに関わる「もの書き業」にとって、「試乗会に招待してもらえる」「試乗車を借りられる」、そして何より「カー・オブ・ザ・イヤー選考委員」という肩書を名乗れることをメリットだと考える人士が少なくないことは想像に難くないだろう。それ以上に、こうした賞典の主催者側に立つことで様々な権益を手にできると考える人々も決して少なくはない。

 一応は「実行委員会」なるものがあり、それは雑誌、新聞、放送などの媒体によって構成されることになってはいるけれども、その中でも限られたメンバーが運営の方向を決めることになるのは世の常ではある。

 例えば選考委員の人選ひとつ取っても「媒体からの推薦」によることになってはいるのだけれども、「汎日本」になってから数年を経ずして、「実行委員会」の投票による「過半数の信任」がないと選ばれない、という形に変えた。

 これは実行委員が、各媒体から推薦された選考委員候補者に「○×」を付けるという行為を非公開で行ったところから始まっている。

 つまり、カー・オブ・ザ・イヤー選考委員に「なりたい/あり続けたい」と思う人がいたとしたら、実行委員会の中核メンバーの「覚えがめでたい」ことに意を砕く必要がある、というわけだ。

 それ以上に、毎年、「カー・オブ・ザ・イヤー」というタイトルを自動車メーカーに授与するという行為に隠然たる影響力を行使できる、ということの価値が大きい、と考える人士が現れる。これも、まあ、しかたのないことではある。

【新たな採点方法に潜む「トリック」とは】

 数十名の選考委員による採点の合算なのだから、「そう簡単に選考結果を左右することはできないのでは?」と思われるかもしれない。しかし、その採点方式に鍵がある。

 モーターファン/カー・オブ・ザ・イヤーが「プラスマイナス5点法」であったことの理念は、先ほども紹介したとおりだ。しかし、その理念も方法も俗人にはなかなか分かりにくい。

 そこで「汎日本」体制に移行した後からは、10に絞った最終候補車を採点するにあたって・・・、

・選考委員各人の「持ち点」は25点
・どれか1車に必ず最高点10点を配する(現在は1車のみ)
・持ち点を5車に配分する

というルールが決められた。

 この採点方法だと、まず「パーソナルベストカー」に10点を割り当てると、残りは15点。それを4車に振り分ける。ふつうに考えても、そこからの配点はかなり難しい。

 さらに、ここにトリックを忍ばせることが可能なのだ。

 例えば今年の「日本カー・オブ・ザ・イヤー2010-2011」で僅差のトップ争いとなったホンダ「CR-Z」とフォルクスワーゲン「ポロ」に、各委員がどんな採点をしたかを見わたしてみよう。

 60人の選考委員の中でフルポイントの10点を投じた人数は、CR-Zが25人、ポロが20人。単記1票方式なら簡単にCR-Zで決まりだが、それぞれの獲得得点はCR-Zが406点、ポロが397点という僅差である。

 ここはどうやら平尾流採点方式の名残りで、少なくとも現状の選考委員群の価値観が表現されたと見ることもできる。

 さらに細かく見てゆくと、面白い傾向が浮かび上がる。CR-Zに10点を投じながらポロには4点以下しか入れなかった委員は11人。逆に、ポロに10点を投じながらCR-Zには4点以下しか入れなかった委員は8人。

 しかもその中で、対抗車に「0点」を付けたのは、CR-Z満点組に2人、ポロ満点組では1人いた。この「マイナス点」の量で勝負が決まった、と言ってもいい。

 もちろん価値観の差によって、「一方が優れていて、他方はマイナスの価値しかない」と判断する人がいるのは当然である。だが、今年の「年男」として、CR-Zとポロのどちらかが「標準レベル以下であった」と判定する評価基準はどこにあるのか、と首を傾げたくなる。

【今年の「CR-Z」は薄氷の勝利だった?】

 以前は、採点内容だけを公表して、各選考委員の個人名は出なかったので、もっと露骨に「10点 or 0点」攻撃が行われた年もあった。

 自動車メーカーの広報担当者たちがなんとかカー・オブ・ザ・イヤーを取りたいと考えれば、自社の車種に10点を入れつつ、対抗する存在になりそうな車種には「0点」と記入してくれる選考委員を数人確保すれば、「票読み」は相当に固いものになる。

