goo blog サービス終了のお知らせ 

土曜日は古寺を歩こう。

寺勢華やかな大寺も、健気に法灯を守り続ける山寺もいにしえ人の執念と心の響きが時空を越え伝わる。その鼓動を見つけに…。

蓮花寺、友禅作家が描いた天井画、一見の価値。

2017年08月07日 | 兵庫の古寺巡り






(2017.08.05訪問)


新大和路号は久々に三田にやってまいりました。高速から県道を走り、徐々に山懐に入って行く、夏の日差しと緑の清涼感、新大和
路号は機嫌良〜く走っています。播磨には伝説の人、法道仙人の名がよく出てきます。ここ蓮花寺もご多分にもれず法道仙人の開基
と伝えるお寺で、この方播磨から東方面での開基のお寺は100カ寺を越えるそう。播磨に根をおろした播磨のエース法道さん、さす
があっこっちと飛び回っていたようですが、このお寺、伝承としての法道さんの名は生きているそうですが、その名残を感じること
はありませんでした。





▼仁王門。重層楼門、三間一戸、草葦葺、八脚門。豊臣秀頼寄進。
 重層楼門と云ってはなにか仰々しい重厚な感じの響きですが、この楼門はこの地に相応しい質素でいくらか田舎っぽい感じの建築
 様式。おそらくこの地に一番相応しい様式で建てられたものと思い、境内に入る楽しみが膨らみます。

 

なんで入り口にクルマを置くんでしょうネ、駐車場ではないんです。





            [ 蓮花寺 ]
            ●山号 深谷山 (しんこくざん)
            ●寺号 蓮花寺 (れんげじ)
            ●宗派 真言宗大覚寺派 (しんごんしゅうだいかくじは)
            ●創建 大化年間 (645~650年)
            ●開基 法道仙人 (ほうどうせんにん)
            ●本尊 釈迦如来坐像
            ▲兵庫県三田市下槻瀬678 電話 079-569-0049
            ▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
            ▲時間 8:00~17:00
            ▲http://rengeji.net
            ▲JR神戸「三田駅」下車、小柿・波豆川・龍坊行きバス20分 「木器」下車徒歩5分
             中国自動車道「西宮北IC」からR176を三輪で右折、県道37を北へ約8km





            ▼仁王門前に建つ寺号石碑。







蓮花寺縁起 (蓮花寺HPから抄出)
法道仙人開創の霊地として知られ、孝徳天皇の御代、今からおよそ1300年前に多田源氏の帰依を受けることに隆盛し、歴史的にも重
要な文化財を保有する古刹として今に伝わります。本尊の阿弥陀如来、観音菩薩、地蔵菩薩の三体は県の重要文化財に指定されてお
ります。山門も県の重要文化財に指定されており、豊臣家の寄進によるもので、織豊時代の荒木村重の乱に一度焼失したものを豊臣
秀頼が再建したと伝えられています。山の中腹の樹間には高さ20メートルの多宝塔がそびえ、そのむかし、七堂伽藍を備えた巨刹で
あったことがうかがえます。





▼仁王門。







▼仁王門扁額。じーっと見ると深谷山、山号が書かれています。

      





▼左右奥の間に仁王さんがいます。







▼向って右、阿形仁王さん。像高233cm、寄木造。
 お顔から上半身にかけて、墨かススか油類をかけられています。寺社に悪さをする例のアホの仕業か、非常にお気の毒な酷いこと
 になってます。見るに堪えません。







▼向って左、吽形仁王さん。像高237cm、寄木造。







▼参道上がってゆくと左に十三仏堂。三間四方、宝形造、本瓦葺。
 大日如来を中心に十三仏を安置。十三身の諸尊を守り御本尊とし功徳を積み、浄土往生を願い託す修業道場。







