土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

来迎院、泉涌寺塔頭の一つ、大石内蔵助がここで仇討ち密議をしたそうです。

2014年01月29日 | 京都の古寺巡り


(2014.01.25訪問)


つづいて泉涌寺山内高所の雲龍院から低所の来迎院を訪ねます。人間第一印象は最後まで引きずるもので、
同じ山内塔頭ながら雲龍院と来迎院、ずいぶんと印象が違います。ここ来迎院は境内全体が独特の雰囲気の
お寺です。


▼荒神堂。




[ 来迎院 ]
●山号 明応山(みょうおうざん)
●寺号 来迎院(らいごういん)泉涌寺塔頭
●開基 伝弘法大師 大同元年(806年)
●開基 藤原信房 (ふじわらのぶふさ)
●開山 月翁智鏡律師 (がっとうちきょうりっし)
●創建 健保六年(1218年)
●宗派 真言宗泉涌寺派
●本尊 阿弥陀如来
▲京都市東山区泉涌寺山内町33 TEL.075-561-8813
▲拝観料 一般300円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲JR京都駅、京阪七条駅市バス208号系統で「泉涌寺道」下車徒歩10分
 京阪四条駅から市バス207号系統で「泉涌寺道」下車徒歩10分
 JR奈良線東福寺駅、京阪東福寺駅から徒歩15分

来迎院縁起(来迎院パンフレットから抄出)
大同元年(806年)弘法大師空海が唐で感得した荒神像をこの地に奉安。その後月翁智鏡律師が藤原信房公
の帰依を受け健保六年(1218年)堂宇を開創、泉涌寺の子院とした。応仁の乱で当院も泉涌寺と共に全山灰
燼、その後織田信長が寺領を寄せ、前田利家が伽藍再興、豊臣秀吉も寺領を寄せ、朝廷からは安産の勅願所
として信仰厚く禁裏御菩提所泉涌寺の別当として栄えた。


▼御寺大門の手前に今熊野観音寺の下り参道があります。少し下ると、来迎院の道しるべ石標が建ちます。




▼すぐ山門に到着。いきなりくら~い雰囲気をかもしてます。




▼門前にはゆな荒神社の石柱も。




▼来迎院は布袋さんを奉安する京都七福神第四番札所です。



正確には泉涌寺七福神第四番札所です。京都にはなんとか七福神が結構ありますヨ。


▼参道を真っ直ぐ正面の石段の上、荒神堂が見えます。




▼荒神堂。高所にポツンと建てられています。日本最古の三宝荒神坐像(重文)が祀られています。安産の
守護神として信仰され、来迎院は、ゆな (胞衣母体内の胎児を包む) 荒神社とも称されているそうです。




▼荒神堂の扁額。金剛峰寺高僧の揮毫です。




▼荒神堂の横に石鳥居のテッペン風台、石の宝船にも見える台に、小さな布袋さんの置き場? 捨て場?

 

とにかくゴチャゴチャに置いてあり、信者のご利益の後なんでしょうか? 荒神堂に布袋さんが奉安されてる
そうです。


▼こんな布袋さんがイッパイ。伏見人形らしいですね。




▼本堂。堂内は非公開です。




▼庫裡です。右手が名庭含翠庭への入口です。




▼含翠庭。池泉回遊式庭園でお庭は小さいですが、今は熊笹がわがもの顔。早い話が熊笹に覆われています。




▼小さな五輪塔がひっそり。




▼熊笹の向こうに。




▼八面仏石幢。燈籠のようですが火袋の部分に八体の仏が浮き彫りされています。




▼心字池。




▼心字池に架かる石橋。




▼茶室含翠軒。大石内蔵助が建てたと伝わり、山科に隠棲していた大石内蔵助はここ来迎院で仇討ちの密議
をしたと伝わるそうです。




▼含翠軒内部。




▼含翠軒前に苔に覆われた蹲。水は落ちてませんでした。




▼客殿。お抹茶をいただくことが出来るそうですが、遠慮しました。




▼熊笹と苔。




▼御朱印です。




華やかな雲龍院の後、ここ来迎院は、ほとんど訪ねる人もないようで、お嬢さんお一人と会っただけでした。
錦秋は境内一帯が紅く染まり人で溢れるそうですが、お庭の今は熊笹が溢れてます。時節柄冬景色だし、人が
いないと云うことはともかく、境内は少しばかり淋し~い、侘し~い印象がします。
少々気分がくら~くなってきたので本日はこれにてオシマイ!



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