(2011.11.05訪問)
南明寺からほんの10分足らず、柳生一族の菩提寺、芳徳禅寺を訪ねました。
稀代の剣豪、柳生十兵衛が柳生家二代藩主だったこと知ってました?
お寺の裏山には、柳生一族代々の墓八十基余りが整然と並び、十兵衛をはじめ柳
生三代の墓が目をひきます。
▼柳生石舟斎宗厳塁城址(宗厳の居住地址とされている地)。
[ 芳徳禅寺 ]
●山号 神護山(じんごさん)
●寺号 芳徳禅寺(ほうとくぜんじ) 通称 芳徳寺
●宗派 臨済宗大徳寺派
●開基 柳生但馬守宗矩
●開山 沢庵和尚
●創建 寛永15年(1638年)
●本尊 釈迦如来坐像
芳徳禅寺縁起
柳生但馬守宗矩が父柳生石舟斎宗厳の菩提供養のため寛永15年(1638年)創建。
大徳寺で修行した末子義仙(列堂義仙)が芳徳禅寺第一世となる。
▼参道と山門。
▼石標。
▼山門から本堂。
▼本堂。
▼石塔と染まり初めのもみじ。
▼資料室。受付を兼ね本堂へ入り口。
▼本堂裏手から柳生家墓所への道。
お墓を巡るというのは少々気が引けますが、剣禅一致の宗矩、柳生新影流を継ぐ
十兵衛、又十郎など稀代の剣豪が眠る墓所巡りも一興かと。
残念ながら十兵衛よりも腕が上と云われた柳生兵庫助の墓はありません。
▼入り口石段横の六地蔵。
▼墓所の一角。
▼柳生石舟斎宗厳の墓。写真中央四基の右から二基目。
▼(左)初代柳生宗矩 (右)三代柳生宗冬(又十郎)の墓。
▼二代柳生三厳(十兵衛)の墓。
柳生藩第二代藩主。碧眼の剣豪で藩主としては異説もあり、四十四歳で亡くなり
ますがその死因もいろいろ説あり、碧眼というのも曖昧、今に残る十兵衛画像は
碧眼ではありません。早い話歴史的事実としては確固たるものはないみたいです。
しかし、千葉真一の十兵衛は迫力ありましたネ。
芳徳禅寺は本堂を残すのみの小さなお寺ですが、もともと、柳生家居城が構えら
れていた地らしく、柳生の里が一望できる絶好の丘陵地に在ります。柳生家は春
の坂道や柳生一族の陰謀などTVや映画などで描かれていますが、将軍家剣道指南
役が、大名に取り立てられ、剣で身を立つ例のない藩だと云います。
▼本堂。