 さすがに誰がどういう採点をしたかが公表されるようになって、そこまで露骨な採点は見られなくはなった。だが、対抗する存在に配点はしつつ、1~2点に抑える委員を何人か確保すれば同様の効果は得られる。

 その意味で今年のCR-Zは「薄氷の勝利」だったと見ることもできそうだ。いや、自動車メーカーがカー・オブ・ザ・イヤーのタイトルを手にすることにもはや価値を見出さなくなりつつあり、「軽くプッシュする程度で取れればよし」という感覚になっているのだろうと思う。

 いずれにしても、こうした数字のトリックに気づき、そこに自らの影響力を投影することで、自動車メーカー広報との間で何らかの利益誘導を画策する人士が出てきても不思議はない。もちろん個々の選考委員の中でも、配点を決める時に何らかの思惑が交錯する人は少なくないはずだ。

 私自身は、モーターファン誌を離れた後の80年代後半から何年間か、選考委員をさせていただいていた時期に、自らの評価内容を8分野に分け、特に「ものづくりのコンセプト」「移動空間としての資質の基本になるパッケージング(空間構成)」を2倍評点として、全体を100点満点で採点する方法を考案。その採点に基づいて配点を決めていた。

 それが後に『本音のクルマ選び』というシリーズの核となる、市販車のほとんどを網羅した採点表へとつながっていったのだが。そうした何がしかの製品評価を行った結果から配点を決めている選考委員は、おそらくいないのではないかと思う。

 そんなわけで、カー・オブ・ザ・イヤーというタイトルは、様々な価値観を集積して決まる「年男」「年女」とは言えないものへと、みるみる変質してしまった。
「広報オブ・ザ・イヤー」と言われても仕方がない状況

 選考委員の多数に良い印象を与え、配点に何らかの影響をもたらすことを期待して(もっと露骨な意図と結果も含めて)、自動車メーカーの広報部門も様々に動く。

 複数の候補車がある年に「ウチは今年○○でお願いします」とか、さらには「今年は諦めていますから、来年よろしく」などという「お願い」はざらのようである。幸いにして(?)、私が選考委員の時代にそういう言葉を直接言われたことはない。扱いにくい人、であるらしい。

 バブル期には派手な接待が常態化し、海外試乗会、国内観光地への夫人同伴の試乗会招待なども実際に行われた。最近では逆に、仕事の舞台が縮小しつつある媒体・個人の方が自動車メーカー(広報)の思いを忖度(そんたく)する様子も感じられ、口さがない人々に「広報オブ・ザ・イヤー」じゃないか、と言われても仕方がないような状況が続く。

 歴代の受賞車リストをながめても、スズキ、ダイハツの姿はなく、バブル崩壊から景気減退が続く中、自動車メーカーも経費削減を徹底する昨今では、多少なりとも体力を残すトヨタ自動車、ホンダの受賞が極端に増えている。

 輸入車はもちろん論外である。日本カー・オブ・ザ・イヤーはもう10年近く前から、国産車と輸入車を分けずに選考対象としたにもかかわらず、まだ一度も輸入車の受賞車は出ていない。

 こうした流れの中で、自動車メディアの衰勢も著しい。技術文明の進化、深化、変化に対応するだけの知識も努力もなく、クルマに乗った話さえすれば雑誌が売れていた時代の意識と方法論に頼ってきた。しかも、取材や編集に関わる人々の知的レベルは下がる一方。これは自動車専門メディアだけでなく、日本の出版界全体に広がる傾向だ。

 自動車メーカーの広報部門は、新聞と放送関係、あるいは企業広報の担当と、専門誌を中心に対応する製品広報の2分野に分かれていることが多いのだが、当然のように会社内で彼らの業務とその成果に対する関心も薄れ、企業人としてモチベーションが低下するのもやむを得ない。

