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森羅万象 ~ 歩く印象派

尾瀬で落雷、男性死亡 群馬、女性もけが

2012年05月29日 06時06分08秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)

2012年5月29日 00時06分 東京新聞

 28日午前10時半ごろ、群馬県片品村の尾瀬ケ原で男女2人が落雷に遭い、60歳ぐらいの男性が死亡した。50歳ぐらいの女性も口のあたりに軽傷を負ったが、命に別条はない。

 沼田署によると、女性が現場近くの「竜宮小屋」に駆け込み、小屋の職員が119番した。県の防災ヘリコプターが午後3時ごろ、2人を救助したが、同県沼田市の病院で男性の死亡が確認された。沼田署が身元確認を進めている。

 現場では午前10時半ごろから雷が鳴り、強い雨やひょうが降っていたという。

 前橋地方気象台によると、28日午前4時ごろから県内全域に雷注意報が出ていた。

(共同)

東電利益9割は家庭から…電力販売4割弱なのに

2012年05月24日 01時11分44秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

 電気料金の値上げを巡って、東京電力が経済産業省に提示した料金の収益構造の概要が22日分かった。

 それによると、2006~10年度の5年間の平均で電気事業の利益の9割強を家庭向けなど「規制部門」から稼いでいる。

 家庭向けの料金制度は発電コストを積み上げた原価を元に料金が決まるが、算定方法の見直しを求める声が改めて強まりそうだ。

 23日に開かれる「電気料金審査専門委員会」の第2回会合で提示される資料によると、東電が販売した電力量2896億キロ・ワット時のうち家庭向けは38%、大口向けが62%だ。

 売上高でみると、電気事業収入4兆9612億円のうち家庭向けは49%、大口向けは51%とほぼ同じ比率だ。

 だが、1537億円の利益のうち家庭向けは91%、大口向けは9%になっている。つまり、電力量で4割弱を販売している家庭向けから9割の利益を稼ぎ出している構図だ。

 東電管内は、ガス会社や石油元売りなどが特定規模電気事業者(PPS=新電力)として電力小売りを手掛けており、大口向け市場は比較的、競争が激しい。値下げを強いられるため、家庭向けで利益を確保しようとしていたとみられる。

(2012年5月23日08時17分  読売新聞)

広範囲で観測できるのは平安時代以来932年ぶり!

2012年05月21日 07時55分22秒 | 地球の不思議・宇宙の不思議

シルバーリング、天空に輝く…各地で金環日食

読売新聞 5月21日(月)7時44分配信

 太陽の中心部が月に隠される金環日食が21日午前7時半頃、九州南部から福島県南東部にかけての太平洋地域各地で起きた。

 これほど広範囲で観測できるのは平安時代以来の932年ぶり。

 金環日食が見えない地域でも、大きく欠ける部分日食は観測できる。国内の日食は午前9時半頃までにすべて終わる。

          ◇

 太陽を見るときには、必ず日食めがねを使用すること。1秒でも太陽を直視すると網膜を痛める恐れがあるので、ちらりと見るだけでも厳禁。普通のサングラ スや黒い下敷きでは、十分な安全性は確保できない。消費者庁は「蛍光灯にかざし、明るくて蛍光灯の形がはっきり見えるめがねは使わないで」と呼びかけてい る。


太陽表面で大爆発の可能性 通信障害など懸念 京大解析

2012年05月17日 06時10分28秒 | 地球の不思議・宇宙の不思議

朝日新聞2012年5月17日5時38分

 太陽では起きないと考えられていた大規模な爆発現象「スーパーフレア」が起きるかもしれないことが、京都大グループの解析でわかった。発生すれば、広範 囲での通信障害や停電、上空の航空機内での放射線被曝(ひばく)といった大きな被害が出かねない。英科学誌ネイチャーで17日発表する。

 太陽表面での爆発はフレアと呼ばれ、大量の放射線やプラズマが飛び出て、地球の電離層や磁場に影響を与える。1989年のフレアではカナダのケベック州 で600万人が9時間の大停電に遭った。スーパーフレアは、最大級のフレアの10倍以上、水爆10億個以上のエネルギーをもつ。