▼十三仏堂の扁額。







▼内陣の荘厳。中央奥に本尊大日如来坐像を祀り、左右脇陣に十三仏が安置されています。







▼本尊大日如来坐像。智拳印を結ぶ金剛界の大日さんです。







            ▼十三仏堂の前に立つ、ボケ封じ観音と、







            ▼お地蔵さん。







▼鐘楼。







▼百日紅満開の境内から東、槻瀬の街が見渡せます。







▼本堂は今、庫裏と共に屋根の改修工事に入ってます。ラッキーにも本堂の拝観は出来ました。







▼本堂外陣格天井の極彩色花鳥画。京友禅職人の筆による新しいものだそうです。













▼本堂内陣の荘厳。秘仏なのか本尊の姿は確認出来ません。奥にお厨子が見えるのですが。







            ▼この方が本尊釈迦如来坐像です。脇侍は聖観音菩薩坐像と地蔵菩薩坐像です。



            (本尊写真は蓮花寺HPからお借りしました)





▼本堂片隅に見事な塗り屏風。







さてそれでは、多宝塔へ行ってみましょう。

▼僅か200m足らずの坂なんですが、これが急坂。この写真ではそうとは見えませんが急坂なんです。







▼右に曲がると見えました多宝塔。







▼左の石段を上ると多宝塔。右手に石仏が集められています。







▼多宝塔。塔高20m、檜皮葺、初層一部桟瓦を葺いている。江戸期文化九年 (1812年) 建立。
 なんとあの鴻池組の建設だそうですヨ。













▼多宝塔軒。上層の垂木を見て下さい、二軒扇垂木になっており、初層の垂木との変化が見事です。







▼初層外縁には勾欄なし、中央桟唐戸、両端は花頭窓、ここでも変化を楽しんでるようです。







            ▼多宝塔相輪です。







▼池にぎっしりと蓮と睡蓮の競演と云いたい所ですが、お花は余り咲いていません。







▼ご朱印です。仁王門の柱礎石に置いて撮りました。







残念ながら本堂は屋根の改修工事中のため堂形は全く判りませんが、入堂は可能なので入って驚いたことに凄い天井画があるんです。
塗りの格天井に極彩色の花鳥画、京の友禅作家の作品と云うことで、彩色の華やかなこと、少々どぎつい感は否めませんが、デザイ
ンや構図を含めて従来の天井画に比べて現代風のパンチの効いたいい天井画です。いずれ時が立てば好い味になるのでしょう。一見
の価値はあります。

三田の蓮花寺これにて オ シ マ イ





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

瑠璃寺、いい響きの名前どうりの古刹です。

2017年06月08日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.06.03訪問)


斑鳩寺から北西へ約50キロ、これから訪ねる瑠璃寺は山の中らしい。瑠璃寺、なんと云うイイ響きの名前でしょう。
仏法七宝の一つとして珍重された濃紺の輝きを寺名にする往時の人たちは、現代のボク達が思いもよらない神的能力で山中に伽藍を
造り、突如顕われた浄土の世界を清浄な色で表現する、その感性の高さを思いながら、新大和路号は播州平野の初夏緑の息吹を感じ
つつ瑠璃寺を目指しています。





▼見落とすことは先ずありません、参道入口に建つ豪快な寺号碑。







            [ 瑠璃寺 ]
            ●山号 船越山 (ふなこしさん)
            ●寺号 瑠璃寺 (るりじ) 正式には船越山南光坊瑠璃寺
            ●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
            ●勅願 伝聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 伝行基 (ぎょうき)
            ●開創 神亀五年 (728年)
            ●本尊 千手千眼観世音菩薩
            ▲兵庫県佐用郡佐用町船越877 Tel. 0790-77-0450
            ▲拝観料 寸志100円 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲JR山陽線「姫路駅」から神姫バス「山崎」停留所で乗り継ぎ「船越」バス停下車 徒歩約15分 
 
             中国自動車道「山崎IC」から約40分





            ▼なかなかユニークな境内マップでしょ。ここから参道を少し走ると……、







▼道端にいきなり仁王門。戸口から向こうを覗くと民家です。
 重層楼門形式の仁王門、三間一戸、八脚門、入母屋造、銅板葺。両サイドに金剛力士を安置。寛永十五年 (1638年) 建造。