 その中で、今「カー・オブ・ザ・イヤーを取る」ことが多少は意味を持つのかどうか。

【基本理念に立ちもどるためにRJCが設立されたが・・・】

 話を日本カー・オブ・ザ・イヤーが始まって10年ほどが経過した頃に戻す。

 実行委員会内外の様々な政治的駆け引きがあからさまに現われて来る一方で、タイトルの重みが増すにつれて、ホテルなどを借りた最終候補車両の試乗会、派手な授賞イベントなどを開催し、自動車メーカーにも多くの負担を求める「肥大化」の状況が関係者の目にも明らかに見えてきた。

 その中で、前述の媒体推薦の選考委員を実行委員会がさらにふるいにかける、というやり方も始まった。そこで分裂が起こる。

 日本カー・オブ・ザ・イヤーから「スピンオフ」した人々が再結集し、その中では、「カー・オブ・ザ・イヤーの基本理念に戻って手弁当で年男選びをしよう」「より幅広い人々を選考に加えよう」という方針が語られていた。

 そのメンバーには、平尾先生や私の恩師を含めて、旧モーターファン/カー・オブ・ザ・イヤー時代からの学識経験者も加わっていたし、事務局が三栄書房の中に置かれたこともあって、私も発起人に誘われ、一度は名を連ねることにした。

 しかし、いざ動き出すと、「日本自動車研究所のテストコースを借りて最終選考会をしよう。そこにメーカーの開発担当者にも出席してもらう」「授賞パーティーもやろう」「自動車メーカーには、選考メンバーに試乗してもらうなどの便宜を図ってもらおう」といった方向へと進み出してしまう。

 ここで私は、初年次の実施前に離脱した。それ以後、この種の選考には関わることがないまま過ごしている。

 結局、この「第2のカー・オブ・ザ・イヤー」は「日本自動車研究者・ジャーナリスト会議(RJC)」として活動を続け、今日に至る。

【スズキ「スイフト」はどうやって選ばれたのか?】

 今年、2010-2011年次の「RJCカーオブザイヤー」はスズキ「スイフト」とのこと。こちらは最初から国産車に「カーオブザイヤー」、輸入車には「カーオブザイヤー(インポート)」を授与するという形を取っていて、そちらの受賞車はポロ。

 先行した日本カー・オブ・ザ・イヤーの方も少し遅れてインポートカー部門を作って追従。前述のように2002-2003年次からはカー・オブ・ザ・イヤー選考対象にも加えている。

 そういえば、RJCの採点方法が今はどうなっているか、私は知らない。今回、そのウェブサイトを少し見て回ったのだが、採点方法に対する記述、選考委員それぞれの採点内容を見つけることはできなかった。

 とりあえず、この2つのカー・オブ・ザ・イヤーの歴代受賞車を本コラムの最終ページ(8ページ目)に表としてまとめておいたので、興味のある方は比較しつつご覧いただきたい。

 ちょうど20年、オーバーラップしつつ続いてきた中で、両方の「ベスト」が一致したのは2回しかない。

 ついでに、私自身の「パーソナルベストカー」も記しておいた。こちらは一応、私なりの基準に沿った選択であり、その多くは前述の「両角流」移動空間・工業製品としての資質採点に基づくものなので、見比べていただきたい。
もはや意味がない3つの「イヤーカー」

 さらに業界内部の状況について説明を加えるなら、三栄書房は経営陣がすっかり入れ替わり、今や「日本カー・オブ・ザ・イヤー」の実行委員長に新経営陣の1人が就いている。

 一方、RJCとは別に、そのメンバーの一部も含めて「日本自動車殿堂(JHAFA)」という組織が2001年に設立され、歴史的なクルマ・人を「殿堂」に加えて記憶に残すという活動に加え、カーオブザイヤー(国産車/輸入車)、デザイン、テクノロジーを顕彰している。

