徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

ECDは「仕事でロック」したのか

2018-02-01 13:05:05 | News


ECDが亡くなってからTLに彼の画像や動画、そして言葉が途切れることはない。中でもオレが一番共鳴したのはこの言葉だった。

<その仕事をするひとがいなければ世の中が回らない。いやいやでも引き受ければ金銭という報酬を得ることができる。(中略)このことを「つまらない」「悲しい」と嘆く必要はない。なぜならそれがいやいややる仕事であればあるほどそれをいやがってやらないひとを助けることになるからだ。つまりひとの役に立っているのだ。>
<「助け合い」という言葉の響きは美しい。美しすぎて誰にでも簡単にできることとは思えないくらいだ。しかし、仕事をすればそれができる。>
(「仕事はつらいよ」仕事文脈vol.8)



個人がクリエイティブであろうとするためだけに、必ずしもクリエイティブな仕事に就いている必要はない。仕事自体は目的ではなく、手段だ。そしてどれほど赤の他人から見て「つまらない」「悲しい」仕事であっても、クリエイティブな個人によって、その仕事も社会的に開かれた、ポジティブで、クリエイティブなものになる。そしてまた個人は仕事をフィードバックしながらクリエイティブな日常を送る。
これは「仕事でロックする」ということであろう。「ロック」の部分はブルーズでも、パンクでも、ヒップホップでも構わない。
「ラーメン屋でロックする」「パン屋でロックする」ーー「働くことでロックする」は、数多い著作の中で語られるECDの仕事観で使われたフレーズで、青少年時代のエピソードだけれども、松村雄策のバンドであったイターナウの宣伝に記された、岩谷宏の宣言文<あらゆるものがロックであり得る>が元となっている。自称「ロッキングオン信者」であったECDは、この言葉が「人生を変えてしまった」とまで書いていた。

現在、平野太一君やアキラ・ザ・ハスラーさんらと共に製作した「スタンダード」という3.11以降の路上の行動とそれに参加した人々を描いたドキュメンタリー映画が公開間近である。もちろん、その中にECDの姿と言葉か収められている。すでに製作は3年越しで、心ならずも、最晩年の路上での姿までをカメラは捉えることになった。
その取材の中で、「まあ作品には使われないだろうな」と思いつつ(コメントを使うかどうかを決めるのはあくまでも監督は平野君である)、ロッキングオン信者時代の話を聞いた。最後の著作である「他人の始まり、因果の終わり」に至るまで、赤裸々に自分を語り続けてきたECDである。しかしそれほど嫌がる素振りも見せずに答えてくれた。

<自分の中ではロッキングオン、劇団は黒歴史的なもので(笑)。でも最近、山崎春美と話したら「やっぱりあのアジテーションは熱かった」「あれをなかったことにしちゃいけない」って言っていて。それが国会前に立っていることにつながっているんだなと思うと、そんなに捨てたものではないなと。>

特に結婚後のECDが「仕事でロック」を体現したのは間違いがないのだろうと思う。その姿に勇気づけられた若い世代も多いのだろう。そして、この6年ほど、オレは彼の言葉と行動で「いるべき場所」を共有したつもりでいる。
著作では過去を語り続けたECDも、作品では今しか表現しなかったように思う。彼亡き後、彼の今はもうすでに過去のことである。しかしこれからも、彼は今を生きる自分を突き動かすだろう。
そして我々は日々の暮らしのために「仕事」をし続ける。それがロックやヒップホップであればいい。

今日はお通夜、最後のお別れです。

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