 京大付属天文台の柴田一成教授らは、米国の天文衛星が2009年に観測した約8万3千個の太陽に似た星のデータを調べた。星の明るさの変化から148個の星で365回のスーパーフレアが見つかった。

 

 


独に流れた…ソ連対日参戦のヤルタ密約情報 「小野寺電」に有力証拠

2012年05月11日 18時50分48秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

産経新聞 5月11日(金)7時55分配信

 第二次大戦末期のヤルタ会談直後、ソ連が対日参戦する密約を結んだとの情報を、スウェーデンの首都ストックホルムにあるドイツ公使館が把握、打電してい たことが英国立公文書館所蔵の秘密文書で明らかになった。ストックホルムでは、陸軍の小野寺信(まこと)駐在武官がドイツの情報士官と緊密に情報交換して おり、武官が得た「ヤルタ密約」情報が士官を通じ、ドイツ側に流れていた可能性が出てきた。新たな情報経路の判明はソ連参戦の半年前、大本営に同じ情報を 送ったとする小野寺武官の主張を支える有力な根拠になりそうだ。(岡部伸)

 中立条約が存在していたソ連に、英米との和平仲介を依頼すべきだと考えた一部政治家や陸軍にとって、ソ連の対日参戦情報は不都合なものだった。小野寺武 官が送ったとするソ連参戦情報が軍上層部に届いた形跡がなく、情報が握りつぶされたとすれば、結果として終戦が遅れ、米国の原爆投下やソ連による北方四島 の不法占拠などを招いた点で責任はきわめて大きい。

 秘密文書については、産経新聞がロンドンの公文書館で存在を確認した。ドイツの在ストックホルム公使館がヤルタ会談直後の1945年2月14日に入手し た情報として、独外務省が全ての在外公館宛てに発信した電報を英国のブレッチリー・パーク(政府暗号学校)が傍受、解読したものだ。

 内容は「英国からの情報で、ソ連は三巨頭会談において対日政策を変更し、参戦を決めた」との趣旨だが、参戦時期は明示されていない。

 小野寺武官とストックホルムで連携していたのは、ドイツ軍のカール・ハインツ・クレーマー情報士官だった。

 英国立公文書館の所蔵資料によると、英情報局秘密情報部(SIS)は44年12月9日付で、「小野寺とクレーマーは同じ情報を共有して、それぞれ本国に打電している」と分析。

 また、産経新聞が一橋大学の加藤哲郎名誉教授から提供を受けた、米国立公文書館所蔵の米中央情報局(CIA)のファイルにも、「小野寺武官がポーランド 情報でドイツ諜報部門の事務所を頻繁に訪れている」=CIAの前身である戦略情報局(OSS)の45年2月15日付行動監視メモ=との記録が残っていた。

 さらに、CIAファイルには、クレーマー士官が戦後の米側の尋問で、「小野寺から44年秋ごろと45年2、3月ごろの2回、欧州で連合国の有力情報をもらった」と証言していることも分かった(46年3月19日付調書)。

 これらの文書は、小野寺武官が入手したと主張する「ヤルタ密約」の情報が、クレーマー士官を経由してドイツ側に流れていた可能性を強くうかがわせる。

 一方、大島浩駐独大使は昭和34(1959)年、防衛庁(当時)の聴取に「昭和20年3月ごろか、『ヤルタ会談の結果、ロシアが適当な時期に参戦する』ことを(ドイツの)リッベントロップ外相から聞いた」(防諜ニ関スル回想聴取録)と語っていた。

 クレーマー士官はSISの尋問(1945年7月23日)に対し、上司だったドイツ親衛隊情報部のシェレンベルク国外諜報局長に「小野寺情報を報告してい た」と答えており、小野寺武官が獲得した「ヤルタ密約」の情報はドイツ政府中枢で検討された末、大島大使に伝わった可能性も見え隠れする。(肩書はいずれ も当時)

 □大本営 握り潰す?

