徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

大政奉還と負け方の問題

2011-06-03 02:14:41 | News
先週はダービー前に少し時間があったので、CCCに寄って<しりあがり寿の「いろいろやるら。」>をヲチ。



小学校の教室をまるまる使って無造作に置かれたしりあがり寿の歴史(マジ)。
これから整理されるのか、これからさらに展開されるのか、これが完成形なのか…わかりませんが無造作な上に無防備。
「いろいろやるら。」は通年イベントで、「あなたのミニ歴史資料館」も6月1日から随時募集中とのこと。資料(pdf)はこちら。んー応募してみようかなァ…。



続いて歩いて2、3分のところにある駿府城二ノ丸 東御門・巽櫓に向かう。
しぞーか的には歴史的事業だった巽櫓の、さすがに真面目な資料館を通りつつ、見学コースの最後に現れるのがインスタレーション「しりあがり寿 大政奉還」。薄暗い広間に並べられたモニターに映し出されたショーグンとしょぼくれた数多くのサムライたちが大政奉還の瞬間を演じている。去年の秋からの巡回展なのだけれども、家康ゆかりの駿府城跡で、日本という国の形の変化を予感させる3.11後ということもあり、かなり刺激的で、イメージが触発される。
いや、やはり3.11後の日本にしか見えなかった。

3.11を戦後や維新と並べて語る人は少ないないけれども、実はこれから起こるのは<大政奉還>なのかもしれない。いや、大政は奉還されないかもしれないとは思うけれども、要するにこれは<日本人の負け方>の問題だ。
僕らに問われているのは絶望的なまでの自然(放射線物質)との戦いの撤退戦をどう生きるかで、今、いかに負けを受け入れるかという局面に立っている。

そんな中で第二次世界大戦の敗戦直後のブラジルの日系移民社会で流行り、激しい抗争すら発生したという、言葉本来の意味での<勝ち組/負け組>という言葉とイメージが、3.11以降絶え間なく浮かんでくる。
ある専門家は“負けていない”と喋り続け、あるジャーナリストは“負けている”と叫び続ける。どちらにしても結局僕らは自然(放射線物質)には勝てない。6月2日現在、負けを認めない政治家たちがいくら茶番を続けようとも、それでも勝ち逃げを願う官僚――厚労省と農水省が荒茶の検査を巡って、あまりやる気のない対立をしようとも、結果は見えている。「…では、どうしたらいいんですか?」という問いに、誠実な人たちは「遠くに逃げろ」としか言えない。文字通りの撤退戦である。
現在進行形の敗戦を生きる僕らは、どんな負け方を選び、新しいイメージを描けるのか。
物事を勝ち負けでイメージするのはあんまり好きではないのだけれども、この無情の世界(You Can't Always Get What You Want!)では勝ち負けだけがリアルである。そして日本人は徹底的に負けたとしても、負け方(形)にこだわる。今ではずいぶんと少なくなったけれども、執拗に「(原発の)代案を出せ」と主張していた人というのは、要するに自分が納得できる「負け方」を欲しがっていたんだとも思えるんだ。

…というようなことをイメージしながら観た。もうちょっとゆっくり観たかったなァ。
「しりあがり寿 大政奉還」は6月10日までの開催だそうなので、しぞーかの民は是非観ておいたらいいよ。