All Things Must Pass

森羅万象 ~ 歩く印象派

ささくれ君来襲!しかも二人組だ!好ケーキ!(JoJo風:意味不明)

2006年05月31日 23時54分38秒 | グルメ
ついに、あのささくれ君が我が杜王町に乱入して来た。
しかも,二人組(M&F)でだ!強敵(?)だ。
迎え撃つのは私ZEROと岸部露伴(RESANDO)先生。
舞台はスイーツの殿堂「ロア」
まずは私のイチゴショートで先制攻撃。

岸部露伴も限定クルミ&アーモンドタルトでサポート。

おっと、ささくれ(M)君はあざとくシュートならぬシュークリーム
で応戦して来た!

やばい!ここで私がコーヒーブレーク。

休んでいる間に、なにやらクリーミーなスイーツが目の前
に・・・。

岸辺露伴がすかさずモンブランで最高峰を目指す。

しかし、最後はささくれFの謎のスイーツで幕となった。

いや~ケーキでSHINKONさんをお迎えするのは
初めてなので緊張しました(笑)

岸部露伴庭園のバラを愛でて解散。
次回が楽しみだ。(えっ?またあるの)

中国の旅(大連、瀋陽、撫順訪問)その13 北京ダックを食す!

2006年05月30日 23時23分31秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
旅順巡りは大幅な時間超過。お腹もぺこぺこになった。
一路大連市内に戻り、King父が我々を連れて行った場所は・・・。

大連新開路14号(近万達大厦)の「全聚徳」だ。
大連にある北京ダック専門のレストラン。本店はもちろん北京。
大連で北京ダックを食べたいなら同レストランと折り紙付きの
なんと東京にも銀座、新宿と出店しているらしい。
さっそく足を踏み入れる。

注文の青年のヘアスタイルが永瀬君ぽい。

出た出た「青島ビール」まずは乾杯。
必ず、客の前で栓を抜くのが作法。マジックは無し。

お目当ての北京ダック、その前にご馳走が次々と並ぶ。
まずは酢豚。

干し椎茸と青梗菜の炒め物。

海老プリプリのチャーハン。ここまでで大感激!

海老チリ落花生入り。海老が大きい!

麻婆豆腐もボリューム満点!白いご飯にかけたい衝動に
かられる。

スペアリブとインゲン、ポテトの炒め物

さて、いよいよ北京ダックだが、焼くところをちょいと見学。
鴨がつり下げられている。
ジョンレノンの「コールド・ターキー」のメロディが浮かぶ。

鴨が炎の中に投入された瞬間。
清志郎の「鴨なBABY」がダブる。

見事、飴色に焼き上がった北京ダック。
皮がパリパリだ。

一番最初に切り落としてくれたところ。芳ばしい香がなんともいえない。

クレープというか蒸された薄い皮(春巻きの皮に似ている。)
にネギやミソと包んで食べるとなおいっそう美味い。

さて、この料理を見てお分かりのように私とKing父母の3人では
とうてい食べきれる量ではない。しかし、頼みすぎた訳でもない。
その理由は「助っ人」がいたからだ。白ガイド&運転手さんのお
二人に加わってもらい5人でテーブルを囲むことで、これだけの
種類を楽しむことができたのである。運転手さんはちょっと高倉
健を丸くした感じのおとなしい人である。本業のガイド&運転は
今イチであったが、食事では貢献してくれた。

ちなみに5人で支払ったのは269元(4,035円)。

草刈のゴゴゴゴ  当惑のCD到着

2006年05月29日 00時08分59秒 | Rock 音故知新
久しぶりにyk氏から便りが届いた。
開けてみるとなにやらCDが出て来た。
ジャケットは明るい日差しの草むらをバックに
麦わら帽と草刈り鎌があしらわれたちょっとのどかな
雰囲気のデザインである。
タイトルは「草刈のゴゴゴゴ」。
Dr.ZERO with ykとある。
収録されているのは「素晴らしい歌」、「下克上」、
「家のスタンド使い」、「草刈のゴゴゴゴ」の4曲。
うーむ。
とてもネット上にオープンにできる代物ではないが
これらはすべて私の曲だ。(曲名はyk氏がアレンジ。)
10年ほど前にyk氏宅にて一発で録ったテープが
音源なのは間違いない。懐かしい記憶が蘇る。
当時高校生だったyk氏が買って来た様々な音色の出る
サウンド・エフェクターの出始めみたいなのを使って
遊んだ覚えがあるが、まさか、こんな形で再現されて
いるとは・・・・。
ジャケットをよく眺めてみると、デザインはあのM氏
が担当されている。いやいや、あの多忙なM氏にもご
厄介をおかけしたようで申し訳ない。
yk氏から聴いた感想を求められたが、何分にも自分の
曲なのと身内ネタで評価のしようがない。これが正直な
ところだ。
まあ、戯れともいえる10年前の一コマをこのような形で
残しておいてくれたyk氏に感謝の意を表して締めたいと
思う。