 ■元ソ連課長「入手」と記述

 米英ソ三国首脳が昭和20(1945)年2月4~11日、クリミア半島のヤルタに集い、南樺太返還、千島列島引き渡しなどを条件にソ連がドイツ降伏3カ 月後に対日参戦することを約束した「ヤルタ密約」。ストックホルム駐在武官だった小野寺信氏が会談直後にキャッチし、発信したとされるソ連参戦情報は大本 営や政府上層部に届いた形跡がなく、終戦に向けた当時の日本の動きをめぐる大きな謎として残されてきた。

 小野寺氏は、終戦時のソ連大使だった佐藤尚武氏が昭和58(1983)年に発表した「回顧八十年」で、本国に打電した情報が上層部に伝達されていなかっ たことを知った。そして3年後に母校・仙台幼年学校の会報「山紫に水清き」に、「ストックホルム陸軍武官として、特別にロンドンを経た情報網によって、こ のヤルタ会談の中の米ソ密約の情報を獲得し、即刻東京へ報告した」と書いた。

 小野寺氏の妻、百合子さんもその後、産経新聞の取材や自著を通じて、「ヤルタ密約」の情報はヤルタ会談終了直後の45年2月半ば、夫の武官仲間だった ポーランド人、ブルジェスクウィンスキー氏から「英国のポーランド亡命政府から入った情報」としてもたらされ、夫の依頼で特別暗号を組んで参謀本部次長 (秦彦三郎中将)宛てに打電したと証言し、「機密電の行方」を追い続けた。

 しかし、この機密電を見たり、接したりしたという軍の元高官は現れなかった。

 平成元(1989)年になって、参謀本部情報部の情報将校だった堀栄三氏が「大本営参謀の情報戦記 情報なき国家の悲劇」を著し、「ヤルタ会談で、ス ターリンは『ドイツ降伏後三カ月で対日攻勢に出る』と明言したことは、スウェーデン駐在の小野寺武官の『ブ情報』の電報にもあったが、実際にはこの電報 は、どうも大本営作戦課で握り潰されていたようだ」と明らかにした。堀氏がいう「ブ情報」の「ブ」は、百合子さんが指摘したブルジェスクウィンスキー氏を 指すとみられる。

 一方、小野寺氏が佐藤元ソ連大使の回顧録により「機密電の行方不明」に気づく9年前の昭和49(1974)年、大本営参謀本部ソ連課長を務めた林三郎氏 が回想録「関東軍と極東ソ連軍」の中で、「彼(スターリン)は同会談(ヤルタ会談)において、ドイツ降伏3ヶ月後に対日参戦する旨を約束したとの情報を、 わが参謀本部は本会談の直後ごろに入手した」と記していた。この記述は最近まで関係者の間でほとんど知られず、改めて「小野寺氏の機密電」との関係で注目 されている。(岡部伸)

 ■抹殺された不都合な真実

 ≪ゾルゲ事件などの国際情報戦を研究する加藤哲郎一橋大名誉教授の話≫

 「英米のアーカイブ資料の信頼性は高く、ヤルタ密約情報が小野寺からクレーマーに渡っていたことがうかがえる。実際の電報は見つかっていないものの、こ れで(ヤルタ密約の内容を入手して打電したという)小野寺証言の信憑(しんぴょう)性はきわめて高くなった。小野寺電が届いていたとなると、受け取った参 謀本部、とりわけソ連情報分析を行っていた関係者がどう対応したかが問題となる。ヤルタ会談が行われたころから政府、軍部をあげて密(ひそ)かに始まった ソ連を仲介とする和平工作の大きな動きのなかで、不都合な真実だった小野寺のスクープ電報が抹殺され、握りつぶされたと考えられる」

 ■終戦の遅れ 統帥部に責任

 ≪インテリジェンス分野に詳しい手嶋龍一慶応大学大学院教授の話≫

 「ヤルタ密約を亡命ポーランド政府から極秘に入手し、大本営に打電したとされる小野寺信駐在武官の証言が裏付けられることになった。大本営が小野寺電を 受け取った記録が見当たらず、関係者の間で大きな謎とされてきたが、現代史の空白がまたひとつ埋められることになった。ソ連を仲介者に終戦工作を進めてい た陸軍が意図的に小野寺電を握りつぶした可能性が高くなった。もし1945年2月半ばにソ連の対日参戦の密約が明らかになっていれば、英米直接和平派の発 言力が増し、終戦が早まったかもしれない。終戦が遅れ、原爆投下、ソ連参戦と北方領土占拠を招いてしまった統帥部の責任が改めて問われることになろう」