瑠璃寺縁起
瑠璃寺は神亀五年、聖武天皇の勅願により僧行基が開山、本堂、金堂、薬師堂をはじめ、十二伽藍を建立したのが始まりといわれて
います。千手千眼観世音菩薩を本尊とし、創建以来加持祈祷の修験道場となり、多くの伽藍とともに、多くの文化財を有する、高野
山真言宗派の古刹です。





▼扁額。山号だと思います、おそらく。







▼右の阿形仁王さん。相当痛みが激しく、右手指三本なく、条帛欠け、左手持物の金剛杵、どこへ行ったんでしょう。

       





▼左の吽形仁王さん。左手持物なく、条帛が欠けています。







▼立派な寺号碑が建つ境内口。どう見ても山寺の雰囲気など微塵も感じませんネ。







▼赤い橋を渡り石段を上ると本坊へ、長屋門風の門が独特です。         



今日はここからは入らず……、





▼赤い橋の手前を右へ、山門への参道です。灯籠がズラリ、たくさん目につきます。







            ▼こんな灯籠が並んでます。







▼山門。やはり左右に灯籠が迎えてくれます。







▼山門から境内。正面が拝観受付本坊です。







▼山門長押の細かい細工の彫刻。獅子が二頭いますが見えます?

 





山門両脇壁面には竹林に虎。

▼右脇の虎。







▼左脇の虎。







▼本坊の拝観受付。ここでご朱印をいただきます。







▼立派な唐破風の門構え、大玄関風の大師堂。







▼何でも有りで相当ごちゃごちゃしている内陣の荘厳。中央須弥壇に本尊弘法大師像が祀られています。







▼山門左手から少し高台の護摩堂。







▼内陣須弥壇に本尊不動明王が祀られています。







▼護摩行のススでマックロケの天井。







▼護摩堂の向こうにチラッと見えるのは、聖天堂。







▼経蔵と思います。







            ▼バランスをあえて崩しているのかナ。







本坊エリアからそれでは本堂へ、ここからの雰囲気いよいよ……、

▼本堂への参道。大木の間の石段をドンドン登りましょう。      













 





▼石段オシマイ、やっと堂宇が見えてきました。                







▼権現堂。前に護摩壇があります。毎年二月第一日曜、採燈大護摩法要がこの前で執り行われるそうです。







▼鐘楼。木製袴腰、入母屋造、銅板葺。
 吊られている梵鐘は応安の鐘、応安二年 (1369年) の銘があるそうです。







▼開山堂。中興一世の覚祐上人坐像が祀られています。
 格子から覗いてみましたが堂内マックロ定かではありませんでした。







▼本堂。桁裄五間、梁間五間、入母屋造、銅板葺、三間向拝付。
 前面、側面柱間の造形を見て下さい。一間一間のデザインの違う変化を見ることができます。
 高所の僅かな平地に建つため、引きがなく正面全景が撮れないのが非常に残念でした。







▼本堂正面。中央扉が開けられていますが、覗くと内外陣の格子が邪魔をして内陣の状況は判りません。
 向拝柱貫の彫刻と木鼻彫刻どんなんかな~、







▼中央龍の彫り物。二頭の龍が絡んでいますが判るでしょうか。







▼木鼻の彫り物。象と獅子で、阿吽ではないようです。左右とも同じに見えますネ。   













▼向拝裏の垂木の手鋏み彫刻のボリュームがこれまた凄い、波と鳥が彫られています。







▼外縁に登るのが躊躇するぐらい相当の傷みと経時があるようですが、建立年代は判りません。







▼側面戸口の格子から覗いた内陣の様子。







▼本堂。二重垂木により軒の深さがより強調され屋根の反りの美しいこと。



本堂の美を堪能したところで瑠璃寺 オ シ マ イ





▼ご朱印です。







これだけの古刹が残るこの佐用の地を初めて訪ね、千年以上の経時に関わらず法灯を灯し続ける古刹の存在を改めて凄いことだと感
じ、山寺であろうと街中寺であろうと、往時の民衆の拠り所としてのお寺の存在がいかにその心をつかんでいたのかが判るような気
がします。本堂の美に魅せられてしばらくこのエリアをウロウロしていましたが、ついぞボク以外の拝観の方に会うことはありませ
んでした。





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

播州斑鳩寺、聖徳太子十六歳孝養像は必見!

