土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

真如堂は女人済度のお寺です。

2012年07月04日 | 京都の古寺巡り


(2012.06.30訪問)

永観堂多宝塔から見えた塔は、この真如堂の三重塔でした。
このお寺も秋のシーズンには、紅葉を愛でる人々で溢れ返るそうですが、緑から黄や赤への季節の移りを感
じるために、青もみじもまた一興、グリーンシャワーはことのほかヘルシーそう。この日はもうすぐ雨が来
ることを予想してか、お参りの方はほんのポツポツ。今にも崩れそうな空模様ですが、青もみじだけは元気
でしたよ。

▼永観堂の多宝塔から見えた [塔] はこの三重塔です。



[ 真正極楽寺 ]
●山号 鈴聲山(れいしょうざん)
●寺号 真正極楽寺(しんしょうごくらくじ) 通称真如堂(しんにょどう)
●宗派 天台宗
●開創 永観二年(984年)
●開基 戒算上人(かいさんしょうにん)
●本尊 阿弥陀如来立像(重文)

真正極楽寺縁起 (真正極楽寺 HPから抄出)
永観二年の春、開祖戒算上人の夢枕に、阿弥陀仏の化身である老僧が現れました。老僧は「我は叡山の常行
堂より参った。京に出てすべての者に利益を施すであろう。わけても女人を済度するものである。急いで京
に下山させるべし」と戒算上人に告げました。
比叡山の僧衆が協議した結果、慈覚大師作の常行堂の阿弥陀
如来を下山していただくことを決定。ひとまず雲母坂の地蔵堂に仮安置、どこに遷座していただくかと協議
していたら、また夢の老僧が現れて「神楽岡のあたりに、小さな桧千本が一晩のうちに生えた場所がある。
そここそ仏法有縁の地であり、衆生済度の場である。まさしく末法の世に真正極楽の霊地なるぞ」とお告げ
になりました。その場所は折しも同じ夢をご覧になった東三條女院 (藤原詮子、円融天皇女御、一条天皇母)
の離宮でした。女院は寝殿を飾り、堂荘厳を施し、ここに如来を遷座、これが真如堂の始まりです。

▼総門。




▼寺標。




▼総門から参道。




▼参道。




▼三重塔(法華塔)。塔高約30m、本瓦葺。文化十四年(1817年)再建。
三重塔としては塔高高いけど安定感抜群、非常にカッコイイ塔です。




▼塔の青もみじ。




▼六脚の立派な手水舎。ボタンを押すと手水が出る仕掛け。




▼本堂。桁梁行とも方十五間、単層入母屋造、総欅造、本瓦葺。元禄から享保にかけて再建。
本尊 阿弥陀如来立像。像高108cm、木造、平安時代。このお寺の通称、真如堂は本堂の名称です。




▼本堂扁額。これがその証拠、真如堂と書かれています。




▼本堂須弥壇。本尊は中央お厨子の中に。内陣の荘厳はキラキラ、天蓋や天井瓔珞は大振りで壮観です。
この写真は本堂前庭から撮ってます。




▼本堂裏堂に釈迦三尊像の大きな絵が、これは中尊釈迦如来坐像です。江戸中期の浄土高僧、厭求の作。
堂内は暗くて肉眼ではほとんど見えません。最近の写真機はホンマよ~できてます。




▼鐘楼堂。切妻造、本瓦葺、六脚の立派な鐘楼。元禄年間の建立。周りの紫陽花は今盛り。






▼本堂南に露座の金銅阿弥陀如来坐像。由緒謂れはHPをご覧ください。非常に詳しく書かれています。




▼元三大師堂。桁行三間、本瓦葺、入母屋造。元禄九年(1696年)建立。
比叡山中興の祖、滋恵大師良源さんの画像を祀り、毎月三日に護摩供法要で開扉されるそうです。




▼裏参道に真っ白の夾竹桃。




▼新長谷寺。もと近くの吉田山に在ったお寺で、明治の神仏分離時に真如堂に移築。
由緒謂れはHPをご覧ください。非常に詳しく書かれています。




▼お堂と青もみじ。




▼鎌倉地蔵堂。本尊地蔵石像。
由緒謂れはHPをご覧ください。非常に詳しく書かれています。




▼三千仏堂。三世の三千仏への懺悔堂。




▼去来の句碑。
涼しさの 野山に満つる 念仏かな
元禄七年、真如堂で行われた信濃善光寺の善光寺如来出開帳法要に参加した向井去来の句。




▼もう一度、紫陽花で真如堂 オ シ マ イ !




あ~あ、ついに降り出しました、総門を出たとたんです。傘ありません。



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