mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

トルコ旅行で人生を想う

2010年11月12日 | 人生

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 最近、時間が過ぎるのが「早いな!」と感じています。

 だからといって、勤めていた頃より忙しいわけはないのです。

 朝起きる時間が遅いためでしょうか?そんなことは関係ないと思います。

 どうしてなのか理由はわかりませんが、何もしていないのに時間ばかりが過ぎて1日が「あっ」という間に終わってしまうのです。

 それにしても、人間、おかしなもので仕事をしていたときには、仕事が「多少でも世の中のためになっているのではないか!」と自負していたのですが、自分の実績を考えると、なかなか「YES」といえないと思うのです。

 まして、仕事というのは、個人ができることには限界があるのであって、会社の人達はもとより、お客さんや取引先などあらゆる人々に支えられて成り立っていたと感じています。

 そういう「世のため人のため」という大きな目標と「人への感謝の気持」が現役時代には足りなかった気がしてならないのです。

 それが時間が早く過ぎることとどういう関係があるのか?という疑問が湧きますが、自分の社会への貢献はともかく、人間関係が希薄になって、それを求めて旅に出たり、ジムに行ったりして寂しさを紛らわしているのかも知れません。

 ところで、トルコの旅8日目のメモを見ていましたら、「旅先で人生を想う」などという大げさなタイトルが書いてありました。

 中身は「人は何のために生きているのか?」「生まれてきたことの意味」「天上天下唯我独尊」などと「わかったようなわからないような」内容なのですが、本人としては、先ほど申し上げた社会貢献を含めて「深刻に考えることはない!」という結論にして達して納得してしまいました。(我ながら「のほほん」としてますね。)

 でも、古代遺跡などを」訪ねていますと、紀元前などという途方もない時代のことに驚いてしまい、また、そのような街や文化、人々があったことが今日の私たちにつながっているのではないかと思うのです。

 皆さんは自分の命はどこから来たのか?と考えたことはありませんか?

 だからこそ、自分が社会に貢献できなくとも、ただ生きているだけで尊いのではないかと考えたのです。命が引き継がれている自分は、多くの祖先の思いがつながっているはずですが、あれこれ考えずに「生きていること」が素晴らしいのだと自分に言い聞かせています。

 話が自分でも良くわからない方向へ飛んでしまいました。

 写真はトルコのカッパドキアです。


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