2017年06月05日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.06.03訪問)



西の法隆寺と称される兵庫太子町の斑鳩寺、以前から是非訪ねたいお寺でした。
我が家から約110キロほど。今日は天気上々、新大和路号はあのイヤな宝塚の恒例渋滞もものともせず、中国道から山陽道を走って
います。播磨路の初夏の空気は高速ばかりで余り感じることは出来ませんが、太子町に近づくつれて、斑鳩寺に近づくつれて聖徳太
子が放つ1400年の「気」が辺りに漂っているような……、ボクの「気」のせいでしょうか。



            ▼青葉攻撃で寺号が見えません。







            [ 斑鳩寺 ]
            ●寺号 斑鳩寺 (いかるがでら)
            ●宗派 天台宗 (てんだいしゅう)
            ●開基 聖徳太子 (しょうとくたいし)
            ●開創 推古天皇十四年 (606年)
            ●中興 昌仙法師 (しょうせんほうし) 
            ●本尊 釈迦如来坐像、薬師如来坐像、如意輪観音坐像
            ▲兵庫県揖保郡太子町鵤709 Tel. 079-276-0022
            ▲時間 9:00~17:00
            ▲拝観料 境内自由 聖徳殿、宝物館500円 ご朱印300円
            ▲JR山陽線「網干駅下車」南口より神姫バス山崎行きで「鵤」下車 北西へ徒歩約7分
 
             JR山陽線「網干駅下車」北口よりタクシーで約10分
             山陽自動車道龍野インターチェンジから約5km
 
             太子たつのバイパス「福田ランプ」より約1.5km





▼仁王門。三間一戸 (間口9m)、八脚門、入母屋造、本瓦葺。両サイドに金剛力士を安置。
 寛文十三年 (1673年) 建造。







斑鳩寺縁起 ( 斑鳩寺パンフレットから抄出)
聖徳太子が建てられた1400年の歴史をもつ寺院です。
推古天皇十四年秋七月、聖徳太子は推古天皇に豊浦宮で勝鬘經を講説。推古天皇はたいへん慶ばれ、播磨国揖保の水田百町を太子に
寄進。聖徳太子はこの地を「斑鳩莊(いかるがのしょう)」と名付け、一つの伽藍を建てられました。これが播州斑鳩寺の始まりです。
その後、斑鳩莊を法隆寺に施入、法隆寺の荘園として千年近く栄えました。往古には、七堂伽藍、数十の坊院が甍を並べ、華麗を極
めていたが、天文十年尼子政久氏の播磨攻めで堂塔尽く焼失、篠山円勝寺の昌仙法師により漸次再建されました。再建後天台宗とな
りました。 





ユニークと云わずしてなんと云う、と云うような仁王さん。
両像とも目が変です。ポーズが後ずさりしてます。ボクの印象では少々弱気な仁王さんと云う感じ。

▼阿形さん。

       





▼吽形さん。



宝物館にもう一体づつの阿吽両像が安置されていますが、この二体が本来仁王門を護っていたのではと云われているそうです。





▼仁王門。







            ▼仁王門を潜るとスグ左に聖徳太子二才像が合掌。







▼講堂。斑鳩寺の本堂です。桁裄五間、梁間四間、入母屋造、本瓦葺、一間向拝付。







▼講堂内陣須弥壇。
 本尊釈迦如来坐像(重文)、薬師如来坐像(重文)、如意輪観音坐像(重文)。毎年2月22・23日太子忌に開帳。
 本尊三尊は秘仏、現在釈迦如来を除く二尊は写真が置かれています。







            ▼中尊の釈迦如来坐像(重文)。



            本尊写真は太子町HPからお借りしました。





▼講堂外陣に賓頭盧尊者。非常の厳しいお顔です。お釈迦さんに僧伽差し止めと叱られた時の顔みたい。







▼講堂。

 





▼不思議な境内マップ。江戸初期の境内が描かれたマップを何故? 境内にマップはこれしかないんです。







            ▼三重塔(重文)。斑鳩寺最古の建物、永禄八年(1565年)再建。



            スタイルといいプロポーションといいバランスといい全くいいところずくめの三重塔。
            今日斑鳩寺を訪ねた最大の理由はこの三重塔を見ることでした。しかし2カットしかありません。
            この日は、境内に出店がイッパイ、写真が撮り辛かったもので。





▼二層目の組み物。







▼コーナーの組み物。斗と肘木の組み合わせを見て下さい。相当複雑に組まれていますネ。







            ▼ほれぼれする塔形!







