(2017.12.02訪問)
迷車大和路号は近江路を颯爽と走りたいのですが、如何せん走ってるクルマが多すぎます。近江八幡市街も例外なくノロノロ運転、
やっとの事で八幡山ロープウエイの駐車場に大和路号を置きました。我が身は空中へ……。
今日訪ねた瑞龍寺は門跡寺院、八幡山の頂上にある由緒正しき日蓮宗のお寺です。あの悲運の武将と云われた豊臣秀次の生母が我が
子の菩提を弔うために創建したと伝わる少々暗いイメージが残っているお寺なのではと思ったんですが……。
▼八幡山頂上へ4分の遊泳。
[ 瑞龍寺 ]
●寺号 瑞龍寺(ずいりゅうじ)正称 村雲御所瑞龍寺門跡
●宗派 日蓮宗 (にちれんしゅう) 門跡寺院
●勅願 後陽成天皇 (ごようぜいてんのう)
●開山 日秀尼 (にっしゅうに)
●開創 文禄五年 (1596年)
●本尊 一塔二尊四菩薩
▲拝観 300円 朱印300円
▲時間 9:00~17:00
▲滋賀県近江八幡市宮内町19-9 電話 0748-32-3323
▲JR東海道本線「近江八幡駅」から近江鉄道バス「大杉町」下車 八幡山ロープウェイで4分
名神高速道路「竜王IC」からR477号 県道2号で八幡山ロープウエイ駅
▼ロープウエイ山頂駅から少し石段を上ると……、
瑞龍寺縁起 (瑞龍寺パンフレットから抄出)
瑞龍寺は豊臣秀吉から非ぬ疑いをかけられ高野山で割腹、非業の最期を遂げた我が子豊臣秀次の生母、瑞龍寺殿日秀尼公が我が子の
菩提を弔うため文禄五年創建。後陽成天皇から村雲の地と瑞龍寺の寺号、寺禄一千石を賜り菊の御紋使用が許され勅願所となった。
昭和三十六年(1961年)、今出川堀河村雲の地から豊臣秀次が居城を築いた八幡山城趾に移築、豊臣秀次棲神の地へ復興を果たした。
▼宝形造り銅板葺きのお願い地蔵堂。道側が張り出し柱で間を通り抜けます。
▼本尊子安地蔵尊。珍しやお地蔵さんと七字名号軸です。
▼参道を少し上ると石垣にこんな石が使われています。信長がよくやる手法ですネ。
▼菊の御紋が燦然と……。
▼山門に目を転じると、こちらは質素な四脚門。村雲御所の風情を残しているような。
▼書の見本のような筆跡もいいですが、この書もなんとなく味がありますネ。
▼名残紅葉。
▼山門にかかる紅葉。
▼菊の御紋が入った手水鉢、これは珍しい。このお寺よほどの格とお見受けします。
▼開山塔。
▼瑞興殿。六角堂ですが、どういうお堂かよく判りません。
▼境内隅に金生稲荷社。瑞龍寺の鎮守社と思われます。
▼本堂です。境内唯一のお堂、入母屋造、唐破風の一間向拝付。どことなく宮殿のイメージを感じるお堂です。
前引きがなく、全景を撮る事が出来ません。
▼前面には掲示物がゴテゴテと、上品な由緒なんてどこへ行ったんでしょう。
▼向拝屋根裏の曲線の美、貫に蛙股が二つ、これはなかなか見ることができません。
▼本堂内陣です。
▼須弥壇は階段状、本尊は最上段におられます。
▼本尊一塔二尊四菩薩は暗くて見えませんが、前列に日蓮大聖人のお像が光っています。
なにを被られているんでしょうか?
▼天蓋です。
▼七字名号が書かれた天蓋左右の瓔珞。
▼本堂から宮御殿への渡り廊下。小さなお庭の紅葉もぼつぼつオシマイですネ。
▼見えますか小石で書かれた妙法の文字。
▼宮御殿楓の間。
▼次は雲の間。
▼拝謁の間。住職が信者や客との謁見の間。
▼仏間。
▼豊臣秀次像がひっそりと置かれていました。
▼御朱印。
フロク
▼境内高所から見た近江八幡市街の景観。
下界景観の印象しか残らない瑞龍寺でした。
非業の死を遂げた関白豊臣秀次築城の八幡山城址にある瑞龍寺、悲運の人のイメージはもはや感じる事はありません。
時の移ろいとともに悲劇は薄れ、普通の山寺へと印象が変わって行くのも仕方のない事かも知れませんネ。
村雲御所瑞龍寺門跡これにて オ シ マ イ
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