土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

つづいて楠正成一族の菩提寺[ 楠妣庵観音寺 ]と[ 瀧谷不動 ]を訪ねました。

2010年06月17日 | 大阪の古寺巡り
[ 楠妣庵観音寺 ]
峰篠山 楠妣庵 観音寺、臨済宗妙心寺派の禅宗寺院です。
大楠公夫人が亡き一族郎党の菩提弔いのためにこの地に隠棲、楠妣庵と称して余
生を過ごしたと伝えています。その子正儀が母入滅後、楠氏一族の菩提寺、観音
寺とした由緒が今に続いているお寺です。楠一族の滅亡に伴い廃滅、廃寺となり
久しく途絶えていた系譜を大正時代に再興したそうです。太平記の一方の主、南
朝忠臣正成生誕の地森屋からほど近い富田林市甘南備にこのお寺は在ります。金
剛山西麓一帯は楠一族の数多くの痕跡が残る地でもあります。

参道石段。


山門。栗材を使用した四脚門、山梨県恵林寺の山門を移築。


大正11年再建の本堂。


高台の楠妣庵から見た本堂。


本堂横に、本堂大修理時に取り替えられた鬼瓦。


観音堂。
正成夫人の念持仏十一面観音を祀るお堂。大正6年再建。




立派な石造手水。


裏参道の一角に正成夫人常用泉舎。
中を見ることは出来ませんが、今もなお清泉がわき出ているといいます。


裏門。


表参道と裏参道があり、北から向かうと先に裏参道サインがあるため、つい進入
してしまいました。再建後の歴史は新しいお寺ですが、悲劇の武将、楠正成をは
じめその息正行六兄弟の奮戦の故地にひっそりと在る小さなお寺ですが、悲劇性
を感じない、むしろ優雅な佇まいを印象づけるお寺ではないでしょうか。

[ 瀧谷不動明王寺 ]
821年、弘法大師開基の真言宗のお寺。本尊は不動明王、脇侍は八大童子の衿羯
羅童子と制叱迦童子。弘法大師の作と伝わるそうです。通称、瀧谷のお不動さん
と親しまれているお寺で毎月28日の不動縁日の賑わいは参詣者で溢れかえるそう
です。

瀧谷山総門。
道路沿いに建つやや危険をはらんだ位置、しかしこのお寺は交通安全祈願の功徳
大、安心して渡りましょう。


手水舎。


鐘楼。


本堂。本尊不動明王、衿羯羅童子、制叱迦童子は毎月8日、18日、28日開帳。


観音堂。江戸慶長期の建立。本尊聖観音菩薩。


法楽殿。交通安全祈願殿としてこの日も大勢の方々が訪れていました。


多宝塔参道。


鎮守社。多宝塔参道の途中に鎮まっています。


多宝塔。昭和59年、弘法大師御遠忌記念として建立。向山から遠望の多宝塔。


道路を挟んでだ向山に建立されている西国三十三所のミニ霊場巡りの惣拝所。


西国三十三所堂。
西国三十三所の石像御本尊をお祀りするお堂で湾曲構造の珍しいお堂。まるで昔
日のシネマスコープのよう。各本尊の前に砂踏みが当地の砂が踏めるようになっ
ています。






三宝荒神堂。三宝荒神尊をお祀りするお堂。


水かけ不動尊をまつる一願不動堂。


本尊不動明王石像。


瀧行場と瀧不動堂。




石標。


向山にある各お堂はすべてが新しく本堂側から見ると緑に染まる山あいに堂宇の
朱色がおもいきり映えています。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