土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

千本釈迦堂にはベッピンさんが大勢いやはります。

2014年01月24日 | 京都の古寺巡り


(2014.01.18訪問)

「しゃかどうはんには、おかめはんがおおぜいいやはるんどす、そやさかい、だいとくじはんからかえりし
な、さむうてこごえもって、おかめはんにあいにいったんどすえ」
てな書き方をすると舌がもつれるので止めます。

大報恩寺通称千本釈迦堂は、大根炊きやお亀桜で有名なお寺ですね。大根炊きは済み、桜はまだ先、はっき
り云って今は何もありません。そうそうもう一つ有名なお話、本堂建築の棟梁のおかみさん、おかめさんに
まつわる天晴伝説が今も語り継がれ、本堂にはそのおかめさんのお面や人形がワンサカ展示されています。
これを見るだけでもお値打ちありドスエ。


▼これ以上崩しようがないのは究極のベッピン! と誰か云いませんでした?
大勢のうちのおかめさんのお一人です。




[ 大報恩寺 ]
●山号 瑞応山(ずいおうざん)
●寺号 大報恩寺 (だいほうおんじ)通称 千本釈迦堂(せんぼんしゃかどう)
●開山 義空上人 (ぎくうしょうにん)
●創建 安貞元年 (1227年)
●宗派 真言宗智山派
●本尊 釈迦如来
▲京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町 TEL.075-461-5973
▲拝観料 一般500円 御朱印300円
▲拝観時間 9:00~17:00
▲JR京都駅から市バス50系統、阪急京都線四条大宮駅から市バス51系統で上七軒下車徒歩約3分。


大報恩寺縁起
鎌倉時代、承久三年(1221年)義空上人が、この地に小堂を建て、釈迦如来像と十大弟子像を安置したこと
に始まり、倶舎、天台、真宗三教の霊場となる。安貞元年 (1227年)、現在の本堂が建立。
室町時代、応仁、文明の乱 (1467~1477年) では、西軍の中心地(西陣)だったため焼失。ただ、本堂だけは
奇跡的に焼失を免れました。


▼細道ですが歴とした名がある通りに突然参道が現れました。(通り名忘れました)




▼山門。切妻造、四脚門、本瓦葺。




▼山門から、本堂へ一直線の参道。人影が見えません。




▼本堂右手前のお亀桜。枝垂桜もウラメシヤ~じゃなかった、うら寂しげじゃ~。



楕円の写真は満開の時です。


▼ふっくらおかめさん。ガリガリを目指してる世のおネーサン、これが美人の条件なんですヨ。




▼おかめさん縁起が詳しく書かれています。




▼本堂(国宝)。桁行五間、梁間六間、入母屋造、檜皮葺、正面一間向拝付。安貞元年(1227年)建立。



正面五間はすべて蔀戸になっているため入堂は左側面から。京都市中を焼け野原にした応仁の乱、十年続い
た戦乱で唯一残ったのがこの本堂です。


▼一面だけ蔀戸が開けられた正面。




▼本堂内陣。




▼本堂須弥壇。中央、方一間を鮮やかな仏画が残る四天柱で囲み内々陣とし、本尊釈迦如来像は秘仏のため
奥のお厨子に。




▼見てください、鉄砲玉と刀傷が生々しく残る柱。応仁の乱の痕跡です。




▼本堂。




▼本堂からの境内、寂しいですね。




▼北野経王堂。このお堂のお話も次の写真見てください。




▼北野経王堂の縁起。




▼法堂裏の千体地蔵。




▼御朱印です。




▼究極のベッピンもう一度登場してもらいます。願わくば前からは、見たくない、ですよネ。




「バックシャンお願いだから振り向くな」のような方も、
「白マスク目だけ見れば皆美人」のような方も、冬場は目立つように思いません?

大変失礼しました。それでは皆さん今夜はうなされないことを祈ります。


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