土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

京都五山之参位、建仁寺を訪ねました。

2012年08月06日 | 京都の古寺巡り


(2012.08.04訪問)

京都五山を訪ねる第三弾です。
俵屋宗達の国宝風神雷神図屏風(国宝)で著名な京都五山参位の建仁寺を訪ねました。
風神雷神図屏風真筆は京博に寄託中、寺内大書院にはデジタル複製が展示されています。方丈は屋根の葺き
替え工事ため建物すべて覆屋でスッポリの状態ですが、内部は本坊から大小書院、お庭、方丈そして法堂ま
でスムースに拝観が出来ます。

▼建仁寺の案内パンフレットです。表紙絵が風神です。



[ 建仁寺 ]
●山号 東山(とうざん)
●寺号 建仁寺(けんにんじ)
●宗派 臨済宗建仁寺派大本山
●開山 栄西禅師(えいさい) 
●開基 源頼家
●開創 建仁二年(1202年)
●本尊 釈迦如来坐像 脇侍 迦葉尊者 阿難尊者

建仁寺縁起 (建仁寺HPから抄出)
建仁寺は建仁二年鎌倉将軍源頼家が寺域を寄進し栄西禅師を開山として宋国百丈山を模して建立されました。
元号を寺号とし山号を東山と称します。創建時は真言、止観の二院を構え天台、密教、禅の三宗兼学の道場
として当時の情勢に対応していました。その後の火災等で境内は荒廃するも、正嘉元年東福寺開山円爾弁円
が当山に入寺し境内を復興、禅も盛んとなりました。文永二年宋の禅僧、建長寺開山蘭渓道隆が入寺してか
らは禅の作法、規矩が厳格に行われ純粋に禅の道場となりました。室町幕府により中国の制度にならった京
都五山が制定され、その第三位として厚い保護を受け大いに栄えますが、戦乱と幕府の衰退により荒廃しま
す。天正年間に安国寺恵瓊が方丈や仏殿を移築しその復興が始まり、徳川幕府の保護のもと堂塔が再建修築
され制度や学問が整備されます。明治に入り政府の宗教政策等により臨済宗建仁寺派として独立、建仁寺は
その大本山となります。また廃仏毀釈、神仏分離で塔頭の統廃合が行われ、境内が半分近く縮小され現在に
いたります。

▼勅使門(重文)。
切妻造、銅板葺、四脚門。平重盛の六波羅邸の門と云われているそうですが詳細は不詳。




▼寺標。




▼放生池に架かる石橋。




▼三門 (望闕楼)。
重層楼門、三間三戸、十二脚門、入母屋造、本瓦葺、。大正十二年、静岡県浜名郡の安寧寺から移建。
御所を望む楼閣という意味で「望闕楼」と名づけられ、楼上には釈迦如来、迦葉、阿難両尊者と十六羅漢が
祀られています。






▼法堂参道。




▼法堂。単層、桁行五間、梁行四間、入母屋造、本瓦葺、裳階付。明和二年(1765年) 建立。
本尊 釈迦如来坐像 脇侍 迦葉尊者 阿難尊者。




▼法堂天井双龍図。
平成十四年(2002年) 建仁寺創建800年記念で小泉淳作さん画の双龍図が描かれています。




▼双龍図を見上げる拝観者の皆さん。




▼本坊。




▼本坊大玄関。




▼本坊中庭の潮音庭。小書院と大書院の間に設えられた庭園です。小書院から大書院を見ます。
中央に三尊石、右に坐禅石を配した方形の禅庭です。




▼潮音庭の手水鉢。




方丈(重文) は本坊小書院、大書院から廊下続きで室内拝観が出来るようになっています。

▼方丈扁額。




▼方丈、室中の間の仏殿。




▼開山栄西禅師の頂相。




▼方丈、室中の間三方に竹林七賢図 (重文)。海北友松筆。襖絵はデジタル複製、真筆は現在掛け軸になってい
るそうです。




▼方丈、礼の間の雲龍図 (重文)。海北友松筆。襖絵はデジタル複製、この図も真筆は現在掛け軸になっている
そうです。




▼方丈花頭窓から前庭大雄苑の一部が望まれます。




▼方丈の外縁。周囲は足場が組まれています。




▼覆屋にスッポリの方丈。優雅な銅板葺きの屋根や前庭大雄苑は見ることは出来ません。




▼鐘楼。




▼茶碑。開山栄西禅師は茶種を宋から招来、喫茶の風を広めたと伝わります。




▼浴室。




▼境内参道。




▼西門。




▼北門。今日はこの門から入山しました。




▼祇園花見小路の人出です。突き当たりが建仁寺北門になります。




暑さにも熱中症にも負けず、今出川を目指します。そうです京都五山弐位の相国寺に向かいましょう。
それにしても暑いですわ!



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