徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

Hey Brother 君はどうだい?

2014-04-28 00:34:28 | News



What's Going On/Artists Against Aids Worldwideはよく聞く。レコードもCDも購入した。勿論マーヴィン・ゲイの原曲は好きなのだが、Artists Against Aids Worldwideのリリース直後に9・11同時多発テロが起き、急遽エイズ支援に加え収益が9・11支援にも回ったというエピソードや様々なリミックスにも耐え得る、楽曲の持つ力強さとメッセージの普遍性に惹かれるのだろう。
イラク戦争が起きたときにロッキングオンの雑誌が表紙にでかでかと「What's Going On」と謳ったのが記憶も残っている。
勿論マーヴィン・ゲイのこの楽曲をイメージしたメッセージだろう。しかし、そのときは「ふーん」と思った。
ふーん、である。
ロキノンが気に喰わないという意味ではない、と思う。
正直言ってイラク戦争云々というよりも、メッセージの普遍性というよりも、そこにある種の他人事に似たメディアのあざとさを感じてしまったのだった。

3・11直後に、しばらく音楽を聴けなくなってしまった人は少なくないと思う。オレもその一人だった。東北の被災者のように物理的に聴けない、という意味ではなく、現実の重さに音楽が耐えられるかという意味である(一ヶ月間は常に余震が起き続けていたこともあるけれども)。震災という出来事は深刻な原発事故というもうひとつの現実を作り出した。これもまた重い現実である。
自分たちが「当事者」になったとき、自分たちはどんな音楽を聴くのか(作り出すのか)と問い直す。それはある意味の態度表明といえる。
そのときオレは「What's Going On」は聴けなかった。普遍的で、それ故にある意味、社会問題に対して汎用性の高い「What's Going On」という“言葉”は、どうしてもそのときの自分の“気分”にしっくりとこなかったのだ。
「何が起こっているのか」は明らかなのだから仕方がない。
例えば、ひと通り聴いていたとはいえ、オレは決してヒップホップやラップに対して良いリスナーではなかった。それが3・11以降はとてつもなくリアリティと必然性がある音楽に聴こえてきた。これは歌に世は連れないけれども世は歌に連れるというヤツだろう。
で、だ。
今の“気分”でBrotherに声を掛けるのならば、こんな歌でなくちゃいけない。
君はどうだい?



(G・Em・C・Dのリピート)

今日、代々木公園周辺では東京レインボープライド2014が行われた。この3年間に出会った人たちも、フロートの上でパフォーマンスし、パレードでプラカードを掲げ、そして沿道からも数多く参加した。
性の多様性を謳うパレードは、同時に人間の多様性そのものを謳うメッセージであり、だからこそパレードに参加したフロートやプラカードには「僕らはもうすでに一緒に生きている」We're Already Living Togetherという言葉が、晴天の東京の空に掲げられた。
その一方で、上野ではレイシストの吹き溜まりのような連中によるヘイトスピーチデモが行われた。諸般の事情でレインボープライドには参加せず、上野へ行ったのだが、代々木公園とは真逆の世界だったのは間違いないだろう。
しかし、いつもオレは人間の屑に罵声を浴びせながら、実は「君はどうだい?」って訊いているのだ(あくまでも心の中で)。
また、そう問い掛け続けなければならない(あくまでも表面上は超罵声で)。
それはきっとレインボープライドの精神に近いんだと思う(参加してないけど書いてみる)。

<科学者がwhy(なぜ)という疑問を発するとき、それはじっさいにはhow(いかにして)という問いなのである。「なぜ」型の疑問は、科学的に熟慮された問いの立て方とはいえない。なぜなら、世間的には、「なぜ」型の問いの背景には、何らかの意図や目的があると思われているからだ。(中略)同様に、科学者が「なぜ何もないのではなく、何かがあるのか」と問うとき、じっさいには「いかにして、何もないのではなく、何かがあるようになったのか」と問うているのである。>(ローレンス・クラウス/青木薫・訳『宇宙の始まる前には何があったのか?』文藝春秋社)

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