 この「殿堂」の会員に名を連ねるのは錚々たる方々で、カーオブザイヤーの選考委員も、ほとんどが大学系の学識経験者である。そして選考方法も「客観化」をうたっている。

 しかし、私も選考委員の過半は存じあげているが、この方々に、現実のクルマの開発を手がけたり、実車に触れて資質や技術を体感し、分析する経験を積んでいるのは、14名中2~3名しかいない。他の方々は机上論や自らの研究内容に照らして判断されるわけで、イヤーカー選びとしての妥当性はなかなか難しい、と言わざるを得ない。

 かくして、日本で行われている「カー・オブ・ザ・イヤー」選びの結果は、もはや社会的に、あるいは自動車産業において意味のあるものではなく、黙殺していただいてかまわない、という最初の話に行き着くのである。

 工業デザインや製品・サービスに対して評価・顕彰する様々な賞の多くも、ここまで混迷して無意味なものではないけれども、最近は同じように選考プロセスそのものが曖昧であったり、評価の軸がブレていたりする。

 しかし、「最良のプロダクツ」を選ぶのではなく(それならば、明確な視点を持つ個人かグループによる判定の方が説得力を持つ)、「年男」「年女」を選ぶお祭りだと考えれば、それはそれでいいのかな、と思えるに違いない。そうやって納得できるようなものではあってほしいと思う。

 そういえば、 モーターファン時代から数えて、「日本カー・オブ・ザ・イヤー」側だけを含めても6度のイヤーカータイトルを獲得したホンダ「シビック」という車名が、日本市場から消える、というニュースも伝えられている。

ホンダという自動車メーカーが考え、選んできた「世界企業としてのものづくりの道筋」が、一度は成功したものの、修正を怠った結果、次第に齟齬が現れ、それに対して最も安易な方策を採った、と見ることができる。そして、それは必ずしも「最適解」ではない、と私は考える。これについてはまた次の機会に。


「radiko」本格実用化に向け新会社設立、北海道・名古屋・福岡にもエリア拡大

2010年11月26日 19時28分51秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
Impress Watch 11月25日(木)17時0分配信

 IPサイマルラジオ協議会は25日、地上波ラジオのIPサイマル配信試験サービス「radiko.jp」の本格実用化を目的として12月1日に「株式会社radiko」を設立し、サービスを継承すると発表した。

 12月1日からは、現在のサービス提供地域に加えて関東地区では茨城県、群馬県、栃木県、関西地区では滋賀県、和歌山県にもエリアを拡大。2011年春までにはさらに、東京・大阪の周辺局と、北海道、名古屋、福岡の各局にも参加を呼びかけ、サービスエリアを拡大する予定を明らかにした。

 新会社の株式会社radikoは、株式会社電通と在京・在阪のラジオ各局の出資により設立。現在のradiko.jpのサービスを継承し、地上波ラジオのIPサイマルキャストサービスを行うとともに、今後はラジオと連動する広告サービスなど独自の収益モデルの展開も目指す。

 新会社の出資比率は、電通が17%、在京ラジオ局(TBSラジオ、文化放送、ニッポン放送、日経ラジオ社、エフエムインターウェーブ、エフエム東京、 J-WAVE)が各8%、在阪ラジオ局(朝日放送、毎日放送、大阪放送、関西インターメディア、FM802、エフエム大阪)が各4.5%。

 株式会社radikoの代表取締役社長に就任を予定している、電通ラジオ局次長の岩下宏氏は、「現在、ラジオ業界はたいへん厳しい状況にあり、広告費は 1991年の2400億円をピークとして今はおそらく半減している。ラジオ各局もいろいろな努力をしているが、なかなか回復までには至らない。こうした中、2007年に大阪で発足したIPラジオ協議会による実験を契機として、2010年3月にはIPラジオサイマル協議会として在京局も加わり、ここで得られた知見からは、大いに可能性があるということを全局が共有した」として、本格実用化に向け、株式会社として法人化するに至ったと語った。

