浅川マキさんが亡くなったのを、ぼくは仕事場で賀句さんからのメールで知った。
それから、ぼくなりの思いを日記にすべきかどうか・・・正直ためらっていた。
しかし、今回少しゆっくり綴ってみる事にしました。
浅川マキがレコードデビューした60年代後半。
それから10数年。
恐らく同じ舞台にも立ったであろう、60年代~70年代を唄い抜いたその当時のフォーク・シンガー、ロック・グループ。
ぼくはその当時の人達の奏でる、その当時の音楽がやはり好きで。
でもね、ごめんなさい、今だけはこう言わせて下さい。。
過ぎゆく時代とともに、大半の人達はスタイルを変え、次第に演奏する側ではなくプロデューサー、コンポーザーとして名をあげるようになり。
中には俳優として富も名声も得て、所謂国民的大スターになった方も大勢いらっしゃって。
で、人々がその人達の唄を忘れかけた時期を見計らったかのように、まさかの再結成、活動再開。
大掛かりなコンサートや何十年振りの新譜発表で、またお金をがっぽり稼ぐという。
そんな中で浅川マキはそれこそ40年以上、本当に自分の気に入った場所だけで、自分の気に入ってるミュージシャンと、お気に入りの服を着て、ブーツを履いて、自分のうたを唄い続けた。
そのペースはゆっくりとしたものにせよ、40年以上まったく変わらずにだ。
あこがれといった、そんなものではない。
支持している、というのとも違う。
ましてや、影響を受けたなどと、そんな・・・とんでもない、そんな言葉、恐れ多い。
ぼくにとって浅川マキの唄というのは・・・
大好きだった女に裏切られた夜。
日々暮らして行く上で、仕事や人間関係のしがらみから、どうしようもなく心が疲れ果てた夜。
そんな夜にひとり部屋で灯りを暗くして、レコード聴きながらお酒をちびちびとやる。
すると心が休まるのだ。
・・・ただ、そんな存在なのかもしれない。
死に際の状況を知った時、たいへん不謹慎かもしれないが、ぼくは「あぁ。良かった。。」と思った。
だって、前日も自分の気に入った場所で、自分の気に入ったミュージシャンと、お気に入りの服着て唄ってたんやもん。
うん。。
これからもぼくは、レコード屋さんに入ると真っ先に浅川マキのレコード探すんやろなぁ。
それは、ずっと変わらないと思う。
それから、ぼくなりの思いを日記にすべきかどうか・・・正直ためらっていた。
しかし、今回少しゆっくり綴ってみる事にしました。
浅川マキがレコードデビューした60年代後半。
それから10数年。
恐らく同じ舞台にも立ったであろう、60年代~70年代を唄い抜いたその当時のフォーク・シンガー、ロック・グループ。
ぼくはその当時の人達の奏でる、その当時の音楽がやはり好きで。
でもね、ごめんなさい、今だけはこう言わせて下さい。。
過ぎゆく時代とともに、大半の人達はスタイルを変え、次第に演奏する側ではなくプロデューサー、コンポーザーとして名をあげるようになり。
中には俳優として富も名声も得て、所謂国民的大スターになった方も大勢いらっしゃって。
で、人々がその人達の唄を忘れかけた時期を見計らったかのように、まさかの再結成、活動再開。
大掛かりなコンサートや何十年振りの新譜発表で、またお金をがっぽり稼ぐという。
そんな中で浅川マキはそれこそ40年以上、本当に自分の気に入った場所だけで、自分の気に入ってるミュージシャンと、お気に入りの服を着て、ブーツを履いて、自分のうたを唄い続けた。
そのペースはゆっくりとしたものにせよ、40年以上まったく変わらずにだ。
あこがれといった、そんなものではない。
支持している、というのとも違う。
ましてや、影響を受けたなどと、そんな・・・とんでもない、そんな言葉、恐れ多い。
ぼくにとって浅川マキの唄というのは・・・
大好きだった女に裏切られた夜。
日々暮らして行く上で、仕事や人間関係のしがらみから、どうしようもなく心が疲れ果てた夜。
そんな夜にひとり部屋で灯りを暗くして、レコード聴きながらお酒をちびちびとやる。
すると心が休まるのだ。
・・・ただ、そんな存在なのかもしれない。
死に際の状況を知った時、たいへん不謹慎かもしれないが、ぼくは「あぁ。良かった。。」と思った。
だって、前日も自分の気に入った場所で、自分の気に入ったミュージシャンと、お気に入りの服着て唄ってたんやもん。
うん。。
これからもぼくは、レコード屋さんに入ると真っ先に浅川マキのレコード探すんやろなぁ。
それは、ずっと変わらないと思う。