(2011.01.08 訪問)
橘寺から山田道に戻り桜井方面に、飛鳥資料館のすぐ近くに山田寺跡があります。
1982年世紀の大発見、山田寺跡発掘調査で、東回廊の土中から倒れた回廊の柱、
連子窓、蓮弁付きの礎石がほぼ完全な状態で発見されました。遺構ではありませ
ん、回廊そのものが発掘されたんです。大ニュースでした。覚えている方も居ら
れるでしょう。現在飛鳥資料館に再現されています。
▼発掘された東回廊
蘇我家傍流の倉山田石川麻呂を有名にしたのは、乙巳の変での上表文代読の功が、
蘇我本宗家が滅亡する大きな要因になったことと改新政府の右大臣に抜擢された
ことが特記されます。その倉山田石川麻呂により建設が開始されたのが山田寺です。
倉山田石川麻呂の栄華も五年と続かず、身内の讒言で身の潔白を念じつつ金堂前で
自害、その後、潔白は証明されましたが伽藍の完成には、42年の歳月を要したと
伝わります。
[ 山田寺 ] やまだでら
●山号 大化山(たいかさん)
●寺号 山田寺(やまだでら)
●宗派 法相宗
●開基 倉山田石川麻呂
●本尊 十一面観音立像
山田寺は明治の悪法、廃仏毀釈で一時廃寺、明治25年(1892年)に再興。
▼講堂跡に建つ史蹟山田寺跡の石標。
後方に見えるのが伽藍跡です。
▼南から北方向。中門跡から塔跡基壇。
▼西回廊跡から東方向。右塔跡基壇、左金堂基壇。
▼東から西方向、南回廊と中門跡。
▼東回廊の発掘場所。
▼今の山田寺の唯一のお堂、観音堂。他に庫裡が一棟。
▼整備された寺跡に伽藍復元図と説明案内の石碑。
▼興福寺の仏頭。
南都焼打のどさくさに乗じて興福寺僧兵が山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪、
興福寺東金堂の本尊に据えた話は史実らしく、今興福寺国宝館に展示されている
国宝仏頭はこの本尊丈六の薬師如来の頭部だと伝えています。
数年前に描いたペン画の仏頭です。
中大兄皇子を巡る血なまぐさい相伐の数々、その一端に連なった倉山田石川麻呂、
悲劇と怨念の人は1362年後の今、泉下でこの広大な栄華のあとをどんな思いで見
ているのでしょう。
安倍文殊院につづきます。
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