mugifumi日誌

海外旅行の体験のほか園芸、料理などの生活雑感を思いつくままに綴っています。

ルーマニアの秋、ペレシュ城からシナイア僧院へ

2016年12月11日 | 旅行記
 このところ、ルーマニアの秋とでもいうべき記事を書いていますが、引き続き、樹木が黄色に染まったルーマニアの別荘地シナイアから「シナイア僧院」についてお伝えします。
 先日、ペレシュ城についてお伝えしましたが、黄色く染まった小路を歩いて行きますと、10分ぐらいでシナイア僧院が見えてきます。

 <先日もご覧いただいた黄葉の小路>


 シナイア僧院は、17世紀にワラキア公カンタクジノという人がこの地を訪れたのを記念して建設された僧院で、僧院の名前が町の名前になったそうです。
 
 <朝もやに煙るシナイア僧院>


 僧院の門を入って正面に見える大司教(Biserica Mare)は、19世紀にドイツから招かれてルーマニア王国の国王になったカルロ1世が建設したものです。
 また、左の門をくぐったところにある古い教会(Biserica Veche)ha)は、17世紀末にカンタクジノの後を継いだブルングヴェアヌ公がポーチを増築した以外、当時のまま保存されているそうです。

 という説明を受けましたが、敷地に入りますと、確かに建物が二つ見えました。先ほどの説明では、「門を入って正面」となっていますが、小生の感じでは、右側の「緑の屋根に赤と白の縦縞と横縞の壁」がある建物が19世紀の建物(大司教)、左側の「緑の屋根に白い壁」の建物が17世紀の建物だと思いました。

 <19世紀の大司教>


 <17世紀の教会>


 パンフレットなどに載ってる美しい建物は、19世紀の大司教ですが、ここには入場できませんでした。
 ところで、僧院の案内書などに「教会の入口に描かれたフレスコ画は必見。」という言葉を見かけますが、フレスコ画は、入場できた17世紀の教会にありました。

 <17世紀の教会の入口にて>


 <17世紀教会の中庭>


 <フレスコ画>


 <同じく:左右対称の右側>


 <同じく:左側>


 続いて、僧院の周辺で見えた景色をご覧ください。

 <ピンクのタイヤ>


 <僧院入口の門>


 さて、この後はお楽しみの昼食ですが、場所が次の訪問地ブラン城近くのレストランCASA DI BRAN となっています。
 と思いましたら、ブラン城には11時を少し回った時刻に到着しましたので、小生の勘違いのようで、先にブラン城を見学しました。

 ブラン城は、「吸血鬼ドラキュラ」の居城のモデルとなったお城ですが、どのようなところだったのでしょうか?
 その模様は、次回レポートしたいと思います。

 <シナイアからブラン城までの間に見えた景色>


 <同じく>


 <ブラン城の入口>


 それでは、これにて失礼します。





  


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