▼三重塔後ろに西国三十三カ所巡りの石仏が並んでいます。







▼木製袴腰の立派な鐘楼。







▼聖徳殿前殿。桁裄五間、入母屋造、本瓦葺。梁間は奥殿に続き一体の建物になっています。
 天文二十年(1551年)再建。







▼聖徳殿奥殿。八角円堂、銅板葺。大正五年 (1916年) 建立。
 内部は前殿が外陣、奥殿が内陣の役目らしく、奥行きの長い堂内になっています。



奥殿最奥のお厨子に本尊聖徳太子十六歳孝養像が安置。案内のご住職おもむろにお厨子の扉を開けて下さると、そこに初めて拝見す
る聖徳太子像。過去写真は公表してないと云うお像は植髪の聖徳太子像、なんとザンバラ髪、ボク達が知る美豆良の太子とは全く違
うお方がそこにお立ちでした。顔立ちは目尻やや吊り、細面のキリッとしたイメージはやはり太子そのもの、初めて見る感動の一瞬
とはこのことでしょう






▼前殿から見るお堂の内部。最奥に微かに見えるのが、本尊聖徳太子十六歳孝養像が安置されているお厨子。







▼外陣に掛けられている扁額。聖徳殿と書かれています。







▼ここからが内陣、御簾の奥須弥壇上にお厨子が置かれています。連結された堂内はさすがに奥行き長く、前殿、中の間、奥殿とそ
 れぞれのポイントでお話し下さるご住職の太子への思いが伝わる一時間少々でした。







▼聖徳殿奥殿の層間の木組みは平面的で、壁面文様みたいな感じ。







▼左奥が奥殿、右奥が前殿。手前の建物、これも連結されていますがよく分りません、聞き漏らしました。







▼聖徳殿前殿左右に馬の像。太子愛馬の甲斐の黒駒かな。







▼聖寳殿、宝物庫です。内部は正面ワイド状にお寺所蔵の仏像が並んでいます。







            ▼この軸は聖徳太子が推古天皇に豊浦宮で勝鬘經を講説している図ということですが、
             肝心の推古天皇が描かれていません,なんで?



            勝鬘經講説図写真は太子町HPからお借りしました。





            聖徳殿と聖寳殿をつきっきりでご説明いただいたご住職に感謝! ありがとうございました。               
                               合掌





▼五本の白線が格式と歴史を物語っているようです。

              




▼ご朱印です。






かつて聖徳太子が「斑鳩莊(いかるがのしょう)」と名付けたこの一帯も今や太子町の街中、1400年の寺歴を誇る斑鳩寺は聖徳太子と
云う名の重みを携えながら今日までその法灯を守ってきた。本来宗派も法隆寺と同様聖徳宗か元の法相宗かと思っていましたが、ご
住職に伺うと今は天台宗とのこと。何時の時代もその変遷、様変わりも明確でないまま変わって行くと云うのが世の常。ご住職曰く、
法隆寺との関わりは今も深く、叡山へ登るより法隆寺へ志向する方が多いかも知れません。と。本家法隆寺と西の法隆寺と云われる
斑鳩寺、聖徳太子が繋げる仏法の糸は、やはり細いとは云え、今もその精神は受け継がれているのでしょう。

これにて斑鳩寺 オ シ マ イ

次は凄い山寺を訪ねようと思っています。





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

昆陽寺、大震災から見事に甦りました。

2017年05月10日 | 兵庫の古寺巡り






(2017.04.29訪問)