電気料金の怪

2012年05月09日 02時05分14秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

2012年5月8日 15時30分 ガジェット通信

(谷川 茂)

 東京・浅草で暮らす筆者は、いうまでもなく東京電力から電気を買っている。2011年3月に東電が管轄する福島第1原発で事故が起きた。その後の経緯を見 るかぎり、東電が自らの身を切るようなことはなるべくしないで、事を済まそうとしているフシがある。なによりも気になるのが、事故の賠償について国のカネ と契約者のカネを頼りにしているということだ。

ところで、東電が利益を得る仕組みをご存じだろうか。すでにご存じの読者がいるかもしれないが、筆者は2012年5月6日付の東京新聞を読むまで知らなかった。記事によれば、東電の「儲けの9割」は家庭向けの「規制部門」から得られるものだという。詳しく見ていこう。

東 電の電気料金の体系は、「自由化部門」と「規制部門」に分かれている。前者は、ビルや工場からマンションなど、高圧で電気を契約している場合の料金体系 だ。2004年に電力事業の制度改革があり、電力の供給が原則的に自由化された。2005年になると、全国の6割以上の電力需要が自由化され、大口の契約 者のほとんどが電力の供給先を選べるようになった。

他方、規制部門というのは、家庭が東電と契約した場合の料金体系である。何か規制されているのかというと、東電が勝手に値上げできないように規制されているのだ。東電が家庭向けの電気料金を値上げしたい場合、国に認可の申請をする必要がある。

問 題は、東電がどのようにして収益をあげているのか、である。東電が販売する電力の6割強は自由化部門、すなわち大口契約者である企業などが使っている。家 庭向けの規制部門が使っているのは4割弱である。にもかかわらず、営業収益(=儲け)の9割強は規制部門から得たものであり、自由化部門からの儲けは1割 弱となっている。

一般的には、より多くの電力を使う契約者から、より多くの儲けがもたらされると思ってしまう。しかし、多くの電力を使う 契約者に対する電気料金は自由化されており、競争が起きているため、儲けを少なくする必要がある。一方、家庭向けの電気料金は、「認可」という国のお墨付 きさえもらえれば、青天井で値上げすることが可能な仕組みなのであった。電気料金の怪、である。

したがって、「東電の儲けの9割が、家庭 向け電気料金から得られる」という現在の仕組みは、国の「共謀」なしには成立しなかったものである、という点をおさえておきたい。自由化部門と規制部門に 対する電力販売量の比率と儲けの比率がこれだけ異なると、自由化は儲からないから、手っ取り早く家庭から儲けを得てしまおう」という東電の、そしてそれを バックアップする国のあこぎな姿勢を感じざるを得ない。

東電は、2012年4月から自由化部門の電気料金を値上げした。そのドタバタぶりは、マスコミで報じられたので、ご存じの読者も多いと思う。まあ、値上げ も値下げも自由ということで「自由化部門」なのである。だから、東電が値上げを言いだした場合、電気を買う側には東電から電気を買わない自由がある。しか し、私たち一般家庭には、実質的にその自由がほとんどない。

原則的には、東電以外にも特定規模電気事業者(PPS)から電気を買うことも できることになっている。だが、現状では個人がPPSから電気を買うのは難しそうである。そうなると、家庭レベルで払う電気料金は規制されたままとなり、 東電が申請した値上げを国が認可すれば、有無を言わさず値上げを受け入れることになってしまう。

理にかなっていれば、値上げを受け入れてもよいと筆者は考える。その「理」とは、第1に東電がコスト削減のために最大限の努力をするのかどうか。第2に東電が原発とどのように向き合っていくのか。この2点である。

規 制部門の値上げに際して、「経済産業大臣が、消費者や産業界の代表、学識経験者、マスコミ関係者などを委員とした審議会等を開催して、広く各界の意見を 聴」き、「そこでまとめられた報告書等は、行政手続法に基づき、パブリックコメント(国民の意見)を募られ、広く国民の声が反映される仕組みになってい」 ると言う(東電のサイトより)。

「規制部門」に属する読者たちには、ぜひとも以上の「仕組み」を注視していただきたい。そして、理にかなった値上げなのかどうかを考えてもらいたい。原発事故の責任にほおかむりをし、手っ取り早く儲けてやろうという姿勢が垣間見られたら、いち早く「NO」と言えるように。



