仙台市青葉区のサンモール一番町商店街のアーケードが全面改修に伴って,今までアーケード街で時を告げてきた『からくり時計』2基が,修理不能のために撤去される事になったことが,先月の新聞に載りました。
『からくり時計』は,‘藤崎の前'と青葉通りを挟んで‘ヤマハ楽器前'と2箇所有りますが,どちらも昭和61年のアーケード建て替え時に設置されたそうです。
『からくり時計』は,1時間おきにファンファーレと音楽が鳴り,仙台七夕祭りや支倉常長のローマ方法謁見の人形が出て来て,出来た当時は,扉が開く時間に合わせて時計を見上げたものでした。
『からくり時計』が5年ほど前から故障し,作った工房も無くなり直す術がなかったようですが,数年前から音楽が聞こえないなあとは思っていたのですが,やはり撤去されると聞くとちょっと寂しい気がしますね。
昔は,アーケードというと,今の三越側にあるように,歩道だけに屋根がかかったタイプが普通でしたが,全面屋根に覆われるようになったのは,仙台ではこの『からくり時計』のあるサンモール一番町だった気がします。(大町のぶらんどーむ一番町は平成になってからだと思います)
昭和47年(1972年)に歩行者天国が土日実施されて,‘銀ブラ’になぞらえて‘番ブラ’なる言葉も使われ始め,昭和54年に一番町が全面車両進入禁止となり,その後に全面を覆うアーケードになったのです。
三越側は,その後も昔の歩道部分のみのアーケードのまま現在に至り,昭和40年代までは三越側の方が賑わっていた気がしますが,現在では人通りも少ない気がしますが,アーケードが仙台の栄枯盛衰を物語っている気もしますね。
藤崎前の『からくり時計』を北側から見る(アップ)
藤崎前の『からくり時計』を南側から見る
藤崎前の『からくり時計』を南側から見る(アップ)
ヤマハ楽器前の『からくり時計』を北側から見る
ヤマハ楽器前の『からくり時計』を北側から見る(アップ)
ヤマハ楽器前の『からくり時計』を南側から見る
ヤマハ楽器前の『からくり時計』を南側から見る(アップ)
『からくり時計』は,‘藤崎の前'と青葉通りを挟んで‘ヤマハ楽器前'と2箇所有りますが,どちらも昭和61年のアーケード建て替え時に設置されたそうです。
『からくり時計』は,1時間おきにファンファーレと音楽が鳴り,仙台七夕祭りや支倉常長のローマ方法謁見の人形が出て来て,出来た当時は,扉が開く時間に合わせて時計を見上げたものでした。
『からくり時計』が5年ほど前から故障し,作った工房も無くなり直す術がなかったようですが,数年前から音楽が聞こえないなあとは思っていたのですが,やはり撤去されると聞くとちょっと寂しい気がしますね。
昔は,アーケードというと,今の三越側にあるように,歩道だけに屋根がかかったタイプが普通でしたが,全面屋根に覆われるようになったのは,仙台ではこの『からくり時計』のあるサンモール一番町だった気がします。(大町のぶらんどーむ一番町は平成になってからだと思います)
昭和47年(1972年)に歩行者天国が土日実施されて,‘銀ブラ’になぞらえて‘番ブラ’なる言葉も使われ始め,昭和54年に一番町が全面車両進入禁止となり,その後に全面を覆うアーケードになったのです。
三越側は,その後も昔の歩道部分のみのアーケードのまま現在に至り,昭和40年代までは三越側の方が賑わっていた気がしますが,現在では人通りも少ない気がしますが,アーケードが仙台の栄枯盛衰を物語っている気もしますね。
藤崎前の『からくり時計』を北側から見る(アップ)
藤崎前の『からくり時計』を南側から見る
藤崎前の『からくり時計』を南側から見る(アップ)
ヤマハ楽器前の『からくり時計』を北側から見る
ヤマハ楽器前の『からくり時計』を北側から見る(アップ)
ヤマハ楽器前の『からくり時計』を南側から見る
ヤマハ楽器前の『からくり時計』を南側から見る(アップ)
昔は、動く時間帯が近づくと、立ち止まって待ってみていたな~
暫く街中も歩かないので、忘れてました
でも、また一つ街中の名物がなくなるのは寂しいですね
一番町も昔はも通ってましたね
アーケードも歩道だけで、いつの頃か、道路が歩行者道になり、道路全体にアーケードがかかり、雨の日気にせずに歩けるのがでした
建物の立て替えで階数が低くなると、そこからが吹き込むのはですが
アーケードを歩く楽しみと仙台を語るものが、できないかな~
天井の高いアーケードが仙台の街をあらわしている気がしますね。
土日になると,県外から人が買い物に来て,昔の七夕のような人出になる仙台ですぁら,このようなアーケードは必要ですね。
しかし,昔を懐かしく思い出すものが段々と無くなっていく仙台に寂しさを感じますね。