川西の満願寺の次に訪ねた昆陽寺の紹介が一週遅れになりました。新大和寺号がトラブった訳ではありません、GWのせいです。
言い訳はさて措いて、新大和寺号は満願寺から南へ10キロ足らず、伊丹市の昆陽寺へ向っています。宝塚尼崎線を南へ西国街道まで
来るとスグ左に朱色の楼門がイヤでも目に入ります。幹線道路に面して楼門が建つわかり易いお寺です。このお寺、あの阪神大震災
で強烈に被災したお寺なんです。




▼復興のシンボルと云ってもいい山門。朱色が映える仁王門。西国街道 (R171) に面して建っています。
 重層楼門、三間一戸、入母屋造、本瓦葺、江戸明暦年間に建立。阪神淡路大震災で被災、解体修理を実施。






[ 昆陽寺 ]
●山号 崑崙山 (こんろんさん)
●寺号 昆陽寺 (こやでら)
●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
●勅願 伝 聖武天皇 (しょうむてんのう)
●開基 伝 行基 (ぎょうき)
●創建 天平五年 (733年) 
●本尊 薬師如来 
▲兵庫県伊丹市寺本2-169 Tel. 072-781-6015
▲拝観料 境内自由 ご朱印300円
▲時間 9:00~16:30
▲「JR伊丹駅」「阪急伊丹駅」から市バス昆陽里行き、または小井内経由南畑・荒牧公園行きで昆陽里下車、東へ100メートル




            ▼山門脇に建つ寺号石標。






昆陽寺縁起 (兵庫県立歴史博物館HPより抄出)
昆陽寺は真言宗の寺である。僧行基が開いたと伝えられるため「行基さん」の名で親しまれている。本尊は行基の作と伝えられる薬
師如来仏である。「行基年譜」によると、天平二年(730年)布施屋と呼ばれる形態の昆陽施院を建てたとあるが、当初は運脚に食
事や宿泊所を支給するための施設で、寺としての体裁を整え始めたのは行基が大僧正に任ぜられてからだと思われる。
天正七年(1579年)信長により焼き払われたが、山門と観音堂が江戸時代に再建された。




▼山号が書かれた扁額。







▼右に阿形金剛力士。       













▼左に吽形金剛力士。       









動きの軽快な仁王さんですが、余りにもガードが固すぎてこういう撮り方しか出来ません。





▼手水舎。







▼重層で袴腰の立派な鐘楼です。寛永元年 (1789年) 建立。







▼山門から一直線、本堂です。







▼本堂正面ですが樹々と煙台がねぇ。本尊薬師如来、行基さん自作と伝わるそうです。
 阪神淡路大震災で崩壊、二年後平成九年再建。







▼本堂前面ですが覗くことすら出来ません。







▼扁額。本堂は別名瑠璃殿と云うそうです。







▼横から狙っても見えないものは見えません。






            ▼近衛文麿公の記念植樹の大木。



            近衛文麿、戦時中の内閣総理大臣。戦後A級戦犯として裁かれるを良しとせず自死。




            ▼空海さんの石像と石碑






▼経蔵。







▼石の小橋に菖蒲。絵になる放生池ですネ。







▼放生池畔に立つ弁天堂。







▼観音堂。本尊十一面観音菩薩。桁裄三間、梁間三間、寄棟造、本瓦葺、一間向拝付。江戸寛永年間建立。
 阪神淡路大震災で被災、解体修理を実施平成九年に完成。







▼堂宇に懸る青もみじ。







▼行基堂。方三間、宝形造、本瓦葺、一間向拝付。江戸元禄年間建立。
 本尊行基像 (行基さん自作) 脇持に文殊菩薩、普賢菩薩。阪神淡路大震災で被災、解体修理を実施平成十年に完成。