 IPサイマルラジオ協議会で10月に実施したradikoユーザーに対するアンケートからは、現在のradikoの聴取者はサラリーマンの20代~40 代男性が中心(平均38.4歳)で、現在の地上波ラジオの聴取者(平均47.7歳)と比べると若年・男性が多いと説明。女性比率は4月調査の22%から 10月調査では26%と増えており、PCユーザーよりもスマートフォンユーザーの方が平均年齢は若い傾向にあるという。

 radikoにより、新たにラジオを聴くようになった層(12.5%)や、再びラジオを聴くようになった層(34.1%)が生まれており、印象としては「音質がよいと感じた」(71.6%)、「電波が入りにくいラジオ局の放送が聴けるようになった」(65.2%)といった回答が多く、難視聴の解消という面もユーザーに評価されていると説明。時間帯では地上波よりも夕方・深夜の利用が多く、今後も利用拡大が見込まれるとした。

 岩下氏は、「これまでに、radikoのPC用ガジェットは110万ダウンロード、スマートフォン用アプリも合計100万以上のダウンロード。 radikoの開始により200万台以上のラジオが新たに生まれた。radikoが立ち行かなくなる時が来るとすれば、それはラジオが万人に必要ないと思われた時しかないと思っている。大同団結してラジオ業界の復活を目指していく」と新会社にかける意気込みを語った。

 今後の展望としては、2011年春までに東京・大阪の周辺局や、北海道、名古屋、福岡の各局にも参加を呼びかけ、サービス提供を順次進めていくと説明。また、Twitterなど各種SNSとの連携や、ラジオ放送と連動する形での広告展開などを進めていくとした。

 12月1日からは、視聴可能地域が関東で3県、関西で2県拡大され、これによりほぼ現在の地上波ラジオと同様のエリアで聴取できるようになる。配信地域を限定している理由としては、「あくまで地上波ラジオを補完するものという位置付けのため」だとして、「将来的にどう変わっていくかはわからないが、当面はこの形で継続していく(岩下氏)」と説明。企業としてはラジオ各局から配信料を受け取る形のビジネスとなるが、今後は広告など独自で収益を上げられる仕組みを開発していきたいと語った。


【INTERNET Watch,三柳 英樹】

ノーベル平和賞:中国VS西側諸国、対立が深刻化

2010年11月20日 19時17分53秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
中国の圧力にロシアなど6カ国が授賞式欠席、米英仏独は非難

2010/11/20 10:37:07
 「(ノーベル)平和賞戦争(The peace prize war)」

 イギリスの日刊紙インディペンデントは19日、ノーベル平和賞授賞式をめぐり起きている前代未聞の事態を「平和」と「戦争」という相反する二つの単語で表現した。中国政府は、民主活動家・劉暁波氏(54)がノーベル平和賞受賞者に決まった直後、「平和賞に対する冒涜(ぼうとく)」として激しく非難。さらに態度を硬化させ、来月10日にノルウェー・オスロで行われる授賞式自体を阻止するため、「実力行使」に出た。劉暁波氏はもちろん、親族に対しても出国禁止措置を命じる一方、「力の外交」により他国に授賞式を欠席させようと根回ししている。ノーベル平和賞授賞式は単なる授賞イベントではなく、今やG2(二つの超大国=米国と中国)といわれる中国と西側諸国の確執という一断面を見せているのだ。

■ロシアなど6カ国は授賞式ボイコットに賛同

 19日現在、中国を含めロシア・カザフスタン・キューバ・モロッコ・イラクの6カ国が授賞式欠席を宣言している。さらに、イランも欠席の方向で動いていると伝えられた。ノーベル賞委員会は平和賞受賞者の決定後、オスロに大使館を置く36カ国に招待状を送った。しかし、オスロ駐在の中国大使館は今月初め、各大使館に授賞式欠席を求める書簡を送り、こうした事態を引き起こした。「書簡には『劉暁波氏を支持する国には相応の結果(consequences)があるだろう』という中国政府の警告とほぼ同じ内容が書かれていたとみられる」と、イギリスのデイリー・テレグラフ紙は報じている。

 これに対し、ノーベル賞委員会のルンデスタッド事務局長は「前例のないこと」と非難したが、インド・パキスタン・インドネシアなど16カ国は「最終決定のため本国の指示を待っている」と出欠回答を先送りしている状況だ。韓国は出席する方向だが、出欠は公表しない方針を検討中だ。一方、米国・イギリス・フランス・ドイツなど西側諸国は早々に出席を発表し、中国の行為を非難している。

