土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

満願寺、清和源氏の拠り所として発展したそうです。

2017年05月01日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.04.29訪問)


大和路弐号が23日大安の日に納車されました。排気量も図体も大きくなったので、もう高速も怖くありません。チンタラ走らなく
て良さそうです。今日はその大和路弐号初のお寺巡りになります。しかし問題があるんです、細く曲がりくねった未舗装の山道は先
ず無理、迷車大和路号ならスイスイでしたけどネ。
と云うことで、今日はその心配のない兵庫県の川西市と伊丹市の古刹を訪ねます。先ずは川西の満願寺、名前がイイじゃないですか、
満貫じゃなかった満願ですよ、幸いお願いごとが沢山あるのでまとめて面倒見てもらいましょうか。




▼参道石段。なにか意味有りげな33段。






            [ 満願寺 ]
            ●山号 神秀山 (しんしゅうざん)
            ●寺号 満願寺 (まんがんじ)
            ●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
            ●勅願 伝 聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 伝 勝道上人 (しょうどうしょうにん)
            ●創建 神亀年間 (724~728年) 
            ●本尊 千手観音菩薩立像 
            ▲兵庫県川西市満願寺町7-1 Tel. 072-759-2452
            ▲拝観料 入山100円 金堂300円 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~16:30
            ▲http://www.manganzi.jp
            ▲阪急電車宝塚線「雲雀丘花屋敷駅」から阪急バス「愛宕原ゴルフ場」ゆきで「満願寺」下車徒歩2分




            ▼石段脇に建つ寺号石柱。






満願寺縁起 (満願寺HPより抄出)
伽藍開基記によると神亀年間(724~728年)聖武天皇の命により諸国に満願寺を建立した勝道上人が、摂津国の満願寺として千手観
音を本尊に開基したと伝えられています。さらに安和元年(968年)摂津の国多田に本拠に構えたという清和源氏の祖といわれる満仲
が、この寺に深く帰依したといわれ、歴代源氏一族の祈願所として発展した。のち足利幕府の保護により栄えましたが、室町時代末
期に戦火で焼失。寄付によって再建され、現在の伽藍は承応二年(1653年)建立と伝えられている金堂や、寛文八年(1668年)建立され
た観音堂など近世の建造物が現存しています。一時は四十九院を数える多くの院坊が存在しましたが、明治初年には円覚院のみとな
り、明治三十一年より円覚院を本坊として現在にいたっています。




▼三十三段登りきると目前に……、







▼ご覧の通りユニークな仁王門。これも三間一戸と呼ぶんでしょうか。
 明治十四年(1881年)建立。一見中国風に見えるも明治初期の洋風を取り入れた建築様式だそうです。






            ▼右に阿形金剛力士。像高340cm、鎌倉時代末期。






            ▼左に吽形金剛力士。像高342cm、鎌倉時代末期。
             動きの軽快な仁王さんですが、余りにもガードが固すぎてこういう撮り方しか
             出来ません。






▼中央戸口から一直線の参道。







▼石畳のきれいな参道です。







▼参道石段の先、チラッ見えるのは金堂です。







▼鐘楼です。

         





▼地蔵堂。






            ▼半跏の珍しい形のお地蔵さんが一人お坐りです。光背がズレているのはご愛嬌!






            ▼岩組の中、お不動さんが二童子を従えてキリリと前方を見据えています。






▼観音堂。方三間、寄せ棟造、本瓦葺。寛文八年(1668年)建立。






            ▼観音堂本尊 千手千眼観音菩薩立像、像高215.6cm、一木造、平安後期。
             本尊は秘仏、春彼岸中日前後三日間特別開帳されます。
             千手千眼観音菩薩は満願寺の本尊です。
             (本尊写真は満願寺HPより借用)






▼境内から。







▼金堂が姿を現しました。






            ▼金堂エリア前に宝篋印塔。隅飾りが外に大きく開き、どこか飛んでるような
             動きを感じる塔です。






▼金堂。桁裄四間、梁間五間、一重入母屋造、本瓦葺、二間向拝付。承応二年(1653年)建立。







▼金堂扁額。







▼内陣。畳中央に床板敷六本柱造。







▼奥内陣須弥壇に宮殿(お厨子)が置かれ前に本尊が安置されています。






            ▼本尊阿弥陀如来坐像。






            ▼こんなお顔です。半眼の目は優しく、いくらか笑みを含んでいるようですネ。
             金泥はよく残っています。






▼天井からの荘厳が豪華、垂れる瓔珞の夥しい数に圧倒されます。奥に見えるのが宮殿。







▼金堂。







▼金堂隣に毘沙門堂。方三間、宝形造、本瓦葺。前面三間は蔀戸。







▼毘沙門堂扁額。書家川村驥山(かわむらきざん)(1882~1969年)揮毫。






            ▼毘沙門堂本尊 毘沙門天立像。像高91.9cm、木造。
             源満仲によって刻まれたと伝えられているそうです。平安後期。
             (毘沙門天写真は満願寺HPより借用)






▼毘沙門堂。







▼石像。







▼八幡宮。満願寺鎮守社と思われます。左にお稲荷さんも祀られているんですが。







▼坂田金時の墓。足柄山の金太郎さんその人。源頼光四天王の一人で大江山の酒呑童子を退治したのが有名ですネ。







▼真言宗定番、弘法大師修行像。







▼三廟の五輪塔。
 三廟とは源満仲の末子の美女丸、藤原仲光、その子幸寿丸の墓です。仲光は素行の悪かった美女丸の殺害を満仲に命じられ、
 身代わりに幸寿丸の首を差し出したそうです。後に美女丸は源賢阿闍梨という高僧になったそうです。室町時代の造立。









(この写真は満願寺HPより借用)





▼源氏七塔。源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔。(写真は満願寺HPより借用)







▼晴雲殿。古色の境内で異色の建物、納骨堂です。







▼参道石段を少し下ると本坊です。







▼本坊山門。赤漆喰の袖塀が何やら奥ゆかしく感じます。







▼本坊。先週以来やけに蘇鉄が目につきます。






            ▼その蘇鉄です。






▼本坊庭園の入り口。残念ながら〆切。







▼外から覗いた庭園二景。













▼ご朱印です。






兵庫の西端、阪神間に位置する川西市や伊丹市、猪名川町には名刹が結構多いと聞きましたので、今日はとりあえず大和路弐号の
走りぞめとして、我が家から1時間圏内の川西市の満願寺を訪ねた訳でございます。清和源氏の多田一族が祈願所としたと云う満
願寺は初期源氏の匂いが色濃く残る雰囲気のお寺でした。





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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (きょろ)
2017-05-01 21:33:08
こんにちは
仁王さまが迫力ありますね。
ご朱印集めたいです。
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Unknown (hidepon)
2017-05-01 22:13:18
きょろさん、こんばんは。
本来仁王さんは、外敵を防ぐ使命を持ちながら、
最近のお寺は仁王さんを牢屋にネットガードして、仁王さんを護ってるみたい。
がんじがらめですワ。モットフリーにして欲しいものです。

ご朱印集め流行ってるそうですネ。
変な集め方もあるらしいのですが、必ず現地を訪ねてもらって下さいネ。
外出時はご朱印帖携帯しましょう。

コメントありがとうございます。
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