4月後半の舞台日記書きます。
◎4月21日 Rocky
4月21日、毎月恒例 五反田での「CAROとうたおう!」だった。(長年お世話になった)マスター、チーフお二方で営業されていたRockyは3月末で終了し 今回 新たなスタッフで再スタートさせたお店への初出演という事で、我々 若干緊張した面持ちで現場へと足を運ぶ事となった。
この日を迎える数日前にモッキーから「喉を酷使し過ぎて声が出なくなりました。申し訳ないのですが、うたはお嬢にお願いしてもいいですか?」と連絡があり。昨年末 あたしも同じような喉の症状でご迷惑お掛けした事あったので「お互いさま。無理せず、持ちつ持たれつでいきましょう」と、兎に角いつものようにイベントを進める事にした。
<一部>
1. 一人で行くさ
2. 学生街の喫茶店
3. 愛のない世界
4. 四葉のクローバー
5. たんぽぽ
6. 一人にしないよ
7. ロマンス
8. GOOD VIBRATION
9. 吟遊詩人
<二部>
1. 君の誕生日
2. やさしい詩を歌える人になりたい
3. オールド・ファション・ラプソディ
4. 涙はいらない
5. 鳥のように
6. ロージー
7. 風にのって
8. 散歩
9. 暗い部屋
10. Find The Cost Of Freedom
今回 うたのメインパート全てあたしが受け持つ事になったが。流石に ロージー に関しては 、元来の曲の世界に及ばず仕舞いだったと思っている。改めて 確立された最鋭輝のオリジナリティを再認識する事となりました。それから。マークさんモッキーに代わり この日 会場の皆さんが終始素晴らしいハーモニーで演奏に参加して下すった事、とても嬉しかった。やはり「CAROとうたおう!」は会場全体で成立するものなのだなぁ!つくづくそう思いました。本当にありがとうございました。
余談になるが、8月3日 町田The Play Houseでのロマンチック飛行船の舞台を終え 程無くしてあたしコロナ感染してしまった。日頃 免疫力高めようと気をつけて生活していても、結局は感染してしまうんやな。今回、声帯を然程傷める事なく軽症で済んだのがせめてもの救いだった。という事で あたしもモッキーもすっかりいい歳になってきたので、お互いフォローし合ってこの先やってゆかなければ。思い返すと10数年前 最鋭輝と一緒にGAROを唄っていこうとした際 そのユニット名を考えるのに「2人共 我が強くない事を強調させて、GをCに変えるのはどうかな?」と、CAROが誕生したのだった。この先も この譲り合いの精神忘れず、お互いを気遣いながら CARO 続けてゆこう。
新体制でのRocky、マスターとチーフのいないお店というのが 我々にとって少々寂しくはあったが。一先ずこの日の帰り 身体の免疫力高めるための天一こってり、忘れずに食しました。
◎4月28日 くじら号
4月最後の舞台は 大久保にて毎月恒例「くじGIG」弾き語り出演だった。今まで幾度 此処くじら号で このイベントをやってきたのだろう。我々(お嬢、マルキ・ド・サリー)+毎回1組のシンガー或いはユニットが加わり、最後は皆で長渕剛を大合唱するといったイベント。何故に最後 剛セッションするようになったのか?もう それすら憶えてなかったりするが。しかし、サリーちゃんとあたくし 互いの音楽人生において「くじGIG」がいま必要不可欠な時間となっている。何かそんな気がするのだ。
1. 桜吹雪
2. 愛の花園
3. どうしようもなくブルース
4. 希望の花
5. なにもない
6. 赤い青春
3月5日 らいむらいと20周年で沢山の曲と向き合う機会があったので、この夜 久し振りに古い曲を幾つか唄ってみる事にした。それで サリーちゃんの「おれはラブソングしか唄わねぇ」というスタンスに対抗すべく、自分なりの 過去における色恋沙汰の中から産れてきた曲のみを唄ってみようと思った。各曲の注釈については この夜くじら号で語ったので この場では省略するが。まあ自分の場合 恋愛感情剥き出しにして曲を作っても、結局は“苦悩のうた“になってしまうようだ。そう改めて気付き可笑しかった。しかし 曲を作ったその時の感情というのは今もぐさり胸の奥に突き刺さっており、どの曲も唄っていて悲しかった。お付き合い下さいました皆さん どうもありがとう。
最後。例によって あたしとサリーちゃん、そしてもう1組のユニットinconel(この日はふたりアコースティックという形態での出演)からJohnny Jetさんと一緒に TIME GOES AROUND、俺らの家まで、恋人時代、女よ,GOMEN、しゃぼん玉 等 剛の曲を大合唱して 今回の「くじGIG」もお開きとなった。なんなんでしょう、此処でしか味わえない・・剛を通して湧き起こるこの連帯感というのは。そこにいらっしゃる全てのお客さんをも巻き込み 最後にとても清しい気持ちになれる時間、やはりあたしの音楽人生において「なくてはならぬもの」のような気がします。