 外信各社は「欠席を発表、あるいは回答を先送りしている国々は、中国の強大な経済力を意識し、様子をうかがっている」と分析している。実際に、こうした国々はほとんどが見解の表明を拒否している。ただし、ロシアは大使館の報道担当者を通じ、「中国からの圧力や政治的な動機は全くない。その日は大使の出張が予定されている」と伝えたが、インディペンデント紙は「この言葉をそのまま信じる国は一つもない」と論じている。

■メダル・賞金・授賞式は無期限延期?

 来月の授賞式に、劉暁波氏はもちろん、親族らの出席さえも不可能な場合、授賞式は開催されても授賞自体が成立しないという前代未聞の事態が起きると見られる。メダル・賞状・賞金1000万クローネ(約1億4000万円)は、原則的に受賞者本人や親族などの代理人が受け取らなければならないからだ。

 中国は、服役中の劉暁波氏の出席を許可しない上、妻の劉霞さんも受賞発表以降、自宅に軟禁されている。AP通信は「劉氏の親族など、代理人として授賞式に出席する可能性があるすべての人に対し、公安(警察)は密着・監視している」と報じた。ノーベル賞委員会は「授賞式では、ほかの付帯行事は予定通り行われるが、授賞そのものは無期限延期される見通しだ」と話している。

 1901年に始まったノーベル平和賞は、109年間で97人の個人と20の団体に対し賞を授与してきたが、授賞自体が省略された例はない。ナチスに反対したドイツのジャーナリスト、カール・フォン・オシエツキー氏の授賞が1935年に決定したケースでは、36年の授賞式でナチスの妨害によりメダル・賞状の授与が省略されたものの、賞金は同氏の弁護人が代理人として受け取った。

 これまでノーベル平和賞を受賞したソ連のアンドレイ・サハロフ氏(75年)、ポーランドのレフ・ワレサ氏(83年)、ミャンマーのアウンサン・スーチー氏(91年)も授賞式には出席できなかったが、該当国の政府は夫人や息子が代理人として出席することまでは阻止しなかった。ニューヨーク・タイムズはこれについて、「中国政府は旧ソ連やミャンマーよりも『度量が小さい(less magnanimous)』。中国は旧ソ連や共産体制下のポーランドよりもはるかに国際的な責任を負っている国であるにもかかわらず、経済力を背景に権威主義的な行動を取っている」と指摘した。

イム・ミンヒョク記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

レアアース工場、壁に「空母となる」 中国・内モンゴル

2010年11月20日 06時06分53秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
草原に点在するレアアース工場=19日、内モンゴル自治区白雲鄂博の郊外、吉岡写す

2010年11月20日1時40分朝日COM

 日本への輸入が滞っている中国のレアアース(希土類)の産地に朝日新聞記者が入った。

北京から空路1時間余。内モンゴル自治区の包頭(パオトウ)市は、江西、広東両省など中国南部と並ぶ有数の産地だ。「レアアースの郷(さと)」とも呼ばれている。

 「レアアース企業の先兵として、レアアースの空母となり、富を築き、国家に報いよう」。市内の鉄鋼メーカー、包頭鋼鉄の横にあるレアアース工場の壁には赤ペンキでこう書かれている。

 工場のわきには、レアアースが混じる廃液をためた池があった。いずれ資源化しようとためてあるようだが、国営新華社通信などによると、これがしみ出し、地下水を汚染しているという。池の水面は近くの村の土地より高く、放射性物質が含まれているとの指摘もある。

 近くに住む任さん(42)は「地下水が汚染されている。金持ちから順番に引っ越していった」と話した。任さんも年末までに政府が用意した住宅に移る予定という。

 包頭市中心部から約170キロ北上し、レアアースが眠る鉱山の町、白雲鄂博に着いた。乾いた土に強い風。風力発電の風車が回る。


 レアアースハイテク技術産業開発区やレアアース公園、レアアース国際ホテル。包頭市は特産物の名を冠する施設で目白押しだった。この鉱山の町も、レアアース大通り、レアアース広場住宅、レアアース鉱区銭湯、と同じ調子だ。

