土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

實相院門跡の床みどりもいいんですが、革新的石庭も一興です。

2013年07月22日 | 京都の古寺巡り


(2013.07.20訪問)

今の時季、黒光りする床板にお庭の樹々が映り込む「床みどり」で著名な岩倉の實相院を訪ねました。
叡山電鉄鞍馬線岩倉駅から歩きます。岩倉の地はまったく初めて。高野川の支流と思しき小川沿いに行き
ます。きれいな清流で、夜ともなれば蛍の光なんぞが飛び交うような雰囲気。しかし暑いですなァ。

▼客殿前に新石庭「こころのお庭」初めてご覧の方も多いのでは。今年二月から造作開始されたそうです。




[ 實相院 ]
●寺号 實相院門跡(じっそういんもんぜき)
●宗派 単立寺院
●創建 寛喜元年 (1229年)
●開基 静基権僧正(じょうき)
●本尊 不動明王立像
▲京都市左京区岩倉上蔵町121 電話 075-781-5464
▲http://http://www.jissoin.com/ 
▲拝観料 500円 御朱印 300円
▲比叡山電鉄鞍馬線 岩倉下車徒歩約20分。
 京都バス21、23、24系で岩倉實相院行き終点。

實相院縁起 (實相院HPから抄出)
實相院は元天台宗の寺門派の単立寺院で、岩倉門跡とか、岩倉御殿とも呼ばれています。 門跡寺院とはその
寺院の住職を天皇家の血を引く方々が務められていた、格式の高い寺院のことで、代々皇室から大きな支援
を受けて栄えていました。とくに室町時代から江戸時代にかけては、天台宗寺門派では数少ない門跡寺院の
随一とされていました。門跡寺院となったのは、静基僧正が開山された寛喜元年のことで、当時北区の紫野
にありました。七百七十年以上前のことです。その後、京都御所の近くに移り、ここ岩倉に移ったのは応仁
の乱の戦火を逃れるためであったと言われています。その後、義周法親王が門跡となられたとき、京都御所
から大宮御所「承秋門院の旧宮殿」の一部が下賜されました。それらが、正面の四脚門、玄関横の御車寄、
中の建物客殿です。とても大掛かりな工事をして移築したことがうかがえます。


▼叡電岩倉駅からこのきれいな小川沿いに北へ行きます。心はすでに洗われていますが体は汗まみれ。




▼岩倉駅から約20分、やっと参道です。




▼山門です。大宮御所承秋門院の旧宮殿の一部が下賜され、この門もその一つです。その高貴さは塀の五本
線が表しています。




▼門跡木札。




▼良くわかりませんが玄関です。




▼玄関切妻と破風。




▼客殿から池泉庭園。奥は書院。




▼池泉庭園の半夏生、いよいよオシマイですね。




▼滝ノ間のかの有名な床緑。今の時季、まさにこのまんま。



撮影は禁止されていますので、實相院HPからお借りしました。なぜ撮影がダメなのか良くわからない。


▼滝の間の隣のお部屋の襖絵。狩野派画家の作らしいです。




▼池泉庭園。




▼池泉庭園。樹叢鬱蒼でナニが何やらよく判りません。




▼客殿縁のそばに石のウサギとカエル。




▼方形と円形の蹲。これも何か意味があるらしい。




▼池泉庭園。念のため、お庭にも下りることは出来ません。




▼何だと思います? (答) 厠なんですが、どんな用の足し方をしたんでしょうね。

 


▼比叡の山並みを借景とした新装の石庭。旧石庭を一新。今年の5月から一般の方を巻き込んだ新庭の造作
にかかり、今も造庭中。数々の国名勝庭園を作庭した小川治兵衛直系に当たる作庭家が全面協力。参拝者に
コケや花を植えてもらい、「こころのお庭」と名付けて改修することに。
海に見立てた石庭に、三つ大きな半円形の波を配し、日本列島を苔で表しているという。




▼波の前面の茶色はなんでしょう。(答) 波が崩れないように桧皮を貼っています。




▼桧皮が良くわかりますね。




▼玄関脇に蓮鉢が並んでいます。ボツボツ咲き出しています。




▼蓮花を撮っていると、後ろでポンッ!蕾が割れて開く音です。花は白ですが、真っ赤なウソですよ。



しかし蓮が開くとき音がするということはよく聞くんですが…。


▼御朱印です。サンスクリットの不動明王を表しているそうです。




▼フロクです。今日の出町出会い、午後2時30分ごろ。




みなさま、熱中症予防してますか、ご用心の上にもご用心を!


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