なお同梱のおまけCD「小山のビロ」については後日紹介
する予定。

猫を愛でる ミルミル、ピース、コマ&ささくれ君(友情出演)

2006年05月28日 23時13分17秒 | 歩く印象派
「ボクはミルミル。生まれて1ヶ月たったんだよ。」

「ねえ、ささくれのおじちゃんボク、おじちゃんと暮らしたいな。」
「ミルミル、オレだっておめえさんを連れて行きたいのは山々だ。しかし、おじ
ちゃん家も事情があって今んとこはおめえを連れていけねえんだ。ごめんよ。」
「お、おじちゃーん・・・。」

「おうっ!俺はピースだ。なんか文句あっか?」

「や、やめろ!俺はそれ、苦手、いや、す、好きなんだ。
そこ、そこ気持ちいい。」

「バーカ、何やってんだか」(コマ)

中国の旅(大連、瀋陽、撫順訪問)その12 旅順 203高地

2006年05月28日 12時46分35秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
水師営から203高地までの道のりでも相変わらず白ガイド嬢&運転
手コンビは道がわからず、畑を耕すおじさんに尋ねたりしている。そ
れでもなんとか近くに来たのだが、今度は道路の案内表示を見誤って
しまい別の道に進んでしまった。これは、さすがに私でも判り、途中
で引き返させてようやく203高地公園に辿り着くことができた。
中に入るにはもちろん有料である。30元(約450円)。
ちなみに水師営は40元(約600円)だった。

かの激戦地も今は観光地。

記念写真に夢中な人々の遠景が旅順港。
ここ203高地の戦いについてはこちら(ウィキペディア)を参照ください。
付け加えておくと、この203高地に大砲を並べて旅順港を砲撃したわけでは
なく、ここから正確な位置を測定しその情報をもとに砲兵隊がロシアの軍艦に
砲弾を浴びせたのだそうだ。私も実際、ここから打ったにしては狭いし、大砲
の設置した形跡もないので不思議に思ったが、この説明で納得した。

正確にいえば敗戦したロシアも軍国主義で中国を侵略していたのだが
そのことには触れられていない。

土産屋というか果物が並ぶ。

おっ!これは何だ?ロッキングチェアの左右にに竹の棒がセットされているが。

なるほど、標高203mとはいえ,徒歩で10分は年配の方にはきついのでこんな
サービス(有料)があったのだ。でも先頭の人の顔は苦しそうだ。

後ろの人だってうなだれている。

下の駐車場ではこのように客を待っている。

とにかく、この国の各種サービスの基本は「人海戦術」であることを再度認識
した。余談だが、迷彩色の軍服を着ているので、人民解放軍のアルバイトかと
思ったりしたのだが、そうではなかった。(当たり前か。)

万座温泉でのんびり(詳細)

2006年05月27日 16時56分04秒 | 旅行(山行以外)
泊まったのは「万座温泉じゅらく」。
お風呂の大幅改善には大満足。
もともと標高は1,800mあり、その名も「雲海の湯」である。

湯船も大きくなっただけでなく2つ目が増設された。

極楽状態のi崎氏。湯量も豊富だ。身体がポカポカ温まる。

昨夜の宴会では、下記の定番メニューに加え

「鱒の薄造り」が彩を添えた。(食べ切れなかった!)

部屋に戻ってからは極上酒に浸った。
左から泡盛(マイルド瑞穂)、スコッチ(バルベニー)、日本酒(黒龍)

つまみだがF本氏手作りの「スーチカ」と島ラッキョウ風のエシャロット
が披露された。F本氏の沖縄熱はまだまだ覚めやらないようだ。

さっそく「泡盛」から飲み始める。

その後、記憶が途絶えたため(多分天国モード突入のためか?)
残念ながら写真・記事共にここで終了す!

