土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

永慶寺は郡山城跡の隣です。

2014年05月22日 | 奈良の古寺巡り


(2014.05.17訪問)

慈光院のあと訪ねた永慶寺も禅院、黄檗宗黄檗山萬福寺の末です。
参道に沿って歩くと一風変わった新しい朱色ギンギンの竜宮城のような門があり、まさにナニコレ。
中国明代の寺院をイメージしたものなのか、なんなのかサッパリ不明。その先の山門は名君豊臣秀長さん時
代の郡山城門を移築したものだそうで普通の門でホッ! このお寺は江戸期、側用人から大名に破格の出世を
絵に描いたような柳沢吉保さん、その息旧郡山藩主吉里さんを初めとする柳沢家の菩提寺なんです。


▼大雄宝殿 (本堂)。





[ 永慶寺 ]
●山号 龍華山 (りゅうげざん)
●寺号 永慶寺 (えいけいじ)
●開基 柳沢吉保 (やなぎさわよしやす)
●開山 悦峰道章禅師 (えっぽうどうしょう) 黄檗山萬福寺第八代管長 明僧
●開創 宝永七年 (1711年) 享保九年 (1724年) 現在地に移転
●宗派 黄檗宗
●本尊 釈迦釈迦牟尼仏坐像 脇侍 阿難尊者立像 伽葉尊者立像  
▲奈良県大和郡山市永慶寺町5-76 TEL.0743-52-2909
▲拝観料 境内自由 御朱印300円
▲近鉄橿原線「近鉄郡山駅」下車 徒歩10分


永慶寺縁起 (永慶寺パンフから抄出)
宝永七年 (1711年) 甲府初代藩主柳沢吉保が、甲斐国躑躅ヶ崎に菩提寺として創建。
享保九年 (1724年) 二代藩主柳沢吉里が大和郡山に国替えとなり、永慶寺も菩提寺として現在地に移った。


▼参道。手前弁天門、奥が山門。





▼山門。
 豊臣秀長時代の郡山城南御門を江戸末永慶寺山門として移築、大和郡山市に残る唯一の建造物だそうです。





         ▼山門前の寺標。





▼境内への石段。





▼石段右手鐘楼です。





▼石段を上ると境内が広がっています。





▼大雄宝殿、本堂です。





▼山号が記された扁額。





▼庭園入り口に建つ地蔵堂。





▼柳沢家仏間、香厳殿。





▼小さいながらも手入れの行き届いた庭園。





▼竜宮への入口ではない、これが噂の弁天門。





▼弁天堂。弁天門から入ると弁天堂は後ろを向いてます。





▼永慶寺会館。





▼傘壽ご住職の筆による御朱印です。





「あんたどこから来たん」「大阪です、今、慈光院から歩いて来ました」
「えっ、慈光院から(一呼吸)若いもんはエエなぁ歩けるから」「ご住職も歩いてはりますやん」
から始まって小一時間、齢八十翁の味あるお話たっぷり。仏教のお話は勿論、チョット自慢話、奈良の黄檗、
青年団、大峰のぞき、白隠和尚、白内障、草むしり、20000坪と一見バラバラのようですが話はちゃんと繋
がっていました。

いい時間をいただきありがとうございました。  合掌

シマッタ! 竜宮城の件、聞くの忘れた。




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