▼扁額はズバリ。







▼行基堂。







▼昆陽寺鎮守のお稲荷さん。







▼四国八十八ヶ所巡りが出来ます。     












            ▼境内林の中に建つ五輪塔。






▼建立間もない納骨堂。







▼岩室の中、役行者おひとりで。前鬼後鬼はどこかお使いに行ったみたい。







▼境内の奥にいい感じの林が広がっています。フィトンやマイナスイオンまみれになるのに絶好ですヨ。







▼林の奥に一筋の参道。







▼鎮守堂です。







▼扁額に大梵天王と書かれています。どういう性格のお堂かよく判りません。







▼ご朱印です。






平成七年一月十七日、阪神大震災により1300年の歴史が一瞬にして崩壊、守り抜いて来た堂塔伽藍が、完膚無きまでの痛手を被った
昆陽寺も、震災直後から復興機運高々に平成十年には、再建、解体、修理の復興工事が完成、僅か三年余りで成し遂げたその力は、
お寺の復興への高い志と努力、そして地域住民の方々の応援なくしてはなし得なかったと思います。今境内の真ん中に立ち周辺を見渡
しても、甚大な被害があったとはとても思えず、むしろ地域に根ざしたお寺の貫禄さえ感じます。

各お堂は全て閉め切り、入堂は勿論、中を覗くこと、本尊をはじめ諸仏のお顔も拝することは出来ませんでした。
ト ホ ホ の昆陽寺 オ シ マ イ




↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ

満願寺、清和源氏の拠り所として発展したそうです。

2017年05月01日 | 兵庫の古寺巡り





(2017.04.29訪問)


大和路弐号が23日大安の日に納車されました。排気量も図体も大きくなったので、もう高速も怖くありません。チンタラ走らなく
て良さそうです。今日はその大和路弐号初のお寺巡りになります。しかし問題があるんです、細く曲がりくねった未舗装の山道は先
ず無理、迷車大和路号ならスイスイでしたけどネ。
と云うことで、今日はその心配のない兵庫県の川西市と伊丹市の古刹を訪ねます。先ずは川西の満願寺、名前がイイじゃないですか、
満貫じゃなかった満願ですよ、幸いお願いごとが沢山あるのでまとめて面倒見てもらいましょうか。




▼参道石段。なにか意味有りげな33段。






            [ 満願寺 ]
            ●山号 神秀山 (しんしゅうざん)
            ●寺号 満願寺 (まんがんじ)
            ●宗派 高野山真言宗 (こうやさんしんごんしゅう)
            ●勅願 伝 聖武天皇 (しょうむてんのう)
            ●開基 伝 勝道上人 (しょうどうしょうにん)
            ●創建 神亀年間 (724~728年) 
            ●本尊 千手観音菩薩立像 
            ▲兵庫県川西市満願寺町7-1 Tel. 072-759-2452
            ▲拝観料 入山100円 金堂300円 ご朱印300円
            ▲時間 9:00~16:30
            ▲http://www.manganzi.jp
            ▲阪急電車宝塚線「雲雀丘花屋敷駅」から阪急バス「愛宕原ゴルフ場」ゆきで「満願寺」下車徒歩2分




            ▼石段脇に建つ寺号石柱。






満願寺縁起 (満願寺HPより抄出)
伽藍開基記によると神亀年間(724~728年)聖武天皇の命により諸国に満願寺を建立した勝道上人が、摂津国の満願寺として千手観
音を本尊に開基したと伝えられています。さらに安和元年(968年)摂津の国多田に本拠に構えたという清和源氏の祖といわれる満仲
が、この寺に深く帰依したといわれ、歴代源氏一族の祈願所として発展した。のち足利幕府の保護により栄えましたが、室町時代末
期に戦火で焼失。寄付によって再建され、現在の伽藍は承応二年(1653年)建立と伝えられている金堂や、寛文八年(1668年)建立され
た観音堂など近世の建造物が現存しています。一時は四十九院を数える多くの院坊が存在しましたが、明治初年には円覚院のみとな
り、明治三十一年より円覚院を本坊として現在にいたっています。




▼三十三段登りきると目前に……、







▼ご覧の通りユニークな仁王門。これも三間一戸と呼ぶんでしょうか。
 明治十四年(1881年)建立。一見中国風に見えるも明治初期の洋風を取り入れた建築様式だそうです。






            ▼右に阿形金剛力士。像高340cm、鎌倉時代末期。






            ▼左に吽形金剛力士。像高342cm、鎌倉時代末期。
             動きの軽快な仁王さんですが、余りにもガードが固すぎてこういう撮り方しか
             出来ません。






▼中央戸口から一直線の参道。







▼石畳のきれいな参道です。







▼参道石段の先、チラッ見えるのは金堂です。







▼鐘楼です。

         





▼地蔵堂。






            ▼半跏の珍しい形のお地蔵さんが一人お坐りです。光背がズレているのはご愛嬌!






