土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

「永観、遅し」の永観堂禅林寺です。

2012年07月02日 | 京都の古寺巡り


(2012.06.30訪問)

永観堂禅林寺は、全山ミドリ、青もみじのオンパレード!
世に云う紅葉の永観堂、錦秋の彩りは紅もみじのショーウインド。しかし今の永観堂は緑一色、伽藍堂宇の
全容を見ることができないほどグリーンに埋もれています。青もみじがマイナスイオンとかフィトンチッド
の発生源かどうかは知りませんが、京都街中とはいえ東山山麓の自然が精一杯残り、あらゆる緑がちりばめ
られて、京雅の初夏の香がどことなく漂うような、そんな結構な禅林寺を訪ねました。しかし空は今にもポ
ツリときそうです。

▼お堂と青もみじ。



[ 禅林寺 ]
●山号 聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)
●院号 無量寿院(むりょうじゅいん)
●寺号 禅林寺(ぜんりんじ) 通称永観堂(えいかんどう)
●宗派 浄土宗西山禅林寺派総本山
●開創 貞観五年(863年)
●開基 真紹僧都
●宗祖 法然上人
●派祖 西山上人
●本尊 みかえり阿弥陀如来立像(重文)

禅林寺縁起 (禅林寺 HPから抄出)
平安時代初期に禅林寺を創建された弘法大師の弟子真紹僧都(しんじょう)は真言宗の僧侶であったため、禅
林寺は真言密教の道場として始まります。創建にあたって、真紹僧都は禅林寺清規に「仏法は人によって生
かされる、我が建てる寺は人々の鏡となり、薬となる人づくりの修練道場であらしめたい」と照り映えるモ
ミジ葉の輝きにも負けぬ、智徳ともにすぐれた人材養成を理想の旗印に掲げられたので、風光の美しさとと
もに、伝統的に各時代の指導的人材の輩出を数多く見ることとなりました。
永観堂の歴史は大きく三つの時代に分けられます。最初は真紹僧都から永観律師が住職になるまでの約220
年間で、真言密教の寺院としての時代です。次は永観律師から静遍僧都(じょうへん)までの約140年間。
この時代は真言密教と奈良で盛んだった三論宗系の浄土教寺院でした。その後は浄土宗の寺院となりました。

▼総門。高麗門形式、江戸末建立。




▼はや緑に埋もれる寺標。




▼参道。




▼中門をくぐると本坊の大屋根が見えます。




▼大玄関。拝観出来るお堂の総入り口になり、各お堂と渡り廊下でつながっています。




▼勅使門。皇室勅使専用御成門。正面はサッパリ判りませんね。




▼よく判る勅使門。方丈(釈迦堂)正面からの勅使門。




▼盛り砂。方丈と勅使門の間にある勅使清めの砂、これを踏んでからお堂に入るそうです。




▼方丈庭園の高麗燈籠。胴がないようにも見えますが、朝鮮型の珍品らしいです。




▼瑞紫殿と青もみじ。




▼古方丈前小池の半夏生。




▼御影堂参道。




▼御影堂。入母屋造、本瓦葺き、総欅造り、大正元年(1912年)建造。宗祖法然上人をお祀りしています。




▼御影堂正面。




▼御影堂内陣須弥壇の法然さんのお像。




▼手水舎。お寺では龍吐水と云ってます。




▼阿弥陀堂への参道。




▼阿弥陀堂参道坂下にやすらぎ観音のお像が。優しく暖かい柔和なお顔です。細かな繊細な彫技には感服。




▼何とも云いようのない、可愛いお地蔵さん。




▼阿弥陀堂参道。




▼阿弥陀堂。禅林寺の本堂です。入母屋造、本瓦葺き、慶長二年(1597年)建造。




▼阿弥陀堂軒の彩色。




▼本尊みかえり阿弥陀立像(重文)。どなたも知ってる「永観、遅し」あの阿弥陀さんです。
像高77cm、鎌倉時代。
ネットでガードされた阿弥陀さん、ここまでガードしなくてはならないほど参拝者を信用出来ないのでしょ
うか。




▼皆さんこれはなんでしょう? 答えは最後に。




▼鐘楼。




▼お堂と青もみじ。




▼臥龍廊。廊下木組みの妙!斜面に沿って作られた渡り廊下、起伏に富み、その名の通り龍がうねっている
ような感じ。




▼開山堂。




▼臥龍廊。




▼お堂と青もみじ。




▼多宝塔。境内最高所に建っています。




▼多宝塔から西、市街がよく見えます。




▼極楽橋。放生池を少し歩いてみましょうか。




▼放生池。奥に見えるのが極楽橋。




▼優雅ですね~。




▼映る青もみじ。




▼つかず離れず、目も会わさず。




▼鎮守社、弁天さんをお祀りしています。




▼境内南に画仙堂。
日本画壇鈴木派鈴木松年の業績を残す画仙堂は大正三年松年67歳のとき画仙堂を上棟。子息松僊の天井画が
残されているそうですが、内部は非公開。




▼戸惑いそうな季節感。




▼多宝塔。昭和三年(1928年)建造。




▼境内から総門。



(答え)エレベーターでした。

全山ミドリ、いかがでしたか。長々とおつきあいありがとうございました。

▼最後に多宝塔から西北、塔が見えるでしょう、次はあそこを訪ねます。





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