土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

本圀寺は国祷護国の大道場、日蓮宗総本寺です。別名金ピカ寺。

2012年04月11日 | 京都の古寺巡り


(2012.04.07訪問)

地下鉄東西線御陵駅から北に天智陵を巻くように住宅街の坂道を登って行くと琵琶湖疎水の遊歩道にでます。
細い道は入り組んでますが案内標識がしっかり導いてくれます。疎水沿いに山科方面へすぐに参道口があり
ます。
境内を回るにつれてお天気がハッキリしません。せっかく金ぴかパワーのシャワーを浴びようと勇んで訪ね
たのですが、ほとんどがただの黄色、残念でした。いかに太陽光が偉大であるか、改めて感じた次第でござ
います。

[ 本圀寺 ]
●山号 大光山(たいこうさん)
●寺号 本圀寺(ほんこくじ)
●宗派 日蓮宗大本山
●開山 日蓮上人
●創建 建長5年(1253年)
●本尊 七字名号十界曼荼羅

本圀寺縁起 (本圀寺HPから抄出)
本圀寺は大光山と号する日蓮宗の大本山で、750年前の建長5年(1253年)8月、高祖日蓮大聖人が鎌倉松葉
ヶ谷に御小庵を構え、法華堂と号したことから始まる。伊豆法難後の弘長3年(1263年)5月、大光山本国土
妙寺として創設された宗門史上最初の祖跡寺院である。御法難、遠流によって御出入りはあられたものの、
22年にわたる立正安国論の国諫運動を展開された、日蓮大聖人の御生涯の中心となるもっとも大切な布教の
根本道場である。日蓮大聖人の身延入山および御入滅後は日朗聖人、日印聖人、日静聖人が護山継承され、
ときの政治の中心鎌倉にて幕府の強圧と闘いながら、正法宣布の使命遂行に当たられた。北条幕府が滅び、
政治が鎌倉から京都に移った貞和元年(1345年)3月、日静聖人の時代、この霊跡大光山は光厳天皇の勅諚に
よって京都六条に東西二町、南北六町にわたる広大な永代寺領を賜り、鎌倉松葉ヶ谷から京都へ立正安国、
国祷護国の大道場本圀寺として移遷されるに至った。
時を経て本寺末寺の解体、敗戦による農地改革、寺所の散失などの時運に抗し難く、護山の不詳も相まって
山門の衰勢その極みに達する。昭和46年(1971年)宗命を受けて第63世伊藤日瑞上人が現在の京都山科区御
陵に移転、伽藍を再建して中興の任を果たした。

▼琵琶湖疎水に架かる赤い橋。
地下鉄東西線御陵駅から15分ほどで琵琶湖疎水の遊歩道に着きます。すぐに朱の橋が目に入ります。




▼正嫡橋。この橋が本圀寺の参道口です。欄干擬宝珠を見てください、キンピカ第一号。




▼綺麗に舗装された参道。




▼クッキリ南無妙法蓮華経の七字名号寺標。日蓮さんの自署と花押が刻されています。




▼開運門。通称赤門と呼ばれている山門です。文禄元年(1592年)加藤清正が寄進。




▼これまたクッキリ、山号を揮毫した赤門扁額。仏カラーふんだんこれでもか、です。




▼仁王門。
桁行3間梁行2間、12脚、瓦葺。平成15年(2003年)5月23日落慶。




▼ピカピカの仁王門扁額。正嫡付法とあります。



金色由来
当仁王門こそ、当本圀寺の山号の由来するところの「大光普照」にちなみ、御尊体を始めとし当然屋上の鯱
鉾に至るまでことごとく黄金色を用い、この御威光を千里の彼方まで普く照らすべく念じた所作也。
正嫡付法大本山本圀寺第六十八世伝灯 稽首和南

ということで金色の鯱や龍、仁王像に大梵鐘、その他金色ずくめの装飾を施した寺院となった由です。

▼屋根には鯱。キンピカ鯱も陽光がないとただの黄色。




▼もうちっと仁王門に近づいてみましょう。どうです両袖の仁王さんの輝き具合。
両袖に黄金仁王さん、屋根にはシャチが燦然と。長押の彫刻、柱の年輪木紋が美しいです。




阿吽両像は、運慶28代仏師常慶の造像。仏師常慶さんご存知の方教えてください。
まさにキンピカはこの両像だけでした。

▼金剛力士阿形像。




▼金剛力士吽形像。




▼本堂。本尊 七字名号十界曼荼羅寳号、釈迦如来坐像、多寳如来坐像。
桁行5間、梁行5間、入母屋造、瓦葺。鉄筋コンクリート造、正面3間の向背付。昭和46年(1971年)建立。




▼日蓮大聖人像。清澄山頂の旭が森に、日輪に向かって玄題口唱する、立教開宗の日蓮大聖人の御影。




▼こちらは本堂前に立つ祖師日蓮さん。




▼どうですこの日蓮さんのお顔。




▼日蓮像の台座にはめ込まれた知法恩國の書。東郷平八郎元帥揮毫。




▼本堂前に立つ燈籠。中の灯明も黄金の炎が揺らめくそうです。ウソですよ。




▼本師堂。宗祖日蓮さんの念持仏釈迦如来像を祀るお堂。
桁行5間、入母屋造、瓦葺。正面3間の向背付。




▼本師堂前に立つ石柱。勅 閻浮第一立像釈迦牟尼世尊と刻されています。




▼鐘楼。古色の鐘楼に黄金の梵鐘。




▼大梵鐘。文禄2年(1593年)太閤さんの姉君の寄進。
撞くたびに金粉が飛び散りキ~ンキ~ンと響くそうです。ウソですよ。




▼書院。




▼九頭竜銭洗い弁財天。財運祈願のご利益新たかな神さま。




▼龍神。願いが叶うと金の水を吐くそうです。ウソですよ。




▼本堂と本師堂を結ぶ渡り廊下。




▼本堂後ろの小高い丘に、清正宮鳥居と清正公廟。




▼加藤清正公廟。
本圀寺は加藤清正の帰依熱く、両親の遺骨とともに清正自身の歯や毛髪を石室に納めた生前墓。




▼一切経蔵(国宝)。輪蔵の中に一切経が納められており題目を唱えながら輪蔵を一回転させると一切経を悉
く唱えたのと同じ功徳があると云われています。と説明板に書かれていながら入ること出来ません。




▼寺務所と庫裏。




▼鈍い金色にサヨウナラです。赤門からもと来た道へ。




▼琵琶湖疎水の遊歩散策路は、山科から南禅寺まで続いています。花の色はありません、散策の人たちもポ
ツリポツリでした。南禅寺までウォーキングと思いましたが、思いとどまりました。




フ ロ ク
帰りは東山から白川沿いに四条まで歩きました。カラオケBGの定番、祇園巽橋の写真です。



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