土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

津観音寺、「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」はこのお寺が唱い始め。

2019年03月14日 | 三重の古寺巡り





(2019.03.09訪問)


専修寺から南へスグ、日本三観音の一つ津観音寺を訪ねます。日本三観音の一つと云われるだけに、門前から参道まで色々な出店と
参拝者でイッパイ、大変賑やかなお寺です。ご近所さんが二、三人連れで三々五々境内を散歩なんて方も見受けられ、かなり親しま
れているお寺みたい。境内は決して広くはないですが観音さんのご利益は抜群なんでしょうネ。




▼仁王門。寛永6年(1629年)創建。 







[ 津観音寺 ]
●山号 恵日山 (えにちざん) 
●寺号 恵日山津観音寺(つかんのんじ)通称津観音
●宗派 真言宗醍醐派 (しんごんしゅうだいごは)
●開創 和銅2年 (709年)
●本尊 聖観音菩薩 (せいかんのん)
▲三重県津市大門32-19 TEL 059-225-4013
▲拝観 境内自由
▲http://www.tsukannon.com/
▲紀勢本線「津駅」東口から「三重会館方面行」の三重交通バス約7分「京口立町」「三重会館前」から徒歩5分





▼金剛力士阿形像。







津観音縁起 (津観音HPから抄出)
恵日山観音寺は「津観音」の名称で日本三観音の一つに数えられる真言宗の古刹です。室町時代の永享2年(1430年)将軍足利義教が
勅命で三重塔、恵音院を建立。延徳2年(1490年)天台真盛宗の開祖真盛上人が山内観音堂で説法され天台真盛宗を広めました。本坊
である大宝院は後花園帝以来、歴代天皇の綸旨を賜る別格寺院です。桃山、江戸時代には豊臣家や徳川家から寺領を賜り、藩主藤堂
家からは祈願寺として特別な庇護を受けました。昭和20年の戦火で多数の寺宝や41棟の大伽藍を一夜にして全焼。幸い難を免れた
寺宝約600点を収蔵庫に保管し津観音資料館で年4回程度公開をしています。





▼金剛力士吽形像。







▼活況の参道。







▼鐘楼堂。 昭和59年(1984年)再建。







▼参拝者を優しく見守ってくれているようです。







▼参道左に護摩堂。桁行3間、梁間3間、寄棟造、本瓦葺、平成6年(1994年)再建。







▼護摩堂扁額。







▼内陣須弥壇にはお大師さんがお坐りです。







▼頭脳明晰が衣を着ているような。







            ▼境内は小さいけれど堂々勇姿の五重塔。平成13年(2001年)再建。







            ▼五重塔相輪です。







▼観音堂。観音寺の本堂。桁行5間、梁間5間、寄棟造、本瓦葺、1間向拝付。昭和43年(1968年)再建。













▼観音堂前面。外陣と内陣は格子で仕切られています。







▼須弥壇中央にお厨子には本尊聖観音菩薩が、お厨子前にはお前立ち像がお立ちです。







            ▼お前立ちの観音菩薩立像。







            ▼一光三尊の阿弥陀仏、証拠の弥陀と呼ばれているそうです。



            (この写真はネットからもらってきました)





▼右脇壇の阿弥陀如来坐像。







            ▼手印が定印ではない阿弥陀さん、珍しくはないですか。







▼左脇壇はお厨子のみ。







▼天井には笛や琵琶を持った天女が舞っています。













▼ご朱印です。






お寺は大小ではなく、どれだけ民衆の心を掴むかが問われると云いますが、訪ねてみてそれが実感出来る観音寺でした。
全国的にその名が知れ渡り、多くの参拝者が訪れ「伊勢は津でもつ、津は伊勢でもつ」と唄われたのはこのお寺の功績
だと聞きました。
伊勢のお寺シリーズこれにてオシマイ

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2 コメント

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津観音 (メグ)
2019-03-14 19:40:27
こんばんは。
「伊勢は津でもつ。津は伊勢でもつ」と唄われた津観音、とても活気を感じられますね。
人々から好かれているお寺さんのようですね。
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Unknown (hidepon)
2019-03-15 17:06:07
メグさん、こんにちは。
ボクは津のお寺初めてなんですが、何とマァ大人気です。
たくさんの参詣者でビックリしました。
観音さん人気は底知れませんネ。
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