16日からルーマニアとブルガリアに行ってきますが、訪問地のことを知りたいと思い、「地球の歩き方(ダイヤモンド社)」のブルガリア ルーマニア版を読み始めました。
そして、ブルガリアといえば、「ヨーグルトと大関の琴欧州だな!」という先入観を持っているのですが、その琴欧州がブルガリアの何という町や村の出身なのか知りませんでした。
個人的な話で恐縮ですが、我が家は二人とも大相撲ファンで毎場所,NHKのテレビで楽しんでいます。かみさんなどは、横綱の白鵬と大関の琴欧州のファンですから、毎場所、「はらはら」しながら見ています。
その琴欧州がブルガリアの出身であることは知っていたのですが、先ほど申し上げたようにブルガリアのどこなのかまでは知らなかったのです。
それを知ったきっかけですが、今度の旅でお世話になるワード航空サービスの日程表を眺めていて「そうだ!ユーラシア旅行社のツーとどこが違うのだろうか?」と思い立ち、ユーラシア旅行社のホームページを見たことでした。
ということは、ワールド航空サービス社の日程表には琴欧州の故郷のことは書いていなかった!・・・・
「ええい!まわりくどい!」そうですね。ユーラシア旅行社の日程表には「琴欧州の家を訪問する」というような記述が入っていたのです。
その地が本日のタイトルにある「ヴェリコ・タルノヴォ」なのです。
そこで、今日はヴェリコ・タルノヴォがどういう所なのかをお伝えしたいと思います。
「お前が知っているのか?」という声が聞こえそうですね。
もちろん、知りませんので、「地球の歩き方」をそのまま引用させていただきます。
<国土の東西に横たわるブルガリア最大の山脈、バルカン山脈の東部にある、人口約7万人の地方都市。>
人口7万人の都市など日本にはいくらでもありますが、その後の文章を見て下さい。
<ブルガリア人にも人気の観光地だ。森に包まれたいくつもの丘と、周囲を蛇行するヤントラ川の切り立った崖の独特の美しさは、中央ヨーロッパでも際立つものだ。>
いかがですか、この文章を読んでの感想は?感動的でしょう!
では、次の文章を読んで下さい。
<どこを歩いても違う表情を見せてくれ、地図を見ているだけでは想像もできないほど立体的。自然と中世の町並みが鮮やかに溶け合っている。>
ここまでが町の位置や自然景観などを述べたものですね。次が歴史です。
<かっては「タルノヴォ」と呼ばれ、1187~1393年に第二次ブルガリア帝国の首都として栄えた。イヴァン・アッセン王治世下の最盛期にはビザンツ帝国(東ローマ帝国)をも圧倒し、バルカン半島のはぼ全域を支配したこともあった。文化的にもこの時代は周囲を押さえ、タルノヴォで勉学を修めるためにルーマニアや遠くモスクワからも留学生がやってきた。
しかし、その帝国もアッセン王死後に衰退を始め、やがて宿敵ビザンツ帝国に屈服、1398年にはオスマン朝との三か月にわたる首都攻防戦の後、ついに滅亡する。タルノヴォが脚光を浴びるのは、500年にわたるトルコ支配から独立を達成した1879年から。新生ブルガリア王国の最初の国会がこの町で開かれたのだ。>
という歴史を読んでみますと・・・栄枯盛衰や無常は、どの国でも、どの地でも永遠の真理なのですね!でも、次を読んで下さい。
<どのような歴史を経ようとも、タルノヴォの美しさは現在も変わらない。石畳を歩きながら、町が刻んできた歴史の一つ一つを、味わってほしい。>
いやー!この言葉のような味わい方ができれば最高なのですが・・・
ではまた。
写真?オランダの美しい水郷の村、ヒートホールンです。本当に感動的な美しい村です。オランダに行ったら是非、訪ねて下さい。
そうそう、最近、小生のブログに勝手に自社の広告を載せる方がいますが、どうかご遠慮下さいませ。