土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

魚山声明の来迎院は閑かでした。

2012年08月24日 | 京都の古寺巡り


(2012.08.19訪問)

三千院石標を山手に折れると来迎院への参道、参道脇の小さい流れ呂川に沿って少し上ると来迎院の山門が
迎えてくれます。大原の里に今も法灯を守っている多くは、叡山天台系の寺院で、天台声明修行の場として
開かれたと聞きます。往時声明修行の人たちで盛況だった大原には四十九もの僧坊が覇を競い、朗々の声が
里に流れていたと云います。三千院の賑わいは別格として、ここ来迎院は三千院から僅か200~300mしか
離れていませんが全く閑か、訪れる人も無く山寺然とした佇まいに拍子抜けしました。この静寂の中で声明
が流れていたらまた違った感慨に浸たれたかも。

その代わりと云っちゃなんですが、
♫ き ょ う と ~ お~ は ら さ ん ぜ ん い ん こ ~ い に つ か れ た ………♫
を口ずさみながら境内参道を本堂へ向かいました。チョット罰当たりでしょうか?

[ 来迎院 ]
●山号 魚山(ぎょざん)
●寺号 来迎院(らいごういん)
●宗派 天台宗
●開基 慈覚大師円仁(えんにん)
●開創 仁寿年間(851~854年)
●中興 聖応大師良忍(りょうにん)
●本尊 三如来坐像(重文) 薬師如来坐像、釈迦如来坐像、阿弥陀如来坐像。

来迎院縁起 (来迎院パンフレットから抄出)
平安仁寿年間 (851~854年) に円仁さんが天台声明の修練道場として開山。その後、天台僧良忍さんは叡山
経学に飽き足らずここ大原に隠棲、天仁二年 (1109年) 来迎院を再興、数ある天台声明を統一、魚山流声明を
集大成し後の天台声明の礎とした。良忍さんは念仏三昧中阿弥陀如来から融通念仏を感得、大阪平野に大念仏
寺を総本山に融通念仏宗を開宗し、六十歳でここ来迎院で示寂。その後の来迎院は声明名僧や理論家を輩出、
声明本山としてその血脈を守り続けている。

▼山門。




▼本堂への参道。




▼鐘楼。




▼本堂。




▼本堂須弥壇。
本尊 三如来坐像(重文)。
中 薬師如来坐像(重文)、木造寄木造、漆箔。藤原時代。
左 釈迦如来坐像(重文)、木造寄木造、漆箔。藤原時代。
右 阿弥陀如来坐像(重文)、木造寄木造、漆箔。藤原時代。




▼本堂須弥壇。
堂内中央に四本柱で内陣を構成し、上段須弥壇に三尊を、下段に脇侍の不動明王と毘沙門天をお祀りしてい
ます。須弥壇上部天井は繰上げ天井で天と側面に絵が描かれています。非常に印象的な荘厳です。




▼元三大師画像。
天台中興の祖、慈恵大師良源さんの画像です。良源さんはおみくじの創案者とも云われていますよ。




▼本堂外縁。




▼本堂外縁は二重で内側が一段高くなっており、外陣を兼ねているのでしょうか。




▼本堂。




▼良忍上人の廟への石標。




▼良忍上人廟参道。進むにつれてやけにゾクゾクしてきました。




▼来迎院の事実上の開山、聖応大師良忍上人の廟。




▼良忍上人廟三重石塔(重文)。




▼特別フロク
良忍さん開宗の融通念仏宗の総本山、大阪平野大念仏寺山門です。



↓ 三年前の大念仏寺訪問記です。
http://blog.goo.ne.jp/mrslim2/d/20100706

酷暑上天気の大原巡りこれにて、オ シ マ イ


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