この鳥は?

2006年05月25日 05時09分45秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
「九官鳥にしかみえません。」
「凄く気になります。」
下の記事でいただいたRESANDO氏のコメント。
たしかに
撮影した私も凄く気になってました。
で、調べてみました。
「九官鳥」の仲間でいいみたいです。

正式には「オオハッカ」といって野鳥なんですね。→こちら
分布図もよかったらクリックしてみて下さい。中国・台湾が主ですね。

でもふつう日本で見るいわゆる「九官鳥」(飼育されているの)と
は違うようです。
九官鳥


今回の旅では鳥の姿(野鳥も飼鳥も)をあまり見ませんでした。
スズメやハトを公園で見たのと一度チョウセンガラスを確認した
くらいです。
あとはこちらの白鳩。

King 父曰く「食べられちゃうんだ。」
そんな風にも見えましたし、そうでないのかよくわかりませんが、
なんか変でした。M氏のマジック(手品)用のハトにも見えました。

中国の旅(大連、瀋陽、撫順訪問)その11 旅順 水師営会見所にて

2006年05月24日 22時41分13秒 | 中国の旅(大連、瀋陽、撫順)
表題の写真だが、大きな石碑が斜めに立てかけられていた。
場所は水師営の裏の方のひっそりとした塀の片隅。
下の写真は今回私が撮影したもの。

下の写真は現地で購入した「旅順港近代戦争遺跡」という
写真集に収められていた一葉。
こちらの写真では先ほどの石碑が庭の中央に堂々と立って
いる。

上記の石碑の“移動”に私が気づいたのは帰国後であった。
そのため、“移動”の経緯について現地で尋ねられなかっ
たことが悔やまれる。わかったことは写真集の刊行が
1999年となっていたから、その時点では広場の中央に
石碑があった可能性が高い。
下の写真は拡大した碑文。
「大正5年 満州戦績保存会」とある。

「会見所」入り口。
なお「水師営」とは1905年の1月5日当時のロシア軍司令官ステ
ッセルが203高地の敗北を受け日本へ降伏を告げて、乃木と会見
を行ったところである。ところで、その名をよく知られた乃木だ
が、戦術はかなり下手であったと司馬遼太郎は指摘している。
203高地の戦いでは長男を失っている。
とはいえ、中国という他国を舞台に日本とロシアが覇を競った事
実は消し去ることはできない。仮にロシアと中国が日本の若狭湾
辺りで日本の領有を巡って戦ったとしたら、そこの住民達はどう
いう感情を両国に抱くであろうか。

中に入ると一人の老人が現れ、流暢な日本語で話しかけて来た。
この老人は「地球の歩き方」にも紹介されている人である。
室内に飾られている写真の説明や、日露戦争の激戦地旅順港
をめぐる203高地の争奪戦の模様などを日本側の視点で語
ってくれた。こんなに日本贔屓で大丈夫なんだろうか?と
心配してしまうほどだった。

そのことを老人に問うてみたが、あいまいに笑っただけであった。

ここでこの数奇な仕事をしている事情もぜひ聞きたかったが、
別の日本人家族たちと話し始めてしまい,その場を辞去した。

日本語で書かれた書籍も販売されていた。
私の買った写真集だが160元のところ140元にまけてもらった。


門の外へ出て気がついた。
老人が飼っているのであろうか?
猛禽類ぽい眼光の鋭い鳥の入った籠がかけられていた。

烏ではなかった。

快晴!太平記館にて八木節公演

2006年05月23日 18時34分45秒 | 八木節
(上の写真は音頭のM夫さんの後姿。颯爽とした法被の龍。)
天気はおそらくこれが見納め(?)というくらい素晴らしい五月晴れの空の下。
太平記館で八木節公演を行った。
やはり、晴れの威力は絶大!駐車場は「満車」の表示。

持参した道具を舞台に運び終えてほっと一息の面々。

「さあ、やるぞ!」
きりりと締めた豆絞りの鉢巻が凛々しい。
背中の龍も吠えそうだ。
(音頭のTBさんの心意気を感じるショット)

気分よく音が揃って演奏開始!

一時間はあっという間に過ぎてしまった。
いったん解散の後、夜は「橘」で打ち上げ。