 にぎわいから離れて鉱区を探し、工場への道をたずねた。「レアアースがほしいなら人を紹介するよ。一見(いちげん)さんは無理だよ」。バイクにまたがった厳さんは言った。

 中国政府が手を焼く「密輸」は健在らしい。規制をかければ抜け道を探す。厳さんによれば、二つある近くの工場のうち一つは環境への対応が不十分として今年6月、生産停止を迫られたという。

 中国政府は乱立する採掘業者や加工業者を整理・再編し、国内での管理強化を急いでいる。国内業者が密輸出しては安売りに走り、価格を統制できないできたからだ。

 「中東に石油有り 中国にレアアース有り」。この言葉を残したのはトウ小平(トウは登におおざと)氏。そのトウ氏が始めた改革開放策のもと私営企業が乱立し、レアアース産業の「悪性競争」が続くようになったという。

 「中国の管理が乱れていたころ、ある国は安い値段で大量に買っていった。その国には大量の備蓄がある」。温家宝(ウェン・チアパオ)首相は欧州での演説で、名指しを避けたものの、日本などを念頭にこう述べた。

 足元をみられ、日本や米国などに価格の主導権を握られたまま、輸出を続けた悔しさをにじませたものとみられる。

 レアアース規制の出発点はここにある。携帯電話に電気自動車。中国自身もレアアース部品を使う製品を作り始めた。資源を戦略的に使う動きは増し、尖閣事件に絡む「禁輸」は解けても、昔に戻りそうにない。(白雲鄂博〈中国・内モンゴル自治区〉=吉岡桂子)

スー・チーさん演説全文(その5)

2010年11月16日 02時39分32秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)
 人間には尊厳というものがあります。人権を獲得したいですか。人権宣言の最初は何だったでしょうか。「人には生まれながらに尊厳がある」から始まります。その尊厳を維持しなければなりません。他人の権利に反しない尊厳を維持しなければなりません。

 私は一方的に物事を言いません。「国民のために何かをしてあげましょう」と私は言いません。国民が自らなすべきことがあれば、やらなければなりません。国民は自分たちの責務を知らなければなりません。責任を果たさなければなりません。

 そのようにできて初めて、私たちの国は発展するのです。私たちの国が発展しているかどうかは、皆さんの方がよりよく知っています。発展していないからといって、誰のせいだと言う代わりに、力を合わせて発展のために尽くすために機会を与えてくださいと言いたいのです。

 私は物ごいはしたくありません。皆さんも物ごいをしたいという気持ちがあるとは思いません。自分の進歩のために、当然の権利がほしいだけだと思います。

 国民の皆さんが自分の進歩のための当然の権利を得るために、私たちは活動しなければなりません。私が皆さんに付き添ってご飯を買ってあげるというのではありません。私は、皆さんが自分の食事に十分に足りる分(のお金)を自ら稼ぐことができる資質を得られるようにしてあげなければならないと思っています。

 私たちは民主主義を信じているグループと相談しながら行動していきます。国民民主連盟1団体だけで行動するのではありません。多くの人たちと連携しながらやっていきます。それを支えるのが国民の皆さんです。国民が加わらなければ私たちは何もできません。国民の協力が必要であればお願いをしたいと思います。お願いをした際には私たちを信頼して、皆さんの力で支えてください。今のうちからそうお願いしておきたいと思います。

 正直に言います。私たちと一緒に活動してきた人の中には、目標が達成されるのをもう見ることができない人もいます。正しい目標に向かって進んでいくというのは人生の価値ある行動であり、誰もその価値を傷つけることはできません。

 人はいつかは死ぬのです。死ぬまでの間にどのように生きてきたかが重要です。今私たちはこれまでに命を落とした民主化活動家に敬意を表したいと思います。獄中にある民主化活動家にも敬意を表したいと思います。すべての活動家が釈放されるように祈りたいと思います。(おわり)