「突然バリバリ」窓ガラス散乱 茨城・つくばの突風

2012年05月06日 20時53分10秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

朝日新聞2012年5月6日17時31分

 竜巻とみられる突風は茨城県つくば市の北部地区をなめるように通り過ぎ、街を破壊した。

 つくば市北条、無職長島俊さん(63)の自宅は激しい音と揺れに襲われた。「突然、バリバリと音が響き、屋根が吹き飛ばされ、ガラスが割れた。外に出られなかった。去年の大震災のときより怖かった」

 自宅は傾き、辺りには窓ガラスが散乱した。片付けに追われるなか、時折、激しい雨が降りつける。「電気もないし、どうしたらいいのか」

 近くの商店街。軒を連ねる店の屋根は飛び、停電していた。電柱がへし折れ、窓ガラスやコンクリート片があたりに散乱。雷鳴がとどろき、激しい雨が時々降るなか、住人らが片付けに追われた。消防団は「けがのない方は小学校に避難してください」と呼びかけて回った。

 同市竹園、山崎かのこさんは、被害が大きかったつくば市北条から北に約2キロの同市神郡で農作業中に竜巻とみられる雲を見た。

 「筒の中でキラキラ、ビニールとかいろいろなものが巻き込まれてうねっているのが見えた。近くを通った人から『竜巻だ、危ない』と言われ、仲間と逃げようと思っていたら、だんだんと斜めになって弱まっていって、最後はふわっと消えた」


「原発ゼロ未来へつなぐ」 泊3号機停止 立ち上がるこどもの日

2012年05月06日 10時58分21秒 | 時事スクラップブック(論評は短め)

東京新聞 2012年5月6日 07時07分

 北海道電力泊(とまり)原発3号機(北海道泊村)は五日午後十一時三分、定期検査のため運転が止まり、国内に五十基ある原発が一九七〇年以来四十二 年ぶりにすべて停止した。原発が運転再開するめどは立っておらず、昨年三月の東京電力福島第一原発事故を経験した日本は、発電量の三割を占める原発の運転 ゼロが続く前例のない時期に入った。原発の安全性に不信感を抱く市民グループは「原発ゼロ」を脱原発に向けた一歩と位置付け、全国各地で集会やデモを開い た。

 泊3号機は午後五時、核分裂の連鎖反応を抑える制御棒を原子炉に挿入。出力を徐々に下げ、六時間後の午後十一時三分、ついにゼロになった。七日午後には原子炉内の温度が一〇〇度以下の冷温停止状態になる予定。

 北海道電は「泊原発は電力の安定供給にとって重要な基幹電源。安全確保を徹底し、一日も早い発電再開を目指す」とのコメントを発表した。

 原発から四キロ離れた対岸のフェリー埠頭(ふとう)には脱原発の市民団体のメンバーら百人が集まり、停止の瞬間を待った。停止が確認されると、照明でオレンジ色に輝く原発に向かって一斉に手を振り「さよなら原発」と声を張り上げた。

    ◇

 東京都港区の芝公園では午後一時から「原発ゼロの日 さようなら原発5・5(ゴーゴー)集会」が開かれ、約四千人(警視庁調べ)が参加した。区内の旧芝離宮恩賜庭園まで約一キロを「原発いらない」などと訴えながらデモ行進した。

 ルポライターの鎌田慧さんや作家の沢地久枝さん、落合恵子さんらが呼びかけ、市民グループなどが企画。こどもの日にちなんで「さよなら原発」などと書かれた大きなこいのぼりが泳ぎ、「子どもを放射能から守ろう」と記したのぼり旗も掲げられた。

  鎌田さんがマイクを手に「原発が全て止まる歴史的な瞬間。子どもに地球、日本を残す責任がある」と訴え。東京・霞が関の経済産業省前で、脱原発を訴え続け ている福島市の椎名千恵子さん(65)の音頭で、参加者らが「ノーモア原発」「ノーモア」とシュプレヒコールをし、こいのぼり形の小旗を振った。