            ▼岩組の中、お不動さんが二童子を従えてキリリと前方を見据えています。






▼観音堂。方三間、寄せ棟造、本瓦葺。寛文八年(1668年)建立。






            ▼観音堂本尊 千手千眼観音菩薩立像、像高215.6cm、一木造、平安後期。
             本尊は秘仏、春彼岸中日前後三日間特別開帳されます。
             千手千眼観音菩薩は満願寺の本尊です。
             (本尊写真は満願寺HPより借用)






▼境内から。







▼金堂が姿を現しました。






            ▼金堂エリア前に宝篋印塔。隅飾りが外に大きく開き、どこか飛んでるような
             動きを感じる塔です。






▼金堂。桁裄四間、梁間五間、一重入母屋造、本瓦葺、二間向拝付。承応二年(1653年)建立。







▼金堂扁額。







▼内陣。畳中央に床板敷六本柱造。







▼奥内陣須弥壇に宮殿(お厨子)が置かれ前に本尊が安置されています。






            ▼本尊阿弥陀如来坐像。






            ▼こんなお顔です。半眼の目は優しく、いくらか笑みを含んでいるようですネ。
             金泥はよく残っています。






▼天井からの荘厳が豪華、垂れる瓔珞の夥しい数に圧倒されます。奥に見えるのが宮殿。







▼金堂。







▼金堂隣に毘沙門堂。方三間、宝形造、本瓦葺。前面三間は蔀戸。







▼毘沙門堂扁額。書家川村驥山(かわむらきざん)(1882~1969年)揮毫。






            ▼毘沙門堂本尊 毘沙門天立像。像高91.9cm、木造。
             源満仲によって刻まれたと伝えられているそうです。平安後期。
             (毘沙門天写真は満願寺HPより借用)






▼毘沙門堂。







▼石像。







▼八幡宮。満願寺鎮守社と思われます。左にお稲荷さんも祀られているんですが。







▼坂田金時の墓。足柄山の金太郎さんその人。源頼光四天王の一人で大江山の酒呑童子を退治したのが有名ですネ。







▼真言宗定番、弘法大師修行像。







▼三廟の五輪塔。
 三廟とは源満仲の末子の美女丸、藤原仲光、その子幸寿丸の墓です。仲光は素行の悪かった美女丸の殺害を満仲に命じられ、
 身代わりに幸寿丸の首を差し出したそうです。後に美女丸は源賢阿闍梨という高僧になったそうです。室町時代の造立。









(この写真は満願寺HPより借用)





▼源氏七塔。源国房、光国、明国、仲政、国直、行国、国基の供養塔。(写真は満願寺HPより借用)







▼晴雲殿。古色の境内で異色の建物、納骨堂です。







▼参道石段を少し下ると本坊です。







▼本坊山門。赤漆喰の袖塀が何やら奥ゆかしく感じます。







▼本坊。先週以来やけに蘇鉄が目につきます。






            ▼その蘇鉄です。






▼本坊庭園の入り口。残念ながら〆切。







▼外から覗いた庭園二景。













▼ご朱印です。






兵庫の西端、阪神間に位置する川西市や伊丹市、猪名川町には名刹が結構多いと聞きましたので、今日はとりあえず大和路弐号の
走りぞめとして、我が家から1時間圏内の川西市の満願寺を訪ねた訳でございます。清和源氏の多田一族が祈願所としたと云う満
願寺は初期源氏の匂いが色濃く残る雰囲気のお寺でした。





↓ ポチッと押していただければたいへん嬉しいのですが。

神社・お寺巡り ブログランキングへ