裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

自死の罪深さ、の巻

2009年12月10日 23時17分36秒 | サイエンス・ガクジュツ的な
睡眠薬を94錠も服んでも死ねず、三日と三晩めに目が覚めて、「今起きた」といって工房にくるひとがいるんですが。
バカー!
今どきの睡眠薬は、いくら飲んでも死なないらしいね(薬剤師やってる生徒さんによると)。
ひとは、そう簡単には死なせてもらえません。
だって、死ぬときは苦しい。
苦しいから死にたくない。
そのしんどさを排除した死に方をテクニカルな形で求めるのは、あらゆる(まともな)宗教が説諭するとおり、卑怯というものでしょう。
死の苦しみとは、神の意志そのものなんであり、その観念があるために、ひとは「死なんとこ」と思いとどまるんであり、逆に、そう簡単に死ねたら、生きてる価値なんて大したものではなくなってしまいます。
「お手軽な死に方」という考え方自体、生をバカにしてます。
死の瞬間にいちばんつらい目に遭わねばならないことを思いついたのは、神様ではなく、われわれ生命体自身にちがいありません。
それは、遺伝子に組み込まれた制御システムと解釈できます。
生物総意としての「種の存続システム」と言い換えてもいい。
生物がこの世に誕生したとき、「死ぬときは苦しもう」と自らに課したわけです。
死の苦しみと、生殖行為の快楽は、種を途絶えさせないための最も基本的なアイデアと考えるべきです。
そこのところを、きちんを咀嚼しときましょう。
「死にたいな~」なんて血迷うことは、誰にでもあるもの。
だけど死にたくなってもね、一応踏みとどまって生きときましょうよ。
そのうちにいいときがくるかもよ。
そしてなによりその自死は、すべての生きてる、あるいは死んでいった、またこれから生まれ来る、あらゆる生物に対して失礼でしょ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
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