京都滞在2日目の午後は友人と共に左京区鹿ケ谷若王子山町にある新島襄先生の墓所を訪ねました。標高200メートル程の若王子山の山頂部にある同志社共葬墓地に八重夫人と共に埋葬されています。学生時代を想いながらのセンチメンタル墓参でもありました。〔10月28日(月)〕
↓ 哲学の道終点・若王子町の若王子神社の前に新島襄先生墓所参道入口を示す石碑が建っています。
↓ その他にも多くの道標が街角に立てられています。
↓ よく踏まれた山道が墓所へと通じています。
↓ 途中谷間に懸かる滝を俯瞰することが出来ました。
↓ 山頂部にある同志社共葬墓地の入口に掲げられていた説明板です。
↓ 新島襄先生の墓地です。墓碑銘の揮毫は勝海舟。
↓ 新島襄先生の墓地の隣に八重夫人の墓地が並んで建てられていました。八重夫人は平成25年のNHK大河ドラマ「八重の桜」で一躍有名となりました。
↓ 並んで建てられている新島襄先生(右)・八重夫人(左)の墓所の様子です。
↓ 同志社共葬墓地には約30基の墓石がありました。
↓ 八重夫人の兄の山本覚馬(明治初期の京都府政の指導者、新島襄の協力者)や徳富蘇峰(明治から昭和にかけての同志社出身のジャーナリスト、思想家)の墓標が並んでいました。
↓ 墓参後に街に下り、哲学の道を暫し歩きました。
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