  泊3号機の地元、北海道では午後一時、四十の市民団体が札幌市の大通公園で集会を開き、雨の中、四百五十人(主催者発表)が集まった。福島第一原発事故で 福島市から札幌市に家族で避難した中学二年の渡辺刀麻君(13)は「事故で福島の絆はずたずたに切り裂かれた」と訴えた。札幌市の高校一年の池沢加那さん (15)は「重荷を背負うのは私たち子どもです。原発は本当に必要なのですか」と疑問を投げ掛けた。

 東海地方でも、名古屋市中区の繁華街で二百五十人がデモ行進。参加した愛知県小牧市の会社員船橋憲秀(のりひで)さん(64)は「またどこかで大震災が起きる前に原発をなくさないと」と話した。


夏山の軽装で出発、一転零下2度 白馬岳で死亡の6人

2012年05月06日 10時41分07秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)

2012年5月6日8時30分 asahicom

 死者8人の大量遭難——。全国から登山者が集まるゴールデンウイークの北アルプスで、今年も遭難事故が起きた。この時期、3千メートル級の高山の天気は急変しやすい。亡くなったのは、いずれも60歳以上の男女だった。

 長野県警によると、白馬岳を目指した6人は、北九州市の小児科医岡崎薫さん(75)の呼びかけで集まった医師を中心とするパーティー。

 3日から2泊3日で、長野県小谷(おたり)村の栂池(つがいけ)から白馬岳を往復する予定だった。3日夜は栂池ヒュッテに宿泊。4日午前5時半、全員が弁当を2人前ずつ持って白馬岳へと向かった。

 岡崎さんと外科医井上義和さん(66)は登山の経験が豊富だったらしい。福岡県医師会の野田健一副会長は「井上さんはアフリカのキリマンジャロなど国外の登山経験が豊富。岡崎さんは日本アルプスなどをよく登っていた」と話す。


春山急変の北アで8人遭難死…中高年、軽装も

2012年05月06日 10時24分48秒 | 山関係のニュース(報道されたもの)

(2012年5月6日01時20分  読売新聞)

 長野、岐阜県の北アルプスで4日、中高年の登山者計13人が遭難し、うち8人の死亡が5日、確認された。

 長野県白馬(はくば)村の白馬(しろうま)岳 (2932メートル)では4日午後5時40分頃、いずれも北九州市の男性6人と連絡がつかないと、家族から県警大町署に通報があった。5日午前8時頃、別 の登山者が近くの尾根で6人が倒れているのを発見。県警ヘリコプターが収容したが、全員の死亡が確認された。死因はいずれも低体温症だった。

 6人のうち5人は、白馬岳北側の尾根で身を寄せ合うように倒れ、40~50メートル離れたところで1人が倒れていた。全員が下着とシャツの上にジャンパーや雨がっぱの軽装だったという。

 遭難した6人は3日から2泊3日の日程で同県小谷(おたり)村の栂池(つがいけ)高原から入山し、3日は同高原の山小屋に宿泊。4日は白馬乗鞍岳(2469メートル)と白馬岳を経由し、近くの山小屋に泊まる予定だった。4日の現地は午後から天候が急変し風が強まり、吹雪になった。気温も午後6時に氷点下2・3度まで冷え込んだという。

 また、同県大町市の爺(じい)ヶ岳(2670メートル)山頂付近では5日午前、女性が意識不明の状態で倒れているのが見つかり、県消防防災ヘリで収容されたが死亡が確認された。

 発表によると、死亡したのは大阪市住之江区新北島、会社員宗和住摩子(そうわすまこ)さん(62)。死因は低体温症とみられる。宗和さんは4日に単独で入山し、同日午後5時半頃、携帯電話で「吹雪で身動きが取れない」と山小屋関係者に連絡があって以降、行方がわからなくなっていた。

 岐阜県高山市の涸沢(からさわ)岳(3110メートル)では4日午後7時頃、福岡県の男女6人が動けなくなり、穂高岳山荘(2983メートル)に救助を要請。岐阜県警山岳警備隊員らが同山荘へ運んだが、福岡県大牟田市新地町、無職吉野和記(かずき)さん(71)が低体温症で死亡。他の5人は5日午後、岐阜県警ヘリで高山市内に搬送されたが、命に別条はないという。

(2012年5月6日01時20分  読売新聞)