土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

弘川寺、歌聖西行法師終焉のお寺。

2017年10月02日 | 大阪の古寺巡り





(2017.09.30訪問)


大阪河南町、葛城山西側山麓に在る弘川寺を訪ねました。このお寺、開山役行者、天武天皇勅願寺、行基がこの地で修行、嵯峨天皇
勅願で空海が中興、空寂上人による後鳥羽天皇快気、そして西行法師終焉の地であるという草創以来ビッグネームがズラリ揃ってい
る大阪の古刹。ことに西行さん名残りの西行桜、裏山桜山周辺には千本を越す桜が植樹されているそうですが、今は秋最中、春のお
ぼろはありませんが最後のグリーンシャワーを浴びながら歌聖の名残を偲んでみようとやって参りました。                   




▼駐車場からいきなり境内への石段。        













[ 弘川寺 ]
●山号 龍池山 (りゅうちざん)
●寺号 弘川寺 (ひろかわでら)
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは) 準別格本山
●開創 伝 天智天皇四年 (665年)
●開基 伝 役小角 (えんのおずぬ)
●本尊 薬師如来坐像
▲拝観 境内自由 朱印300円
▲時間 自由
▲大阪府南河内郡河南町弘川43 Tel.0721-93-2814
▲近鉄長野線「富田林駅」から金剛バス河内行終点下車
 南阪奈道路「羽曳野IC」から約30分





▼整然とした境内、石段を上りきると一直線上に本堂が見えます。







弘川寺縁起 (弘川寺パンフより抄出)
名峰葛城山の麓に、天智天皇四年役の行者小角により開創されました。白鳳五年天武天皇請雨祈願の勅願寺となる。その後行基が当
寺で修行、弘仁三年に空海が嵯峨天皇勅願で中興、密教の霊場と定められました。文治四年後鳥羽天皇病気快癒のため時の座主空寂
上人が尊勝仏頂法を修し病快癒、その功により寺号の勅額を賜りました。





▼鐘楼。







▼護摩堂。本尊不動明王。桁裄三間、梁間四間、寄せ棟造、本瓦葺。







▼護摩堂内須弥壇中央に本尊、左脇段に大黒天を祀っています。







            ▼本尊不動明王坐像。近代仏師の作でしょう、彩色鮮やか新しいお不動さんです。







▼地蔵堂。御影堂横にこぢんまりと建っています。方一間、宝形造、桟瓦葺、桁一間に一間向拝付。







▼境内片隅に置かれた不思議な石造物。
 手水鉢ではなさそうだし、片方が割られて堰を敢えて切ったような、水になにか関係がありそうな石造物だと思います。







▼御影堂。中興の祖弘法大師を祀りますが内部を見ることは出来ません。
 桁裄三間、梁間四間、寄せ棟造、本瓦葺、一間向拝付き。







▼御影堂前に空海さん縁の三鈷松。確かに一房(?)に三本の葉が付いてます。







▼石垣の上の弘川寺鎮守社。八所権現を祀り、このお寺で最古の建物だそうです。







▼さて本堂です。この建造美、これを称して息をのむ美しさと云う! ホンマ素晴らしい本堂です。
 1463年守護畠山兄弟の兵火により全山焼失。以来500年ぶりに再建されたそうです。
 桁裄三間、梁間四間、入母屋造、銅板葺、唐破風一間向拝付。







▼正面一間は唐桟戸、左右は蔀戸付の障子戸。正面障子戸から入堂します。







▼本堂内陣の荘厳と須弥壇中央の本尊薬師如来坐像。







▼本尊薬師如来坐像。天武天皇勅願の本尊と伝わるそうです。
 印相がやや珍しい形をとっています。通常は施無畏与願印といって、右手は施無畏印、左手は与願印で左手のひらを上に向け、薬
 壷を乗せているのですが、この薬師如来は、両手の手のひらを上にして膝上で上下に重ね合わせた定印を結び手の平上に薬壷を乗
 せています。釈迦如来に多い印相らしいですネ。













▼本堂斜景もホンマ素晴らしい。







さて西行さんのお墓がある裏山の桜山へ上ってみましょう。

▼本堂右の参道を行きます、苦手な石段が続いています。







▼まもなく西行堂に到着。西行さん坐像を祀っていますが、内部を見ることは出来ません。
 このお堂は西行さんを師と尊び西行顕彰に生涯をかけた江戸期の歌僧似雲法師が建立。この方はこの地にある西行墳を発見された
 方でもあります。毎年4月の第一日曜日のみ開帳されるそうです。







▼西行堂扁額。小さなお堂のわりには大きな扁額ですネ。







▼いざ桜山に! 綺麗な石畳石段が続きます。







▼参道途中から境内の眺め、本堂が見えます。







▼西行墓。
しばらく参道を上りますと突如広い平坦地に出ます。西端に西行さんの墳墓がこんもりした小山を造っており前に自然石二段の墓石
に「西行上人之墓」と刻されています。経10m位の円墳のような感じ、周囲を巡ることが出来ます。
1189年当時の座主空寂上人を慕い西行さんが入山、僅か一年の寄寓で翌1190年七十三歳でこのお寺にて入寂されたと伝わります。







            ▼簡単な墓石の西行墓。







▼西行さんの歌碑。かの有名な歌が刻まれています。この弘川寺には歌碑、句碑が14基建てられ、西行歌碑はそのうち6基あるそう
 です。







 

 (桜のイラストはネットからもらってきました)





▼西行顕彰に生涯をかけた江戸期の歌僧似雲法師の墓。
 西行墓の対面東端にあり、墓石に「似雲法師之墓」と刻されています。この方は西行終焉の地を探しつくし、藤原俊成歌集所載に
 より弘川寺であることを教えられ江戸享保十七年二月十六日、奇しくも西行入寂の日にこの墳を発見、出来過ぎの感はありますが、
 そう伝えられています。







境内からチョット下の本坊を訪ねます。

▼本坊山門。







▼本坊前庭。           













▼アラ、こんな張り紙が。
 本坊庭園とお部屋、西行記念館の拝観期待して来たんですが、どうしてくれます?







            ▼門前植栽の前に咲き残りが二輪。







▼ご朱印です。







弘川寺は葛城山西麓にあるお寺なんですが、山岳寺院や修行寺院の荒々しい印象はありません。放浪の歌人西行さん終焉の地といい、
そこにはそこはかとなく漂う柔らかな空気、平安期最後の歌聖西行さんの印象が強く残るお寺でした。

弘川寺 オ シ マ イ





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