裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

陸前高田ボラ紀行・6

2011年10月05日 10時00分39秒 | 被災地ルポルタージュ
住田基地は、午後10時に消灯。
ホールには50近い寝袋が敷かれ、みんなで雑魚寝する。(女子には別の部屋も用意してあるから、安心)
床は硬いけど、泥のように眠れた。
考えてみれば、前夜は夜通し深夜バスの座席だったし、まともに寝ることもなくそのまま現場に出たんで、へとへとになってるのだった。
さて、翌朝は6時起床。
外は、この日も雨。
超大型台風が近づいてるらしい。
しかし、8時半のマッチングに向けて、戦士たちはおのおのに朝飯を食らい、準備を怠らない。
8時近くになると、誰もが次々とボランティアセンターへと車を向かわせる。
バスも電車もないし、徒歩行ではとても無理な距離。
車を持たない者は、相乗りさせてくれる車をつかまえなきゃならない。
オレは、前夜の酒盛りで盛り上がった、太々としたまゆを持つ沖縄青年にお世話になることにした。
国家公務員さんらしいが、大きな有給休暇を取り、南の島からはるばる飛行機で仙台入りし、そこでレンタカーを借りて、ボランティアに参加してる剛の者だ。
同じ志しを持つ人物とは、車内での会話もたのしく、ためになる。
約30分で、ボラセンに到着。
付近は、ボランティア参加者たちの車で大渋滞で、ひろびろとした駐車場は満車状態。
雨降りにも関わらず、そして平日にもかかわらず、ヒトビトのこの熱さには打たれる。
さて、仕事のマッチング開始。
オレはこの日も、側溝掘り起こし作業(別の現場)をゲット。
新たに、京都で建設業をやってるというかっこいい青年に相乗りをお願いし、移動手段を確保した。
この青年は、三日がかりで被災地入りし、車中泊しつつ、いろんな現場を渡り歩いてるという。
南三陸、気仙沼、大船渡・・・この辺りにもたくさん現場はあるからね、いろんな状況を目で見て、肌で感じて歩くのも悪くない。
さて、昨日に増して雨足の強いこの日の現場は、側溝からのドロドロの泥出し。

たまった海砂に根深い草がはびこってるので、なかなかしんどい。
掘り起こしては、掘り起こしては、泥を土嚢袋に詰め、ネコ移送し、傍らに積み上げてく。
冷たい雨に叩かれつつ、カッパを泥まみれにしつつ、60代と見えるようなおっちゃんから、20代の女子まで、メンバーはみんな一生懸命だ。

「台風が接近中なので、作業は午前中で切り上げて」と、この日はあらかじめボラセンから言い渡されてたが、体力的にもそのへんが限界。
側溝を10数メートルほど復元した時点で、現場を後にした。
途中、別の現場を何ヶ所も通りかかった。
「なんとか大学」だの、「かんとか会社」だの、バス参加の団体組が、ひろびろとした平野に展開して、がれき処理をしてる。
誰もが心痛めてて、なんとか力になりたいと思ってて、だから一生懸命なのだった。
新たな意欲が湧いてくる。
さて、相乗りをお願いした京都の青年は、この夜の住田基地泊に興味を持ってたが、帰り着いた陸前高田ボラセンで「翌日は作業中止」の報を聞いて、仙台方面へと舵を切り、求職に向かった。
えらい子だ。
そして、熱いぜ。
ボラセンの道具の洗い場で、たまたま太々としたまゆを見つけたので、帰りの足もこの沖縄さんにお願いした。
さらに山深くにのぼった温泉にまで連れてってもらい、いい湯も満喫。
お世話になりっぱなし。
冷えたからだをあっためて、夜のためにビールを大量に買い込み、ベースキャンプに戻る。


つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園
コメント
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