土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

獅子から降りた文殊さんに会いに、安倍文殊院を訪ねました。

2011年01月14日 | 奈良の古寺巡り


(2011.01.08 訪問)
安倍文殊院の訪問は実は初めてなんです。
「獅子から降りた文殊様」というキャッチフレーズで遷都祭の特別公開期間が延
長され、今月25日(火)まで公開されていますので、この日訪ねてみました。

[ 安倍文殊院 ] あべのもんじゅいん
●山号 安倍山(あべさん)
●院号 文殊院(もんじゅいん)
●寺号 崇敬寺(そうけいじ) 通称「安倍の文殊さん」
●宗派 華厳宗別格本山
●開基 安倍倉梯麻呂(あべのくらはしまろ)
●本尊 文殊菩薩騎獅像(重文)

安倍文殊院縁起
大化の新政府左大臣、安倍倉梯麻呂が一族の氏寺として建立した安倍寺が初。
安倍寺は法隆寺式伽藍配置の壮大なお寺だったらしいのですが、談山僧兵の焼き
打ちで全山消滅、今の文殊院地にあった別院に統合されたと伝わるそうです。
名家安倍家は、倉梯麻呂を筆頭に安倍比羅夫、安倍仲麻呂、安倍継麻呂、安倍晴
明と歴史に名を成す人々を輩出。陰陽師としての安倍晴明は「文殊菩薩の化身」
として崇められ、魔よけ祈祷の寺と信仰が広まったといいます。今の本尊文殊菩
薩騎獅像が仏師快慶により造像されたと伝えられ、その信仰が今に連綿と続いて
いるようです。

▼山門。



▼参道。



▼本堂。



「獅子から降りた文殊様」をじっくり拝見するとやはりどこかおかしい、本来あ
るべき姿ではない姿をボク達は見ているわけで、しかも文殊さんはへんな木製台
に半伽椅座。後ろに獅子が置かれています。当然一体として見ることは出来ませ
ん。文殊さんのお顔がよく見えるようにと、お寺の余計な親切でしょうが、それ
なら本来の姿のまま前方床へ移動したら済むのではないですか。
と思ったのはボクだけでしょうか。

▼釈迦堂と本尊釈迦三尊。
釈迦堂は本堂と棟続きのお堂です。





▼仲麻呂堂(金閣浮御堂)。
文殊池に浮かぶ美しいお堂です。
安倍一族の供養堂。本尊開運弁財天、仲麻呂、晴明像を祀っています。



▼仲麻呂望郷の歌碑。
天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも
昨年亡くなられた榊莫山さんの揮毫で、仲麻呂が遠く長安から詠んだ歌です。



▼鐘楼。
撞き放題みたいで皆さん頑張ってました。



▼不動堂。
本尊不動明王、護摩行が行われるそうです。



▼稲荷社。
安倍晴明と何か関係がある「くずは稲荷」



▼白山堂。
安倍文殊院鎮守社で縁結びの神様。



▼晴明堂。
安倍晴明天文観測の旧地に建ち、魔よけ、方位よけのご利益があるそうです。



▼展望台から花の広場。
今年の干支、卯年にちなみウサギのジャンボ花絵。



相当人気のお寺のようです。ぼけ封じ祈願霊場と云うことでご年配の方々の参拝
が多く、本堂内での祈祷も盛大でした。
境内はやたら朱色の建物が多く、お寺なのか神社なのか、晴明さんの影響の強い
お寺なんでしょう。

一日に五寺も巡るとブログ制作が大変ですわ。
とりあえず新春第一弾!明日香巡りはこれで お し ま い !

 

蘇我倉山田石川麻呂怨念の寺、山田寺の今は。

2011年01月14日 | 奈良の古寺巡り


(2011.01.08 訪問)

橘寺から山田道に戻り桜井方面に、飛鳥資料館のすぐ近くに山田寺跡があります。
1982年世紀の大発見、山田寺跡発掘調査で、東回廊の土中から倒れた回廊の柱、
連子窓、蓮弁付きの礎石がほぼ完全な状態で発見されました。遺構ではありませ
ん、回廊そのものが発掘されたんです。大ニュースでした。覚えている方も居ら
れるでしょう。現在飛鳥資料館に再現されています。

▼発掘された東回廊



蘇我家傍流の倉山田石川麻呂を有名にしたのは、乙巳の変での上表文代読の功が、
蘇我本宗家が滅亡する大きな要因になったことと改新政府の右大臣に抜擢された
ことが特記されます。その倉山田石川麻呂により建設が開始されたのが山田寺です。
倉山田石川麻呂の栄華も五年と続かず、身内の讒言で身の潔白を念じつつ金堂前で
自害、その後、潔白は証明されましたが伽藍の完成には、42年の歳月を要したと
伝わります。

[ 山田寺 ] やまだでら
●山号 大化山(たいかさん)
●寺号 山田寺(やまだでら)
●宗派 法相宗
●開基 倉山田石川麻呂
●本尊 十一面観音立像
山田寺は明治の悪法、廃仏毀釈で一時廃寺、明治25年(1892年)に再興。

▼講堂跡に建つ史蹟山田寺跡の石標。
後方に見えるのが伽藍跡です。



▼南から北方向。中門跡から塔跡基壇。



▼西回廊跡から東方向。右塔跡基壇、左金堂基壇。



▼東から西方向、南回廊と中門跡。



▼東回廊の発掘場所。



▼今の山田寺の唯一のお堂、観音堂。他に庫裡が一棟。



▼整備された寺跡に伽藍復元図と説明案内の石碑。



▼興福寺の仏頭。
南都焼打のどさくさに乗じて興福寺僧兵が山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪、
興福寺東金堂の本尊に据えた話は史実らしく、今興福寺国宝館に展示されている
国宝仏頭はこの本尊丈六の薬師如来の頭部だと伝えています。
数年前に描いたペン画の仏頭です。



中大兄皇子を巡る血なまぐさい相伐の数々、その一端に連なった倉山田石川麻呂、
悲劇と怨念の人は1362年後の今、泉下でこの広大な栄華のあとをどんな思いで見
ているのでしょう。

安倍文殊院につづきます。