土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

菅公と伯母覚寿尼別れの尼寺、河内道明寺を訪ねました。

2012年02月07日 | 大阪の古寺巡り


(2012.02.04訪問)

みなさま、お風邪など召していませんか?ボクは先々週のずぶ濡れでキッチリ風邪ひき。歳をとるとモンク
とグチがグダグダ長くなり、風邪を引きますとグニュグニュコンコンと長患い、なかなか治りませんわ。雨
は怖いですヨ、ぬれたら風邪ひきますヨ。傘を持って外出しましょうネ!
ところでこの日は一転、冬晴れの青空がまぶしい、二週間ぶりの古寺巡りにゴーしました。

菅公菅原道真ゆかりの道明寺はかつて土師寺、道真さんが太宰府に落ちゆく前、伯母の覚寿尼に暇乞いに訪
れ、別れを惜しんだお寺として知られています。
啼けばこそ 別れもうけれ 鶏の音の 鳴からむ里の 暁もかな
その道明寺を今日は訪ねました。

[ 道明寺 ]
●山号 蓮土山(れんどさん)
●寺号 道明寺(どうみょうじ)
●宗派 真言宗御室派 尼寺
●開基 土師連八嶋
●復興 了祥尼
●中興 菅原道真
●創建 推古年間(600年はじめ)
●本尊 十一面観音菩薩立像(国宝)

道明寺縁起
聖徳太子の発願で、この地の豪族、土師八嶋が邸宅を寄進、土師氏の氏寺として広大な境内に金堂、五重塔
をはじめ七堂伽藍が甍を並べました。これが道明寺の前身土師寺です。その後、菅原道真はもともと土師氏
後裔で土師寺には因縁があり、その号を道明と称したところから道明寺と改称。かの有名な本尊十一面観音
菩薩立像はこの時道真さんが自ら刻んだものだと伝わっているそうです。明治の廃仏毀釈、神仏分離令によ
り、当初の寺地は天満宮に譲り西に境内を移し大正年間に現景が整い現在に至っています。

▼参道。東高野街道沿いに参道があります。
尼寺という言葉の響きからでしょうか、冬晴れのもと参道に一歩足を踏み入れた瞬間から清浄感や優しい雰
囲気に包まれている気がします。




▼楼門。
重層で二層に高欄付き、本瓦葺。優しさから一変!尼寺の山門としてはかなり豪快な楼門です。




▼楼門扁額。寺号が揮毫されています。



境内はさほど広くはなく、お堂も三つしか在りませんが、なんとも綺麗に管理され、気持ちのいいお寺です。

▼手水舎。




▼寺標。本堂右前に建てられています。
豪快な画風と書で知られる富岡鉄斎の墨跡だそうです。




▼本堂。大正八年再建。
本尊十一面観音菩薩立像(国宝)。




▼本堂扁額。
観世音と揮毫されています。




▼本尊十一面観音菩薩立像(国宝)。(販売されているポートレイトから掲載)。
平安時代初期、カヤ一木造、檀像様、像高99.4cm。造像伝菅原道真。
国宝十一面観音菩薩像は全国で七体、そのうちの一体がこのお像。
毎月18日、25日に開帳。当然今日は本堂に入る事は出来ません。
友人によりますと、ご開帳の日はお厨子の前まで近寄れるのでジックリと拝見できるとのことです。




▼絆の文字。
三つのお堂の前には小砂利が掃き清められ、所々に小石で文字が描かれています。この写真のように「絆」
とか「心」「和」といった今の世情を表したと思われる文字が…。何かしら心ひかれます。




▼本堂。




▼大師堂。
宝形造本瓦葺。弘法大師をお祀りしているそうです。




▼護摩堂。宝形造本瓦葺。




▼護摩堂前の小砂利に小石の字。「祈」と「学」



▼観音菩薩石像。




▼十三重石塔。




▼本坊。
美しい庭園が設えているそうですが、拝観は出来ませんとのことです。




▼東門。
すぐ前が東高野街道。旧道然とした細い道で、南に行き交差点を東に行くと梅の道明寺天満宮はスグです。
ボクは行ってませんけど。



青空のもと、傘を片手にお隣羽曳野市にある野中寺に向かいます。