裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ボラ紀行・番外編/盛岡

2011年10月11日 21時12分41秒 | 被災地ルポルタージュ
台風が列島に近づく中、岩手の盛岡にたどり着いた。
被災地でまともな仕事ができなかったんで、例によって「地元に金を落とす」経済活動にいそしむことにする。
陸前高田から出る早朝のバスに乗ったんで、盛岡着は午前11時ってとこ。
雨の中、宿を探すが、お決まりの「東横イン」に部屋を取ると、「チェックインは3時」という、当然の応対。
巨大な荷物だけは預かってもらい、街に出るとする。
4時間もの空き時間をつぶすため、まずは床屋(ヘアサロン、っつの?)に入った。
実はこの日のために、髪をぼーぼーに伸ばしてきたのだ。
オレは大学の頃からモヒカン or 丸ボーズだったんで、ずっと自分でバリカンを使って処理してきた。
こないだ同窓会のために(色気を出して)十何年かぶりに床屋に入ったけど、なかなかよいね。
つわけで、ホテルからいちばん近いサロンにひょいと飛び込んでみる。
「かっこいい海兵隊カットにしてくれ。ああ、そうだ、天頂部にハンバーグを乗っけたように髪を残し、刈り上げた下半分から徐々にグラデーションにするタイプのやつだ」 と説明したのだが、できあがったものを見て思わず「これじゃ、こぶ平じゃねーか」とつぶやいたところ、「襲名後は、正蔵師匠になりましたよ」と、切ってくれたワカモノに諭される。
師匠か、ならまあよい。
店を出るが、まだまだ時間があるので、昼飯にする。
盛岡にきたら、なんといっても冷麺を食べなければならないので、名店「盛楼閣」を攻める。
・・・まあまあだった。(江古田の「焼き肉ハウス」の方がうまい)
ついでに別の店で、盛岡名物というじゃじゃ麺なるものを食べるが、まったく感心しなかった。(どこがうまいんだろ?)
その後、駅ビルの土産コーナーをさんざんひやかし、やっと午後3時となって、ホテルに投宿。
疲れ果ててたんで、そのままひと寝入り。
目覚めると、すでに夜だったんで、いよいよ、という気合いで街に繰り出した。
いろいろと入る店を検討したが、「散財」が目的なので、ちょっと敷居の高そうな「割烹料亭・扇屋」さんに足を踏み入れてみる。
やっぱし、旅先ではそれなりのものを食べなきゃ意味がないし。
店内には、カウンターにひとりだけのお客さん。
そのスキンヘッドの外人さんの、いっこトビの隣に腰掛けてみる。
50がらみの大男は、こちらと目を会わせてにっこりと微笑み、「ヨロシク」と声をかけてきた。
オレ「はじめまして」
外人さん「サミュエルだ、ヨロシク」
オレ「サムさんと呼んでいいかい?」
外人さん「ディックでいい」
フランクでなめらかな会話だ、すばらしい。
オレは、カウンターで隣り合わせた外人さんとは必ずコミュニケーションをとることにしてるのだ。
立派だよなあ。
↓以下、ディックとの和英ごちゃまぜの会話。
オレ「どこからきたんだい?」
外人さん「アメリカの東北さ」(←なかなか粋な言い回しでないの)
オレ「東北ってことは・・・ニューヨークのあたりだな?」
外人さん「ボストンさ」
聞けば、彼は先生で、そこでポリティカル・サイエンスを教えてるのだ、という。
オレ「政治学か、すげえな。まさか、あの大学じゃねーだろうな?」
外人さん「ビンゴ。M.I.T.さ。知ってるのか?」
オレ「オレはロバート・B・パーカーを読むんだ」
外人さん「マジか?うれしいぜ。オレの娘は『スペンサーシリーズ』が大好きで、愛犬にスペンスという名前を付けたくらいなんだ」
オレ「それはすばらしい。あの探偵は、いつもオランダのアムステルを飲んで、いつもあんたのマサチューセッツ工科大学の周りを走ってるんだ」
こんな会話ができるから、オレはほんとにすごいよなあ。
明日は市長と被災地を回るんだ、といって、サミュエル氏は帰ってった。
しかしかえりみるに、あの会話は全部ブラフだったのかもね。(ほんとだと思うけど)
とにかく、実に愉快で充実した時間だった。
さて、若きご店主。
このひとも何度も被災地に足を運び、復興の手助けになれば、とその地域(三陸)から素材を仕入れ、立派な仕事に仕立ててるという人物。
とにかく、東北のどこにいっても、身内や友だちの誰かしらが被害を受けてるんで、その一体感には感じ入らされるものがある。
東京や、それ以西のひとたちも、他人事だから、と忘れ去らないでほしいな。
なにかしよう、なんて思わなくていいんだよ。
ただ、忘れないでほしいのだった。
さて、ホテル泊をし、翌日には「ぴょんぴょん舎」の冷麺にチャレンジ。
こちらはさすがに日本一、おいしかった。
前日に下調べをしてたので、目をつけた土産物屋にふたたび足を運ぶ。
巨大な荷を背負うオレを見て、せんべい屋のおかみさんが「ボランティア」と気づき、深々と頭を下げてくれた。
「ありがとうございます。被災者になり代わり」と。
それが本当に深い礼なんで、つくづくと恐縮する。
それに見合う仕事を東京でも、と意を固めた。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
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